●不思議なおばちゃん達と僕(その9) ※「連載初回」はこちら
親や関わりある親族について先行きを考えるときは、誰がいつ頃に介護が必要になりそうで、その時は誰がどう対応するかなどシミュレーションするものだが、年齢の高い順から手か掛かるようになり、次の世代が世話をして看取っていくというのが基本になると思う。亡くなった僕の祖母の妹であるおばちゃん達3人については、皆が70歳代前後であり、老化や病気による不調などが何時生じてもおかしくない頃合いに入っていたが、現実的には、まだまだ活動的な50歳代で、子育ても終えて生活にゆとりも出来た僕の父母が対応することになるだろう。僕の具体的な出番は無いままに3人とも逝き送られる公算が高いなあと考えていたのだ。
ところが、"番狂わせ"は突如訪れた。平成5年5月3日の深夜に僕の父が57歳で急死してしまったのだ。春の連休で帰省した僕と、ほんの5時間ほど前まで仕事の話などを肴に酒を酌み交わして談笑していたのに、就寝後しばらくしての夜中に急に胸部痛を訴え苦しみ、そのまま意識を失ってしまった。到着した救急隊員からは既に手の施しようがないと言われ、救急車に僕が同乗して市内の病院の時間外救急センターにて医師から父の死亡宣告を受けた。心筋梗塞だという。死にゆく過程でしみじみとお別れなど叶わない発作からほんの一時間ほどの出来事だった。
昼夜なく仕事に遊びに飛び回っていた僕の父の生涯については語る機会を別に待つこととして、残された母と高齢のおばちゃん達の今後については、一気に現実的な責任が目の前に見えてきた。
母は、中学卒業しただけで自らの意思で工員として就職したほど勉強としての読み書きが嫌いで、家事や家族の身の回りの世話などには精を出すものの、契約書を交わすような対外的で面倒な手続きなどは勤め先で営業マンでもあった父が担っていた。なので、年老いたおばちゃん達について、その時点でのように、比較的に自律的生活ができている状況で軽度の世話や買い物などの手伝いをしたりするのは母で大丈夫なのだが、遠からず福祉制度のお世話になるといったことになれば、僕が関係者とやり取りをする必要が出てきそうだ。うまい具合に父が無くなる前の年まで県の出先機関である福祉事務所に勤めていた僕は、福祉関係の施策や特別養護老人ホームへの入所手続きなどに加えて、ケースワーカーとしての現地訪問を通じて施設の現場や職員達の仕事ぶりなど臨場感ある知見も有していた。
一方で、そうした予備知識を得る過程で、家族で対応しきれない老人の介護が必要になると、程度による在宅か入所かや、本人の好き嫌いや施設の受け入れ態勢の適性など、色々な意味での相性の"嚙み合わせ"に難儀した経験があることから、かえって気持ち的に楽観を許さないのだ。
現代ではまだ若いとさえ言える57歳で伴侶を失って気落ちする母のことが気掛かりであり、父の死に伴ってあれこれの手続きも思った以上にあることから、今までは長い休みにでもならないと実家に寄り付かなかった僕は、しばらくの間、頻繁に帰省を重ねることになる。そうしていると自然とおばちゃん達の近況も随時伺い知れて、3人とも元気に過ごしている雰囲気を見ると、当面は僕の出番は無さそうだなと安堵したりしていた。一方で、大学進学と同時に地元を出て、県内ではあるが所帯を構えた街での暮らしが結構長くなった頃合いで実家へ頻繁に帰省を重ねるようになったことは、僕に別の気づきを与え始めた。
ところが、"番狂わせ"は突如訪れた。平成5年5月3日の深夜に僕の父が57歳で急死してしまったのだ。春の連休で帰省した僕と、ほんの5時間ほど前まで仕事の話などを肴に酒を酌み交わして談笑していたのに、就寝後しばらくしての夜中に急に胸部痛を訴え苦しみ、そのまま意識を失ってしまった。到着した救急隊員からは既に手の施しようがないと言われ、救急車に僕が同乗して市内の病院の時間外救急センターにて医師から父の死亡宣告を受けた。心筋梗塞だという。死にゆく過程でしみじみとお別れなど叶わない発作からほんの一時間ほどの出来事だった。
昼夜なく仕事に遊びに飛び回っていた僕の父の生涯については語る機会を別に待つこととして、残された母と高齢のおばちゃん達の今後については、一気に現実的な責任が目の前に見えてきた。
母は、中学卒業しただけで自らの意思で工員として就職したほど勉強としての読み書きが嫌いで、家事や家族の身の回りの世話などには精を出すものの、契約書を交わすような対外的で面倒な手続きなどは勤め先で営業マンでもあった父が担っていた。なので、年老いたおばちゃん達について、その時点でのように、比較的に自律的生活ができている状況で軽度の世話や買い物などの手伝いをしたりするのは母で大丈夫なのだが、遠からず福祉制度のお世話になるといったことになれば、僕が関係者とやり取りをする必要が出てきそうだ。うまい具合に父が無くなる前の年まで県の出先機関である福祉事務所に勤めていた僕は、福祉関係の施策や特別養護老人ホームへの入所手続きなどに加えて、ケースワーカーとしての現地訪問を通じて施設の現場や職員達の仕事ぶりなど臨場感ある知見も有していた。
一方で、そうした予備知識を得る過程で、家族で対応しきれない老人の介護が必要になると、程度による在宅か入所かや、本人の好き嫌いや施設の受け入れ態勢の適性など、色々な意味での相性の"嚙み合わせ"に難儀した経験があることから、かえって気持ち的に楽観を許さないのだ。
現代ではまだ若いとさえ言える57歳で伴侶を失って気落ちする母のことが気掛かりであり、父の死に伴ってあれこれの手続きも思った以上にあることから、今までは長い休みにでもならないと実家に寄り付かなかった僕は、しばらくの間、頻繁に帰省を重ねることになる。そうしていると自然とおばちゃん達の近況も随時伺い知れて、3人とも元気に過ごしている雰囲気を見ると、当面は僕の出番は無さそうだなと安堵したりしていた。一方で、大学進学と同時に地元を出て、県内ではあるが所帯を構えた街での暮らしが結構長くなった頃合いで実家へ頻繁に帰省を重ねるようになったことは、僕に別の気づきを与え始めた。
(空き家で地元貢献「不思議なおばちゃん達と僕」の「その10」に続きます。)
※"空き家"の掃除日記はこちらをご覧ください。↓
「ほのぼの空き家の掃除2020.11.14」
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