新潟久紀ブログ版retrospective

R6.9.16-R6.9.22新発田地域振興局長の細々日記

新潟県の出先機関に身を置き、少しは地域のお役に立ちたいと思う日々。
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●令和6年9月16日(月)
前日に豪雨が短時間で済んで安堵の祝日を過ごしていたら、我が新発田地域振興局管内の県道が土砂崩れで不通との電話連絡があり、被害対応のため緊急出勤する。道路管理担当部署と打ち合わせながら本庁防災局等と連携して、被災道の先の宿泊施設滞在者の救援等を調整した。雨は止んだ後も気が抜けない。

●令和6年9月17日(火)
9月初旬に東京の親族からどの店舗を探しても米が無いとSOSが。丁度買ったばかりの新潟産コシヒカリを送り、暫くして新潟市内を見て回ると売り切ればかり。米どころなのに仰天したが県外の親族に送る県民続出も一因とか。育った郷土を去った人に食糧まで送る我ら新潟県民の健気さが報われることを祈る。

●令和6年9月18日(水)
新発田市と胎内市にまたがる”日本一小さな”「櫛形山脈」への誘客増進に向けて、両市で活動するヒト達と意見交換した。面白みある豊富な歴史話や学術的にも美しさでも価値ある多種の桜木など、魅力満載の地域資源であることを皆で再確認。各々の取組を具体に連携させる実効ある提案などで意気投合できた。

●令和6年9月19日(木)
新潟県企業局が展開する東部産業団地のPR資料が更新されたとのことで、当該地域を所管する新発田地域振興局へ担当課長さんが来訪してくれた。企業立地等により大方は処分済みだが、産業構造の変化等を見据えて貴重な用地が有効に活用され続けるよう現場感のある情報などを適宜提供していきたいものだ。

●令和6年9月20日(金)
山間の一本道の崩落を受けてその先の滞在者の避難調整などを短時間で対処したが、メディアは生命財産の安全確保が迅速にできた事よりも、役所が事案を即時に公表しなかったことを大きく見出しに。物事の本質を見抜き人々に真実を伝えるべきジャーナリズムは独善的な揚げ足取りに力を入れ過ぎてないか。

●令和6年9月21日(土)
実家の高齢の母がキャニスター型掃除機の扱いに難儀し始めたので、スティック型を見に電気店へ同行する。ダイソンのサイクロン式など高価だろうな思っていたら多くの社が様々に差別化して価格も幅広くて驚く。充電稼働時間など機能で迷っていたら母がこれだと即決。持った時のフィット感が重要らしい。

●令和6年9月22日(日)
実家近くに住む母の友人のお土産だというバームクーヘンを頂く。豪華客船で新潟から函館まで二泊三日の旅では、高齢化の中で近所に相手が少なくなった社交ダンスを思う存分楽しんだのだという。八十歳を超えてもお元気な女性は多い。菓子の包装も土産話を聴きながらだと絵柄も楽し気に見えて不思議。

(「R6.9.16-R6.9.22新発田地域振興局長の細々日記」終わり。「へたれ県職員の回顧録」の「仕事遍歴」シリーズで現在進行形の日記形式「R6.9.23-R6.9.29新発田地域振興局長の細々日記」続きます。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
「活かすぜ羽越本線100年」をスピンオフ(?)で連載始めました。

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