狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

有り難う・・・稲尾

2007-11-14 01:35:20 | ひとりごと



昨日「神様仏様稲尾様」と称された、鉄腕稲尾和久が
70年の生涯を閉じました。まだまだ活躍を期待していただけに残念です。



子供の頃、胸をワクワクさせながらラジオを来ていましたっけ、勿論
野球放送をです。稲尾和久は昭和31年、当時西鉄ライオンズに入団し
その年21勝を挙げ新人王になり、西鉄ライオンズが日本シリーズに
3連覇したのはその年からでした。



小さかった僕は球場には行くことも出来ずに、ただラジオを聞くだけ
でした。小学校の6年になって初めてグローブを買って貰いました。
野球クラブに入り、先生達と試合をしたりしていた時期です。



帰宅後は勉強もしないで、ひたすらボールを追いかけて遊んでいました。
工場の跡地や、切り株が残る田んぼが僕らのグランドでした。
ボールは古い布を丸めて造ったもので、バットは木材から握りの部分を
削っただけの道具で、グローブはなく素手で遊んでいましたよ。



それでもグローブが有れば、それはキャッチャーとか、ファーストを
守る者に優先して使わせていましたね。今の子供のように、全員が
ユニフォームを着てスパイクを履きグローブを持って野球をする・・
なんて、想像だに出来ない時代でした。



昭和33年の巨人との日本シリーズで3連敗して4連勝した出来事はまるで
昨日の事のように覚えています。稲尾は連投また連投で、そのシリーズ
4勝をあげました。「神様仏様稲尾様」はその後に言われ始めた言葉です。


残念ながらその後リーグでの優勝は有りましたが、日本一にはなれません
でした。過日永久追放を解かれた池永正昭投手などが関わったとされる
「黒い霧事件」が起きたりして、我が西鉄ライオンズは幾つかの球団名に
名を変えて後に、現西武ライオンズとなって所沢へとフランチャイズを
移していきました。



今でこそ、ソフトバンクホークス(前南海ホークス)を応援していますが
心の中には「西鉄ライオンズ」の思い出が詰まっています。
オリックスの故仰木監督共々、西鉄ライオンズの黄金期を造った人でした。
心からご冥福をお祈りいたしますと共に「有り難う」と言いたい。