新潟久紀ブログ版retrospective

燕市企画財政課28「あっという間の2年間で放置の果てに内示電話(その2)」編

●あっという間の2年間で放置の果てに内示電話(その2)

 平成30年3月30日の金曜日。燕市役所への2年間の出向勤め最終日は始まりと同じ金曜日。その日になってみれば月並みだが「あっというま」に来てしまったという感じなのだ。
 他の役所はどうか知らないが、燕市では国や県など他団体からの出向者に対しても、定年退職者と共に全く同じようにお別れのセレモニーをしてくれる。講堂に集められた私を含めた本日限りの職員達は、一人ひとり順番に市長から退職辞令や出向終了辞令を直接手交されていく。この別れ際に握手するのが今の燕市長流だ。私も万感のお礼の気持ちとともに市長と目を合わせて固く握手をした。会場には残留する係長以上ほどの職員達がオーディエンスとして見守ってくれているのだか、辞令手交に続いて、部単位で数名ずつ皆さんの前に並び、若手職員などから花束を贈呈された。辞令に花束。こうなると、定年でもないのに私も本当に円満に退職するかのような錯覚に陥る。心に温かいものが込み上げ何とも言えない円満な終わりを感じさせるのだ。
 辞令と花束のセレモニーを終えると、私も含む退職者の一団は一列になって階段を降り、市役所の職員通用門へと向かい、そこで市役所を立ち去るのだという。通用門前の駐車場では手すきの職員達が集まり、退職者に労いの声掛けをしたりお別れの握手したりで大変なにぎやかさになる。プロパー退職者達は思い残すことのない表情でそのまま帰宅の途についた。私はハタと気付いた。プロパー職員の退職者達はこのセレモニーのシナリオを熟知しているので、このセレモニー開始前までに職場の私物を整理して引き上げているか、もしくは、近隣在住者であれば明日土曜に登庁して最後の整理をすれば良い。しかし、私は片道小一時間の通勤者であり、片付けのためだけにまた登庁するのは面倒だ。本日中に荷物を整理し全て車に積み込んで引き上げなくてはならない。こんなことなら昼休みのうちにでも対処しておくべきであった。定年退職者が涙ながらに帰路につくのを横目に私は職場の自席に戻り机周りやロッカーなど最後の片付けを始めたのだ。
 「あれ、賑々しく送り出されたのに、舞い戻ってきたんですか」と若手の部下に冷やかされる。軽口で笑いあえる関係にまでなったというのにお別れとは、決まり事とは言えしみじみとするものだ。なんとか就業時間頃には持ち帰る荷物をまとめ上げて、台車を借りて手すきの部下に手伝ってもらいながら、駐車場に止めた車へと向かう。ワイワイ言いながら車に積み終えると、部下たちに心の底から謝意を申し伝えた。2年間で当たり前のようになった燕市役所への通勤が本日で終わる。「また来週月曜日に」と言ってしまいそうだ。心中には何とも言えない思いがあふれるようだ。見えなくなるまで手を振ってくれる部下をバックミラーで見ながら、慣れ親しんだ市役所を後にした。
 終わりがあれば始まりがある。異動は役所勤めの醍醐味でもある。県庁から市町村役場など他団体への出向者は、若手職員から私のような管理職まで幅広く、毎年常に数名程度は居る。聞けば若手の皆さんは出向中に年に一二回は県本庁の人事担当部署に呼ばれて状況報告や意見交換の会など催されているようだが、私のようなロートルは2年の間、全くの放置であった。2年目の終わりも間近の県職員への異動内示発令日に人事課長から初めて私宛に電話が一本。「あなたは4月から県民生活・環境部の新潟暮らし推進課の課長になります」という。私なりに想定していた幾つかの部署とは違ったが、所詮は"宮使い"であり、異動内示に是非もない。少なくともまた県本庁で使ってもらえるようだ。
 2年の燕市役所勤めの感慨深さに浸る今この時ではあるが、明後日の4月1日には全く頭を切り替えて新たな仕事に臨む。それが公務員なのだ。

(「燕市企画財政課28「あっという間の2年間で放置の果てに内示電話(その2)」編」終わり。燕市役所の企画財政課長への出向を終えて、県庁復帰最初の職場となる新潟暮らし推進課の回顧録「新潟暮らし推進課1「小さな課の引継で大きな不安」編」へと続きます。)
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