●鈴木辰治ゼミで目覚める2年目
鈴木辰治教授がドイツ客員教授から新潟大学へ復帰されての2年ぶりのゼミは、先輩がおらず、教授も自主性尊重(放任?)主義ではあるもののゼミ長の私なりに暗中模索で頑張った思いがあり、ブラジル人留学生との研鑽や世界に名の知れたエンジニアリング企業の役員との面談などイベントも行えたのだが、対外的にその名を知らしめるような活動といえるものは無かった。
なので、経済学部内の往年の人気ゼミに比べて認知度は低かったから、後輩となる3年生が入ってくれるのか不安であった。一応なりともゼミ長をやっていたので、先輩が残したガリ版刷りのゼミ冊子によれば歴史と伝統のある鈴木辰治ゼミが、私の代以降に尻すぼみのようなことになっては面目が立たない。
明けてみると男子4人女子4人が受講してくれることに。どうやら他の人気ゼミに抽選で漏れた向きが殆どらしい。初回の顔合わせでのゼミ長としての挨拶では、残念でしたねと慰めの言葉も掛けたが、何でも始めてみれば面白さや楽しみも何かしらあるものだし、大学生は、先生に教えられるのを待つのではなく、自分自身でそれを見い出すべきであり、自主性を重んじる鈴木辰治ゼミはうってつけだよと励ました。
ゼミ長の私としては、一年目に殆ど成果を上げられなかった鈴木辰治ゼミのテーマである経営組織論について、何とか今年は本気で何か目に見える形にしたいという意気込みもあった。そのための英知は多い方が良い。新3年生には、最初が肝心とばかり、ゼミ研究への真摯な注力を促したかったのだ。
私がリーダーとして先輩風を吹かして鼻息荒くゼミ員をアジったところで、遅れて鈴木辰治教授が教室に入ってこられた。「20人も居てちょうどいいねえ」とかなんとかつぶやくと、「来週の次回ゼミは顔合わせ親睦を兼ねてソフトボールでもやるか」とおっしゃる。意気込むゼミ長の激に緊張が漂っていたゼミ員達はズッコケ気味になり、一気に場が和んだ。
そんな訳で2年目の鈴木辰治ゼミは、他のゼミが教室でテキストを読み合って議論を始めているのに、春の心地よい晴天の下で大学構内のグラウンドに繰り出して、はなからソフトボールでプレイボールという破天荒さで幕を開けた。
こんなお遊びに興じていて就活を控えた俺たち4年生は大丈夫か…。新入り3年生の小柄な女子学生のピッチャーを前に打席に立つとなおさら苛ついたが、本格的なアンダースローのフォームからとんでもない速さの球が繰り出されて、驚きで思わず見送ってしまった。そしてついに三球三振。聞けば彼女は高校生までソフトボールの選手だったというのだ。
ゼミ長などと威張ってみても3年生に学問でしてやられるのは逆に私の方なのかも知れない。一からやり直すつもりで大学生最後の学年に向き合おうと決意させるには良い目覚ましになった「歓迎ソフトボール大会」だった。
(「新潟独り暮らし時代52「鈴木辰治ゼミで目覚める2年目」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代53「深夜の研究室での就活試験勉強(その1)」」に続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆新潟久紀ブログ版で連載やってます。
①「へたれ県職員の回顧録」の初回はこちら
②「空き家で地元振興」の初回はこちら
③「ほのぼの日記」の一覧はこちら
➃「つぶやき」のアーカイブスはこちら
なので、経済学部内の往年の人気ゼミに比べて認知度は低かったから、後輩となる3年生が入ってくれるのか不安であった。一応なりともゼミ長をやっていたので、先輩が残したガリ版刷りのゼミ冊子によれば歴史と伝統のある鈴木辰治ゼミが、私の代以降に尻すぼみのようなことになっては面目が立たない。
明けてみると男子4人女子4人が受講してくれることに。どうやら他の人気ゼミに抽選で漏れた向きが殆どらしい。初回の顔合わせでのゼミ長としての挨拶では、残念でしたねと慰めの言葉も掛けたが、何でも始めてみれば面白さや楽しみも何かしらあるものだし、大学生は、先生に教えられるのを待つのではなく、自分自身でそれを見い出すべきであり、自主性を重んじる鈴木辰治ゼミはうってつけだよと励ました。
ゼミ長の私としては、一年目に殆ど成果を上げられなかった鈴木辰治ゼミのテーマである経営組織論について、何とか今年は本気で何か目に見える形にしたいという意気込みもあった。そのための英知は多い方が良い。新3年生には、最初が肝心とばかり、ゼミ研究への真摯な注力を促したかったのだ。
私がリーダーとして先輩風を吹かして鼻息荒くゼミ員をアジったところで、遅れて鈴木辰治教授が教室に入ってこられた。「20人も居てちょうどいいねえ」とかなんとかつぶやくと、「来週の次回ゼミは顔合わせ親睦を兼ねてソフトボールでもやるか」とおっしゃる。意気込むゼミ長の激に緊張が漂っていたゼミ員達はズッコケ気味になり、一気に場が和んだ。
そんな訳で2年目の鈴木辰治ゼミは、他のゼミが教室でテキストを読み合って議論を始めているのに、春の心地よい晴天の下で大学構内のグラウンドに繰り出して、はなからソフトボールでプレイボールという破天荒さで幕を開けた。
こんなお遊びに興じていて就活を控えた俺たち4年生は大丈夫か…。新入り3年生の小柄な女子学生のピッチャーを前に打席に立つとなおさら苛ついたが、本格的なアンダースローのフォームからとんでもない速さの球が繰り出されて、驚きで思わず見送ってしまった。そしてついに三球三振。聞けば彼女は高校生までソフトボールの選手だったというのだ。
ゼミ長などと威張ってみても3年生に学問でしてやられるのは逆に私の方なのかも知れない。一からやり直すつもりで大学生最後の学年に向き合おうと決意させるには良い目覚ましになった「歓迎ソフトボール大会」だった。
(「新潟独り暮らし時代52「鈴木辰治ゼミで目覚める2年目」」終わり。仕事遍歴を少し離れた独り暮らし時代の思い出話「新潟独り暮らし時代53「深夜の研究室での就活試験勉強(その1)」」に続きます。)
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