自己内観ブログ


2024年秋分を経て太陽からの強いエネルギーを浴び心身の変容を感じ共感の輪を広げるべく様々な閃きを綴ります。

今年のお盆

2018-08-17 17:27:00 | 日記
昨日は、朝から大雨でしたが、夕焼けの頃になると西の空の一部だけが明るくなり始めました。

お盆でこちらと繋がりやすくなっていた御霊があちらに戻られる知らせのような気がしてその少し明るい西の空を見ながら、蝋燭をともし静寂の中にひたりました。



今年のお盆の扉も締まるのだと思うと、どことなく寂しい気がしました。
たくさんの、エネルギーを感じたお盆でしたから...

思えば、私は仕事柄、若い頃からあちらに旅たたれる方をたくさんお見送りしました。
当時は、仕事として儀式的にお見送りをしていたようにも思いますし、そうしないとまだ、未熟な自分には、受け止めれない深いものがあったのでしょう。
もう少し、魂を込めてお見送りをすれば良かったのにと思ったりもしていました。

そういうことも含めて、今年のお盆は、たくさんの関わりのあった魂を身近に感じることができました。
そのためなのか?かなり眠いお盆でした。

このように書きますと、信仰深いように思われるかもしれませんが、お墓参りもお仏壇参りも今年はしていないのです。
そういった決められた日に限らず、お参りしたいと思う時にしていると言った方が的確かもしれません。


そんな中、今年のお盆でエピソード的に面白かったのは、10年ほど前にあちらに逝った身近な親族が、珍しくビールを飲みたいと伝えて来たので、しぶしぶお供えしました。しぶしぶと言うのは、アルコールで体を壊して早いうちにあちらに逝ってしまったからです。
でも、10年過ぎてホトボリが覚めたと思ったのか?
伝えてきたのです( ´△`)
あちらに逝った魂は、もう苦にもしていないのですが、私が、かなりこだわっていたために10年も経ってしまったのかもしれませんね(._.)

儀式や宗教を否定するものでは、ありませんが、あちらに逝った魂とは、愛があればお墓やお仏壇の前に立たなくても、いつでも繋がれると思っています。
肉体を脱いであちらに逝っただけで、いつでも繋がれると思うのです。

ただ、こちらに残った人が、良し悪し関係なく、こだわりが強すぎると執着となりあちらに逝った魂と繋がりにくくなるようです。
あちらに逝った魂は、いつでもこちらが理解できていますから、こちらが平穏にならないと繋がりにくいのかもしれませんね...


つまり、見える見えない関係なくすべては、自分の心の持ち方次第ということかもしれませんね。

そして、その心の状態に合わせてあちらに逝った魂は、何か必要なことを知らせてくるのかもしれません。

コメント
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