日の本の下で  究極の一点 Ⓢ への縦の道

『究極の一点』Ⓢ 
神のエネルギーの実在を『フライウェイ』の体験を通して知り、
伝えるデンパ(伝波)者

平成の次の世代は、『センチメンタリズム』や『可愛いは正義』などの感情や性別を超克した純粋に論理的な文明を目指してゆく。

2018年04月24日 | フライウェイ スピリチュアル  宗教  運命 病 生と死

*****についての一連の作業が山を越えたので、

久しぶりに今話題の出来事を元に、デンパな視線なへんな文章を書いてみようと思う。

 

ここのところ毎日、マスコミの女性記者に対する、財務省の次官という立場の人が

行ったセクハラ行為について、TVや新聞は熱を込めて報道している。

私だけではないと思うが、政権が憎いのか権力が憎いのか

とにかく、そんな情熱をかけてまで報道する事なのかと

政治的な事から興味が遠のいた今の私でも呆れてしまう。

私は保守主義者だが、親米主義ではないので、

何でもかんでもアメリカべったり(特に安保問題)の今の安倍政権も

どちらかと言ったら、私の主義主張とは離れている政権だと思う。

だからと言って、セクハラという文化や歴史や、社会構造が生み出してきた

問題を、時の政権への攻撃材料に使うのは

権力の番人の品位を貶めるだけの行為だと思うのだが。

それは置いておく事にして、

 

職場での女性へのセクハラは

#Me Tooを発端とした今の世界的なトレンドであり

日本に限らず、女性に対する性的なハラスメントや差別は、

イスラム教徒のマララ・ユフスザイ氏を象徴とした

戦争を尺度とした男性優位の物質文明で生まれた女性差別が解消されてゆく事が

エネルギー転換により、これから構築されてゆく

秩序と平和を尺度とする精神文明へ向かう為には

避けて通れない問題の一つだという証明になるだろう。

 

女性の精神と肉体の自由を縛ったてきた、過去の宗教や文化が

物質文明が成熟した先進国の女性たちが立ち上がり、

女性に生まれたという事を理由に

制限または差別されてきた事実からの解放を求める事が

これから地球全体に広がってゆくのは

水が重力に従って広がってゆくのと同じくらい必然的な事だ。

 

この問題は先進国では、すでに女性の社会的な地位はある程度まではバランスがとられる形にはなってきているが

(アメリカではガラスの天井とヒラリー氏が言っていたが、レディーファーストを女性側が受け入れているうちは

対等なものとはならないだろうと余計な事を言っておこうと思う。)

かたや日本はあいかわらず、男性優位の社会構造は変わっていないだろう。

政治家、官僚、起業家、会社経営者、統計的にはいまだ圧倒的に男性優位というのが事実だろう。

ただ、現場の働き手という意味では女性の社会進出は確実に広がっているだろう。

 

女性も結婚しても当たり前に働き続ける時代がようやく到来した感じがする。

 

私は3Kと呼ばれた製造業で働いてきたが、ある時男女雇用機会均等法が出来

末端の管理職の立場でその運用方法とかのレクチャーを受けた最初の世代にあたる。

当時の職場に女性が正社員として入る事は考えられなかった。

(差別ではなく、日常的にスポーツ選手並みに筋肉量が必要で、一度に25キロの袋を二つ運ばなければ

 仕事をしたと認めてもらえない、体育会系の部活まんまの世界だったから。)

 

限られた時間で生産性を高める事を求められるのは、

日本中の会社と呼ばれる組織の中ではあたり前の事だろう。

男社会で、

大きな機械音が響く工場で野郎たちが大きな声を出して、筋肉全開で作業している中に

当時の最初の女性たちは、それなりに覚悟を持って職場に入ってきていた。

 

当時の女性社員たちは、今の社会的な基準を照らし合わせれば

パワハラもセクハラも日常的に受けてきたと言うだろう。

ただ、それはこの日本においてはもちろん世界中でも

歴史的に女性が体力的な不利益を被る文明の元に

生きざるおえなかった事実による事が大きいと私は思う。

だが、先進国、物質文明が成熟した社会になればなるほど、

肉体的、体力的な不利は無くなってゆき。

今では、機械を使って作業するのがあたり前となった現在では、女性だろうが男性だろうが

オペレーターとしてなら何も違いはない状態の職場が大半になってしまった。

確かに今だ男性の筋肉頼みのハードな仕事場はあるだろう。だが建築や土木などの現場も

機械化が進み、ユンボやローラーなど道路整備でも女性のオペレーターを見かける機会が増えた。

アニメのパトレイバーではないが、機械化された建設機器を女性オペレーターが繰るのは

当たり前の世界になるのはすぐ目の前だと言えるだろう。

 

物質文明が成熟し、家庭、職場環境、国家管理のインフラで

女性の体力的な不利益が解消された構造を持つ事が

これから精神文明を人類が築いてゆく上での最初の出発点になるだろう。

日本はもちろんその最初のランナーの一人になる。

 

だが、今世間を賑わしているセクハラの問題は

人間の性別を論理的に認識しなおす事が社会全体で進んでいかなければ

中々解消されないのは誰にでも推測できるだろう。

 

だが後二十年もすれば、女性の社会進出はもっと進み、

セクハラの意味が男性から女性へのというのが当たり前の今の概念が

逆に女性から男性へが大半になっていたとしても私は驚かない。

これから、エネルギー転換により女性の思考も感情よりもより論理的思考が

重視されるように自然となってゆく。

それは当然の結果として多くの女性の社会的地位を爆発的に向上させる。

またそれと同時にこのエネルギーの転換がもたらすのは母性社会への回帰であるから。

父性の力は今よりもっと弱まり、

必然的に男性は女性に従属的な社会を形成する事になってゆくだろう。

ただそれも性という概念を保持し続ける社会での事だ。

 

意識はある領域を超えると、性別は無くなる。

中性的な感覚を持って生まれてきている子供たちはすでにその事を

youtubeなどで宣言をしているが。

その事を中二病的な一時の熱病だと即断するのは私は違うと感じている。

たぶんかれらは、肉体的な束縛、(男性、女性ホルモンなどによる)に耐性があるように生まれてきた世代なのだと。

その世代古い死語で言えばニュータイプと呼べるかもしれない

新たな世代は、スタートレックに登場する論理的思考を重視し感情の発露を恥じとする

バルカン星人のような文明を築いてゆくように私は想像している。

つまり、以前書いたように私のような演歌や浪花節やセンチメンタルが大好きな意識構造の人間とは

まったく別次元の意識をもちこの三次元世界に生まれてきているのではと。

 

性にこだわって生きてゆく事は昭和世代はもちろん、

『可愛いは正義』が代名詞だった平成世代ももちろん生まれながら持っている感性だろう。

だが、平成がおわり次の元号に生まれてくる世代にとって

性別の持つ意味は、三次元世界を肉体を持って生きる事において

それほど大きな意味を持たないで生まれてくると私は予想する。

何故ならこれから人類の全体の意識が

エネルギーの流れの転換によって目指すのは

性別はもちろん、三次元的な概念や思いが消えてゆく

無と呼ばれるエネルギーのみの次元なのだから。

 

その性のシバリのない人類が目指す文明に『センチメンタリズム』や『可愛いは正義』は

最初から含まれていないであろうことは寂しくもあるが

きっとその寂しいという感性を、論理が凌駕してゆき、

想像こえた意識と精神の自由を

人類が謳歌する文明に到達すると予想して、

この夜のへんな話を終わりとしよう。