暑さが続く今日この頃、
昨日(7月3日)プールに行った、
何か月ぶりだろう?
どれだけ泳げるものか見当がつかず
充分身体を慣らしてからと思い
取りあえずウオーキングから始めた、
自宅から歩いて5分の距離にある
プールは嘗ては町営、
今は市営だ、
お昼時の人の少ない時間帯を狙って行ったが
日曜日と言う事もあり子供連れで
可なり込み合っていた、
15分ほど歩いて遊泳コースに移った、
ゆっくりゆっくり
可能な限りゆっくり泳いだ、
休み休みだが30分ほど泳いでも
息が上がると言う事はなかった、
不思議だ!
以前は25メートルプールの片道泳ぐと
休まずにはいられなかった、
今回は往復してもそれほど息が上がらない、
ゆっくりズムがいいのだろう、
なんだかんだで2時間ほどに間に
1500メートルほど泳いだろう、
プールから出て外気は40度近くまで
上がっていると言うのに
それほどの厚さを感じなかった、
体内の熱をエネルギーで放出したからだ、
これを続けよう、
プールで猛暑を克服だ。
(19)結果した梨しばらくは上を向き
何の結果だろうと思ったら花から実となった
梨のことだった、
窓を開ければ一面の梨畑の広がる
風景を眺めて暮らす者ならではの歌である、
何の作為もない見たままの風景、
人の気付かぬ些細な現実
これこそが作者のモチーフであろう、
(24)小雀の飛び危うくて仮免許
巣立ち頃地面を飛び跳ねる小雀、
まだこの世の怖さを知らない幼気な生き物
として17音にまとめたと言うところであろうか?
“仮免許”の擬人化表現が頭を過ったのであろう、
(28)夏が来て母校名探す予選記事
同感と言うか全く同じである、
夏の風物詩といえば高校野球もその一つ、
地区予選の結果をまとめた記事があると
決まって母校の名を探すのは卒業生の
習性であろう、
敢えて言えば句になりにくい些細な心情を
躊躇いもなく纏めるところに
作者の性格をも垣間見る、
(33)蜩(ひぐらし)が鳴いて感じる秋近し
年寄りには暑さは過酷である、
アブラゼミの声が終わった夕餉れ時
蜩の声を聴くとなんだかホッとする、
あと一息だガンバレと
言われているような気分になる、
(34)山旗雲流れ落ちるや滝のごと
“山旗雲”初めて知った、
写真では見かける滝のように流れ落ちる
雲の写真だがこれは“滝雲”と認識していた、
箱根で見たと言う写真も添えてあり
容易に理解できた、
“滝のごと”で“流れ落ちるや”は
イメージは出来るのでここを工夫したい、
(35)コウノトリ雛巣立ちして谷津の森
俳句や短歌など始めた頃はどうしても
説明的になってしまう、
仕方のないことかもしれない、
この句からイメージ出来るのは
これまで巣の中で動き回っていた
コウノトリの雛たちの姿が見当たらない
というイメージだ、
それはそれでいい、
だが巣立ちするのは雛以外の何物でもない、
ここは雛は余分な言葉だ、
更にもうひとつ、
“谷津の森”は固有名詞?
房総半島特有の小高い山の連なりが
幾重にも並ぶ、
つまり“谷戸”と同義語、
その状態をいうのだとしたら
ここは“森”より“谷”或いは“沼”、
コウノトリやツル、サギの類は
森ではあまり見かけない、
どちらかと言うと田んぼや湿地で
水生昆虫や動物を餌にしてるケースが多い、
湿地を意味する言葉が相応しくない?
(7)餌ねだり近づく小雀所作可愛い
感じたままを言葉で繋げたというか、
確かに状況は手に取るように見える、
だが俳句にはなっていない、
“所作可愛い”
ここの部分“可愛い”を具体的な“所作”
で表現して俳句になる、
例えば “小雀が小首傾げて近づけり”
我われが雀をかわいいと思う所作のひとつを
取り上げて句に織り込んでみては如何?
(13) 梅雨空に読経流れて義姉逝く
この句を避けては通れない、
謹んで哀悼の意を捧げます、
義姉は高校時代の同級生
私も同じ教室で机を並べた間柄、
物静かながら成績は常に学年のトップクラス
仲間を作るでもなく
さりとて孤立するでもなく
いうに言われぬ無言の存在感がありました。
(14) ドジョウでも狙うかサギは忍び足
よく目にする光景である、
だがそれ以上広がらない所に弱点がある、
読み手の想像力が広がらないのだ、
“足を止めサギの狙いを確かめる”
どうだろう
少しは俳句らしくないだろうか?
(16) 花当てのお題になるぞ変化朝顔
花当てのお題とは ?
そんな遊びがあるのかどうかは知らない、
句らしくはないがそんなことお構いなしに
それを想定して句に認めたところに
作者らしさを感じる、
変化朝顔
こんな言葉は初めて知った、
検索すると江戸時代に結構流行ったそうだ、
自然変異に改良を加えてその変り映え競ったものであろう。
秩父25番札所 久昌寺
100もの作品を取り上げるには
番号が必要と思いつけてみた、
100作どころではない
川柳を含めれば145もの作品があるので
取り上げた作品は番号をつけて表示した。
句集 第一作目には「思い出の風景」
と言う見出しがついている、
(1)“声明も伽藍も覆う蝉しぐれ”
私はこの句を見て“お~ なかなかやるじゃん”
という印象を持った、
5,7,5の形式を踏まえ“蝉しぐれ”という
俳句に必須の季語も備わっている、
句の背景となった走り書きを読むと
昼時の増上寺とある、
作者は永年大手企業の都内の支店に
勤務していたのでたまたま立ち寄った
のであろうか?
(5)“青空をキャンパスにする雲画才あり”
作品の意図は十分理解できる、
だがこれでは抽象的すぎる、
読んで何のイメージも湧いてこない
作品では意味がない、
読み手の想像力を誘うところに
文芸としての役割がある、
作品には入道雲の写真が添えてある、
写真に「大皿で愛犬を抱く」と題をつけた
と書いてある、
ならばいっそのこと
“大空に愛犬を抱く入道雲”
とでもしたらどうだろうか?
雲だけで季語になるかどうか疑問なので
入道雲にしてみたが?
(19)“驟雨来て子等散りぢりに走り去る”
状況そのままで面白みがない、
俳句にするからには多少なりとも
読み手に満足感を与えたい、
つまり結果は兎も角
作者は俳句にするための
努力をしたんだと言う姿勢を
見せるべきなんだ、
折角読んでくれるのだから
その労を惜しんではならない、
(と言ってはみたが作者はこれらを俳句として
纏めたものかどうか疑問だ、
むしろ俳句にするための材料を
拾い集めてみたと言う感がなくもない、)
私ならこうする、
“公園の子等蹴散らしてにわか雨”
状況は全く同じであるが
“蹴散らす”など表現の妙を
加えてみるのも一案であろう。
今回はここまでにする、
的を射た感想になったかどうか
気になる所だが感想の感想など
やり取りできれば望外の幸せである。
友人のタカさんが自作の句100作品を
A4判42枚に印刷して送ってきた、
冒頭には以下のようなことが書いてあった、
ーーー先日囲碁の合宿でK、H両氏(同級生)
と箱根に行った際
K氏の俳句への蘊蓄(うんちく)
にふれ大いに感化されました、
自宅に帰って暫く夜ごと目が冴えて眠れず
悶々としていました、
そこでいっそのこと自分も俳句を作ってみようと
決心し2週間に100句ほどものにしたので
これを冊子にすることに決めました、
折角だからと句の背景となった思い出や
写真も入れて
恐れ多くも“松柏”なる俳号まで
でっち上げ文学作品風に纏めてみました、
貴殿もK氏によると歳時記を買って
俳句を始めたと聞き及んだので
見て頂きたく送った次第です、ーーー
作品の感想などについては次回以降。