皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

皇室の外国ご訪問について

2004-09-22 00:22:59 | 皇室の話
 皇太子殿下の5月の記者会見以降、皇室の外国ご訪問について、スポットが当たっていると思う。
 ここで、保守的な立場からは、皇室は外交官である必要はないという意見があり、外国ご訪問に対しては、冷めた姿勢であるように思われる。
 ただ、改めて考えてもらいたいのは、「実際に何かの役に立つ存在でなければ、公的存在としての意味がない」というような、功利主義的な考え方に対して、如何に立ち向かうかという問題である。
 現在は、行政府に対する政策評価法など、功利主義的な考え方が国民の支持を得ており、この傾向は、今後も拡大していくと思われる。
 このような功利主義的な考え方が、皇室に対しても向けられた場合、これに如何に立ち向かうべきかは、非常な難問である。
 功利主義という土台に立ってしまった場合、辛うじて、反論できるとすれば、皇室の国際親善が、外交上非常にメリットがあるということぐらいではないだろうか。
 国民の立場で、皇室について冷めた見方をしている人でも、海外において、皇室がかなりの存在感をもって迎えられているという事実については、認めざるを得ないからだ。
 そういうわけで、外国ご訪問というのは、現在蔓延している功利主義に対して、数少ない有効な対抗手段の一つであると考えられる。
 もちろん、このような功利主義というものが、公権力を行使する政府に対してであればともかく、皇室に対して振り向けることの妥当性や、不毛性の問題はある。
 ただ、知的に論破するということは非常に困難であり、感性に訴えることによる共感、納得を得るということで対抗するしかないのではないか。
 筆者としては、外国ご訪問に対して、皇室の本来の務めではないということを、偉そうに言う人に対しては、それでは功利主義的な考え方に対して、如何に説得するのか、説得の努力をしているのかということを、問うてみたいところである。
 一方、外国ご訪問について、安易に賛成する者に対しても、筆者としては、違和感を覚える。
 皇室の外国ご訪問が、ある程度の効果をもたらすのは、外国において、皇室が特別な存在であると認識されていることに由来する。
 外国ご訪問を歓迎する者にとって、皇室は、国内においては、その存在意義があまり認識されていないのに対し、海外においては認識されているという、何とも奇妙な状態について、何も疑問を抱かないのかということを問うてみたい。
 皇室の外国ご訪問について、どのような立場に立つにせよ、まずは、国内における皇室の存在意義に対する国民の意識、これをどのように捉えるかという整理がなければ、空虚なものと言わざるを得ないと思われるのだ。
 皇太子殿下においては、まさに当事者であるから、空虚だなではすまされないところだろう。
 非常にお気の毒なお立場ではないだろうか。
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