平成17年7月8日,第40回フローレンス・ナイチンゲール記章授与式が行われたことが,報道されている。
このようなニュースについては,だいたい,関係者以外はあまり注目せずに聞き流してしまうかとも思われるが,受章者の方々の人生について,改めて着目してみると,実にすごいというか,胸を打たれるものがある。
受章者の方々の功績については,皇后陛下のお言葉においても紹介されているので,以下に,そのお言葉を掲げることにする。
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このたび,樋口康子さん,久松シソノさん,徳永瑞子さんの三名の方々が,赤十字国際委員会から,看護師として最高の栄誉であるフローレンス・ナイチンゲール記章を贈られました。お三方はそれぞれ看護教育や看護の実践,保健医療活動に尽くされ,また,多くの看護師や看護指導者を育成されました。樋口さんは,看護学をより高度な学問として位置付けるために,日本赤十字看護大学の設立に力を尽くされたほか,看護大学の設置基準や大学評価の審査の確立をはかり,また日本初の看護の学術団体である日本看護科学学会の設立に,中心的役割を果たす等,我が国の看護が学問として発展する上に,大きな貢献を果たされました。久松さんは,戦時,自身も被爆を経験される中で,長崎の原爆投下による被爆者の救援にあたられ,傷ついた多くの人々の苦痛を和らげ,生命を守られました。戦後は,長崎県内において先駆的な看護活動を行い,教育の体系化をはかり,看護学生のための臨床実習場を設ける等,学生の教育的環境の整備に尽くされました。高齢になられた今も,「国際ヒバクシャ医療センター」の名誉センター長を務め,次世代に平和の大切さを語り継ぐ活動を続けておられます。徳永さんは,早くより発展途上国での活動を希望され,語学と熱帯医学を修得し,助産師としてザイール共和国の医療過疎地で,母子保健指導及び栄養失調児のケアに心血を注がれました。また,ザイールで医療活動を共にした人々が,次々とエイズで倒れる中,エイズ患者支援のNGO組織を作り,医療支援・生活支援と共に人々の自立支援を行い,また,さまざまな教育活動により,エイズに関する啓発を行ってこられました。現在は,将来,国際保健分野及び発展途上国での活動を志す後進の育成に力を尽くしておられます。
ここに,お三方の長年にわたる看護への献身とたゆみない努力に対し,深く敬意を表し,このたびの受章をお祝いいたします。
受章者の皆様が,苦しむ人々の助けとなるべく,身につけてこられた知識と技術が,これからの日本の看護に受け継がれ,美しく生かされていくことを願い,また,皆様方のご健康とお幸せをお祈りし,お祝いの言葉といたします。
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人間とは,これほど,偉大な存在になれるものなのか。
看護師という職業は,もともと地味にしてきつい重労働であるが,それにしても,畏れ入ってしまうというか,自然と頭のさがる思いである。
献身と熱意にみちた人生をおくられた方々なんだなと,筆者のような者が勝手に推測するのもどうかという問題はあるかもしれないが,それにしても,そのように思わずにいられない。
こういった方々の存在を知ってしまうと,自分自身,どれほどの価値ある生き方をしているのかと,反省せざるを得なくなる。
この国の将来について,悲観的なことを書いたりしたこともあるが,悲観する前にまず問題にするべきは,自分自身の行動ということだろうか。
ただ,このように考えてみたところで,急に何かをしようとしたところで空回りであるし,長続きするはずもなく,一つ一つ前進していくしかないのだろう。
ところで,テレビなどにては,勝ち組だとか,負け組だとか,セレブだとか,そういう言葉が氾濫している。人生というものを極めて表層的な物差しで,その価値を計り,区別するかのような風潮が見られる。これは実によくないことであり,また,そもそも間違いなのではないかと,今回改めて感じさせられた。
このようなニュースについては,だいたい,関係者以外はあまり注目せずに聞き流してしまうかとも思われるが,受章者の方々の人生について,改めて着目してみると,実にすごいというか,胸を打たれるものがある。
受章者の方々の功績については,皇后陛下のお言葉においても紹介されているので,以下に,そのお言葉を掲げることにする。
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このたび,樋口康子さん,久松シソノさん,徳永瑞子さんの三名の方々が,赤十字国際委員会から,看護師として最高の栄誉であるフローレンス・ナイチンゲール記章を贈られました。お三方はそれぞれ看護教育や看護の実践,保健医療活動に尽くされ,また,多くの看護師や看護指導者を育成されました。樋口さんは,看護学をより高度な学問として位置付けるために,日本赤十字看護大学の設立に力を尽くされたほか,看護大学の設置基準や大学評価の審査の確立をはかり,また日本初の看護の学術団体である日本看護科学学会の設立に,中心的役割を果たす等,我が国の看護が学問として発展する上に,大きな貢献を果たされました。久松さんは,戦時,自身も被爆を経験される中で,長崎の原爆投下による被爆者の救援にあたられ,傷ついた多くの人々の苦痛を和らげ,生命を守られました。戦後は,長崎県内において先駆的な看護活動を行い,教育の体系化をはかり,看護学生のための臨床実習場を設ける等,学生の教育的環境の整備に尽くされました。高齢になられた今も,「国際ヒバクシャ医療センター」の名誉センター長を務め,次世代に平和の大切さを語り継ぐ活動を続けておられます。徳永さんは,早くより発展途上国での活動を希望され,語学と熱帯医学を修得し,助産師としてザイール共和国の医療過疎地で,母子保健指導及び栄養失調児のケアに心血を注がれました。また,ザイールで医療活動を共にした人々が,次々とエイズで倒れる中,エイズ患者支援のNGO組織を作り,医療支援・生活支援と共に人々の自立支援を行い,また,さまざまな教育活動により,エイズに関する啓発を行ってこられました。現在は,将来,国際保健分野及び発展途上国での活動を志す後進の育成に力を尽くしておられます。
ここに,お三方の長年にわたる看護への献身とたゆみない努力に対し,深く敬意を表し,このたびの受章をお祝いいたします。
受章者の皆様が,苦しむ人々の助けとなるべく,身につけてこられた知識と技術が,これからの日本の看護に受け継がれ,美しく生かされていくことを願い,また,皆様方のご健康とお幸せをお祈りし,お祝いの言葉といたします。
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人間とは,これほど,偉大な存在になれるものなのか。
看護師という職業は,もともと地味にしてきつい重労働であるが,それにしても,畏れ入ってしまうというか,自然と頭のさがる思いである。
献身と熱意にみちた人生をおくられた方々なんだなと,筆者のような者が勝手に推測するのもどうかという問題はあるかもしれないが,それにしても,そのように思わずにいられない。
こういった方々の存在を知ってしまうと,自分自身,どれほどの価値ある生き方をしているのかと,反省せざるを得なくなる。
この国の将来について,悲観的なことを書いたりしたこともあるが,悲観する前にまず問題にするべきは,自分自身の行動ということだろうか。
ただ,このように考えてみたところで,急に何かをしようとしたところで空回りであるし,長続きするはずもなく,一つ一つ前進していくしかないのだろう。
ところで,テレビなどにては,勝ち組だとか,負け組だとか,セレブだとか,そういう言葉が氾濫している。人生というものを極めて表層的な物差しで,その価値を計り,区別するかのような風潮が見られる。これは実によくないことであり,また,そもそも間違いなのではないかと,今回改めて感じさせられた。