新潟久紀ブログ版retrospective

新潟暮らし推進課1「小さな課の引継で大きな不安」編

●小さな課の引継で大きな不安

 燕市への企画財政課長としての出向が2年の期限を迎える平成30年3月の半ばに、県庁の人事担当から電話で知らされた4月からの職務の内示は、「県民生活・環境部の新潟暮らし推進課の課長」であった。
 昔から県庁の中にどんな部署があってどんな組織改正が行われているかには関心があったし、若いころに行政改革に関する業務で全庁的に組織体制について点検した経緯もあり、大抵の職場で何をやっているかのあらましは承知していた。新潟暮らし推進課は、進学や就職を契機として若い人を中心に人口減少が深刻化する新潟県において、そうした「社会減」といわれる課題への対応を検討し、定住移住を推進する部署であったと思う。知事の肝いりでこの部署が創設されてから既に3年が経過している。課題の抽出と対応方策などの企画調整は大方が整理されているに違いない。県民生活・環境部という事業部局に在しているのだから具体の施策や予算事業の推進に専念できるのだろうと想像した。
 そんな認識で年度末に現任の課長から引き継ぎを受けるために県庁13階に赴いた。職員録で予め9人体制という小所帯であることは承知していたが、実際に課を訪れてみると本当に小さい。課長、補佐、2人と5人の班が二つの総勢9人。燕市で初めての課長職として率いていたよりも少ない職員体制を見て、なおさら、東京圏の若者などを新潟暮らしに誘い込むためのイベントなどの事業を淡々と推進する仕事になるのだろうなと感じた。班の1つが「人口問題対策班」などと大仰な名称がついているのだが、スタッフは係長格の経営企画員と主任の僅か2人であり、定型的な調査や統計等の整理を担う程度なのだろうなと高をくくったのだ。
 私が課長職を引き継ぐ前任者は、新行政推進室に勤務した時の同僚であり、よく知っている人だったので、引継の打合せを前にした挨拶と簡単な雑談が和やかなものだった。課長の隣に座る課長補佐も初めて同僚になるとはいえ、財政課時代以降いろいろと仕事でご縁のある旧知の人であり、しかも3年前の当課創設から在籍し、私の補佐で4年目を迎えるということであり、安心だし頼もしい限り。3年ぶりの県庁復帰に際しては申し分の無いスタートが切れそうだ。
 先ずは安堵感を得て現課長と二人で会議室に移動して具体の引継を始めると、どうも雲行きが怪しくなってきた。この3月になって、人口問題対策を検討する全庁としての体制が大きく転換されることになったというのだ。これまでは、知事を座長として過疎地の市町村長、産業や少子化に関連する部局長等による人口問題対策会議を定期的に開催し、論点ごとの議論を通じて政策の企画調整に活かしていこうというものであり、新潟暮らし推進課はその事務局として知事がリードする議論の場の設営を淡々としてきたのだが、知事や首長レベルの大きな方向感については議論が尽くされたので、今後は具体の施策や事業展開の実効性を高めるための実務に近いレベルでの検討体制に見直すこととなったというのだ。
 人口問題は大きく二つの要因による。新潟県から出て行く人が入ってくる人より多いという「社会減」と、新潟県内で亡くなる人が生まれる人より多いという「自然減」だ。それぞれについて二人の副知事が分担して座長に就き、関係する各部局の課長で構成する「社会減対策」と「自然減対策」の二つの「人口問題対策ワーキングチーム」を新たに発足させることになったのだ。年度末に来てその方針が決定したものの、体制の具体的な運用については全く詰められていないという。私は白紙の状態から企画調整しなくてはならない。しかも、直近の議会では、人口減少対策の重要性と喫緊性に基づき、ワーキングチームによる対応は速やかに進めるとの意思表明がされていたようなので、時間が無い。いやいや市役所出向からの復帰と同時に懸案対応か。これまでの不運と難題続きを振り返るともはや苦笑いしかできない私だった。

(「新潟暮らし推進課1「小さな課の引継で大きな不安」編」終わり。県職員として11箇所目の職場となる新潟暮らし推進課の回顧録「新潟暮らし推進課2「人口減少対策ワーキングチーム開催を前に大事件」編」に続きます。)
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