黒田晴美の子育てとコーチングと「わたし」

神戸でコーチをしている黒田晴美です。子育て中のママや夢に向かって一歩踏み出したい方のサポートをしています。

私のひび割れ

2010年01月28日 | はるの成長日記
徳島家庭教育コーチ養成講座の第1期の受講生で、
マイミクさんでもあるユッキーさんが、
素敵なお話をシェアしてくださっていたので、
皆さんにもお伝えしますね。

子育てコーチングを実践されている様子も書かれているこの記事
とても参考になると思います


『ひび割れ壺』

インドのある水汲み人足は二つの壺をもっていました。
天秤棒の端にそれぞれの壺をさげ、
首の後ろで天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。
その壺のひとつにはひびが入っています。
もうひとつの完璧な壺が、小川からご主人様の家まで一滴も水をこぼさないのに、
ひび割れ壺は人足が水をいっぱい入れてくれても、
ご主人様の家に着くころには、半分になっているのです。

完璧な壺は、いつも自分を誇りに思っていました。
なぜなら、彼がつくられたその本来の目的をいつも達成することができたから。
ひび割れ壺はいつも自分を恥じていました。
なぜなら、彼がつくられたその本来の目的を
彼は半分しか達成することができなかったから。

二年が過ぎ、すっかり惨めになっていたひび割れ壺は、
ある日、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。
「わたしは自分が恥ずかしい。そしてあなたにすまないと思っている」
「なぜそんなふうに思うの?」
水汲み人足はたずねました。
「何を恥じているの?」

「この2年間、私はこのひびのせいで、
あなたのご主人様の家まで水を半分しか運べなかった。
水が漏れてしまうから、あなたがどんなに努力しても、
その努力が報われることがない。私はそれがつらいんだ」
壺は言いました。

水汲み人足は、ひび割れ壺を気の毒に思い、そして言いました。
「これからご主人様の家に帰る途中、道端に咲いているきれいな花をみてごらん」

天秤棒にぶらさげられて丘を登っていくとき、
ひび割れ壺はお日様に照らされ美しく咲き誇る道端の花に気付きました。
花は本当に美しく、壺はちょっと元気になった気がしましたが、
ご主人様の家に着くころには、
また半分に漏らしてしまった自分を恥じて、
水汲み人足に謝りました。

すると彼は言ったのです。

「道端の花に気付いたかい?花が君の側にしか咲いていないのに気付いたかい?
僕は君からこぼれおちる水に気づいて、君が通る側に花の種をまいたんだ。
そして君は毎日、僕たちが小川から帰る途中水をまいてくれた。
この2年間、僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。
君があるがままの君じゃなかったら、
ご主人様はこの美しさで家を飾ることはできなかったんだよ。」

作者不詳 菅原裕子訳

子どもの心のコーチング―ハートフルコミュニケーション 親にできる66のこと
菅原 裕子
リヨン社

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訳をされているのは、
NPO法人ハートフルコミュニケーションの菅原裕子さんです。



この日、私は前日に留守電を入れていてくれた高校時代の友人へ電話をしました。

用件は、今年開催する予定の同窓会の事でした。
今年は卒業20周年という節目でもあるから、
先生方もお呼びしてきちんとやろうと思っているという話の流れで、

「そういえばさ、Mっち、今年で学校辞めるみたいだよ?」
「え?マジ?まだ定年じゃないんじゃない?」
「でも、卒業してもう20年だから、あの時45歳でももう65歳だよ!」
「だけど、Mっちは先生の中でも若手だったから、あの当時でもまだ30代だったんじゃない?あれでも(笑)」
「ほら、Mっちってさ~、部活の顧問してくれてたから、何ていうか思い入れあるんだよね~。
ま、私は途中で辞めちゃったんだけどさ!なんか今でもひっかかってるんだよね・・・」

「ま、あなたの場合はいいんじゃないですか~。
ただ辞めたわけじゃなくって、そのあと一代築いたわけですから。」



「一代築いた?そっか、そうかな?」

「そうだよ。ただ辞めてぶらぶらしてたわけじゃないでしょ。」


そう。部活を辞めた後、私は友達と一緒にバトン同好会を立ち上げました。
その同好会は、部員数や活動状況などの条件を満たして、
私たちの卒業後、晴れて部に昇格しました。
そして、今でもその活動の様子を同窓会報などで知ることができます。
そっか、バトン部も創部20年になったんだ


今朝、『ひび割れ壺』の話を読み返していて、
ストンと胸におちました。

やりたいことがあって入った部活を辞めてしまったことは、
私にとっての「ひび割れ」でした。
だけど、辞めたことによって、それまで思いもよらなかった
新しい世界を作り上げることができました。
これが、私にとっての「花」。
そして、彼が「水汲み人足」(笑)

水汲み人足にひび割れててもいいじゃん!
だからこそ、花があるんでしょ、といってもらえて
私はこれでいいんだ!と素直に思えました。

そして、思いがけず水汲み人足が花を評価してくれているのが嬉しかった。

どこかでね、「お前、辞めちゃってさー」と思われてるかもって、
ずっと思ってたからかも。
実際、卒業の時にクラスで作った文集にも、
他の部員から「すごいと思っていたのに辞めちゃったから残念でした」と書かれていて(苦笑)
その言葉は、決して私を責めるものではなくて、
本当に残念だったね、という気持ちで書いてくれたことはわかっているのですが、
私自身の心のわだかまりで、どうしても「辞めた」というところにフォーカスしてしまっていました。

気にしてたんだなー、私。20年以上も!(爆)


本音をいうと、これからも部活を辞めたことは私の心の中に残ると思います。
だけど、今までのように必要以上にそれを卑下することはなくなるんじゃないかな。


私は、私でいい。


ありがとう、水汲み人足!
今度会ったらお礼をいうよ。

素敵な人たちに囲まれて、私は幸せだ

別にいい人じゃなくっていいんです。

2010年01月28日 | はるの成長日記
コーチングを勉強し出して、楽になったことのひとつに人づきあいがあります。

自分だけが正しいと思わなくなったこと。
人と違っていてもいいんだと思えるようになったこと。
相手に自分の考えを押しつけなくなったこと。

そして、もうひとつ。

相手が誰であろうと、同じ目線になること。

これは「箱」でいうところの、
人を人としてみるということですね。



あの人、嫌だな、と思ったら、
その気持ちも自分でちゃんと受け止めてあげましょう。

それを感じるのはあなたの自由です。


すべての人に公平でなければならないとか、
平等でなければならない。
誰とでも同じように仲良くしなければならない。

確かに、そういう人もいるかもしれません。


だけど、まずあなた自身を大切にしてあげることも必要だと思うのです。


「あの人の事、嫌い!」
そう思っている自分の心に対して、
「そんなこと思っちゃダメだよ」
と返しているのなら、それを、
「ふ~ん、そうなんだ。あなたはあの人が嫌いなんだね」
という言葉に変えてみたらどうでしょう?

(あ、これ、子どもがお友達の悪口をいったときにも有効です)

別に、無理に仲良くする必要もありません。


自分の心と向かい合っているうちに、
自分が相手に対してどの立ち位置にいるかが見えてきます。

上からみていますか?
下からみていますか?

そして、相手のことがストンと胸に落ちた時、
あなたは、相手と同じ位置に立てるのです。

それが、箱から出た状態。

「あなた」←→「わたし」


本当は、人間ってみんなこうなんだと思います。

幸せになる秘訣はそんなところにあるのかも。

承認の天才

2010年01月28日 | はるの子育てコーチング日記
今日はMEGさん、朝からキャラ弁づくりに頑張っていたようですね。

我が家の風も今日は、サッカー大会。
試合に出場するのは、年長さんなのですが、
年中さんも来年出場する際の雰囲気を味わうため、
一緒にバスに乗って、遠くの体育館へでかけるため今日は我が家もお弁当。

8時までに登園してください。の連絡に、
大変!と思っているのは、どうやら子どもたちよりも保護者の方で(笑)
子どもたちは、先生のいいつけをきちんと守って、
昨日は早くベッドに入って、今日の早起きに備えたようです。
中には、自分で目覚まし時計をセットした子もいたみたいですよ!

今回は、キャラ弁ではなく冷凍食品のアンパンマンポテトでごまかしてしまったのですが、
(MEGさん、他にも最初っからキャラの模様に切ってある海苔とかも売ってますよ~)
シンケンジャー弁当、作ってあげたら風もきっと喜ぶだろうな~。

とにもかくにも、そんな手抜きでも愛情だけはこもっているお弁当、
風はすっごく喜んでくれます。
もう嬉しくって嬉しくって、何度もお弁当箱をのぞいています。

お弁当の日は、ついつい帰り道で
「何が美味しかった?」と聞いてしまうのですが、
風はいつもきまって、
「ママのお弁当、全部おいしいよ!」
といってくれるのです。

そう、苦手なトマトが入っているときでも、
「ちゃんとトマト食べられたよ。おいしかったよ」
といってくれます。
苦手なものでもちゃんと食べてくれますが、
2個ずついれていたプチトマトを1個、
こっそり花ちゃんのお弁当へ入れようとしていたことはありました(笑)

オイタをして、
「そんなことしてたら、今度のお弁当、蓋を開けたら全部トマトのトマト弁当にするよ!」といったときには、ちょっと泣きそうでしたが(笑)

クラスのお母さんでもいらっしゃるのです、
毎回すごいキャラ弁を作ってこられる方が!
先生が毎回写真を撮ってコレクションされていました(笑)
すごいな~と思うのと同時に、私には無理とか、
子どもたちに作って~といわれたらどうしようという思いもあります。

だけど、不思議と子どもたちはそういうことをいってきたことがありません。
(あっても、スルーして私が覚えてないだけかしら?)

「○○ちゃんのお弁当、今日はピカチュウだったよ」
というような事実は報告してくれることはありますが、
「ママのお弁当、いつもすっごく美味しくて大好き!」
といってくれます。

そういえば、ある方などお弁当の日に寝坊してしまって、
大急ぎでありあわせの物を詰めたところ、
「ママ、ゼリーを3個もいれてくれてありがとう」
といわれたとか(笑)
実際は、隙間を埋めるために詰め込んだそうですが。


子どもを誉めて育てましょうという考え方もありますが、
子ども自体が、承認の天才ですよね。

子どもたちから、
時に、泣けてくるような承認をもらいます。

決して100点満点のママではないけれど、
むしろ足りないところだらけだけれど、
それでも大好きといってくれる。

そんな気持ちを私たちはどこへ置き忘れてきたのでしょうか。

あなたが存在するそれだけで、
何もかもが素晴らしい。

あなたも、わたしも、みんなみんな。