新潟久紀ブログ版retrospective

新潟独り暮らし時代60「久々で僅かな実家暮らし」

●久々で僅かな実家暮らし

 昭和58(1983)年4月の大学入学の直前から始まった新潟一人暮らしは、平成3(1991)年秋の結婚を機に新潟市内で同居生活を始めるまで8年間続いたのであるが、その途中でほんの僅かではあるものの柏崎市の実家に身を寄せていた時期がある。
 昭和62年3月末から4月半ばまでの3週間ほどで、大学を卒業して就職した新潟県庁における勤務配属先が、4月の勤務初日から2週間にわたる合宿形式での新採用職員研修の途中で伝達されることになっていたため、迂闊にアパートなど借りるわけにはいかなかったのだ。新潟県庁本庁舎内の職場であれば新潟市内に借家となるが、場合によっては実家から通える出先事務所になるかもしれない。いずれにしても任地が確定してから急遽住まいを決めるしかないという状況だった。
 そんな、いわばモラトリアムのような実家暮らしはどんな風であったか。地元柏崎市での小、中、高校生時代の学友で、現役で大学に進学して留年せずに就職する私と同様の者がいれば、久々とばかりにつるんで遊び飲み歩きたいところであったが、何人か心当たりに電話すると、東京の私立大学へ進学していた者が多かったのだが、彼らはそのまま都内で就職する者が多く、入社準備などで帰省するいとまもないとのことだった。私の大学時代の友人というのも何故か県外出身者が多く、就職で地元に帰るなどしていて相手になるものがいない。そんなわけで気持ち的には学生生活最後の春休みを打ち上げ的に騒ぎたくもあったのだが、毎日一人で柏崎市内の海岸線をジョギングしてみたり、好きな洋楽を存分に聴いたりしては、刻刻と過ぎていく日々に人生の自由な時期がいよいよ無くなりつつあるなあなどとしみじみしていた。
 昭和62年4月1日水曜日。週末までの寝泊まりグッズをスポーツバッグに詰め込んで高速バスで新潟県庁へ赴いた。新潟県庁舎の西回廊講堂に集まった100名弱ほどの新採用職員達は、君健夫知事(当時)から採用辞令を一人ずつ神妙な面持ちで受け取ると、そのまま大型バスに分乗して新潟市の西の外れ(当時)にある「自治研修所」に移動した。
 ベッド2組が備え付けられた相部屋に2人ずつが振り分けられて荷物を置くと、いよいよ4月14日まで2週間にも及ぶ合宿研修がスタートした。20人程度の4つくらいのクラスに分けられて地方公務員として心得ておくべき制度や決まり事、新潟県職員として知っておくべき政策や計画、事業や取組みなどについて、基本的には講義形式の座学により、我々は次々と詰め込まれていったのだ。
 昭和の当時は、見知らぬ同士は酒を交えて親睦を深めるというのが常識的な通念であった。新採用職員研修はせっかくの宿泊型であり、帰宅を気にせずに呑めるということで、研修所事務方が仕立てた懇親会が歓迎と打ち上げの意味合いのものが2回ほど、それ以外の日も毎晩のように、研修所の食堂で夜な夜な、意気投合したグループが小宴会を開いていた。研修所は市街地を離れた田園の真ん中にあったのだが、研修も後半になってくると食堂では飽き足らず、門限厳守ではあったがタクシーで近くの繁華街まで出掛ける向きも出ていた。
 毎朝決まった時間に起床して、ラジオ体操をして、食堂でしっかりと朝食を摂り、日中はみっちりと講義を受けて、毎夜のように懇親を深める。こんな規則正しく健康的な生活は随分久方ぶりで、2週間もすれば昔の健全な身心に戻れそうだなあと、皆口々に言っていた。研修の最大の狙いはだらけた学生時代を過ごしてきた若者をリセットすることが最大の目的だったのかもしれない。
 2週間のうち、土曜の午後から日曜の一日は暦通りの休日であり、よほどの事情がなければ皆が退屈な研修所に居残ることはしたくなかったので、大方が県内の実家に帰宅したようだ。研修所から最寄りのJR越後線「内野駅」は、私の実家に近い「東柏崎駅」へ1時間ほどの一本路線だったので、私は都合よく帰省できたものだ。
 その年は4月に入ってから寒風が続く天候だったが、月曜からの研修再開に備えて前泊するため、日曜の午後に実家を出て内野駅近くの中華料理店で軽い夕食を済ませて研修所への約2km20分ほとの道を歩いていると、けっこうな季節外れの吹雪に見舞われた。「厳しい先行きの暗示なのかなあ」などとふと頭をよぎったのだが、それがまんざら思い過ごしではなかったことは、その後の激動の任務地内示で思い知らされることになるのだ…。

(「新潟独り暮らし時代60「久々で僅かな実家暮らし」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代61「新採用で独身寮の衝撃(その1)」」に続きます。)
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