机の片隅に積み重ねられた冊子の中から
川柳講座を受講した時の作品が出てきた、
講師は地方紙の川柳欄の選者を務め
且つ又「川柳・まえばし」のタイトル誌を
発行するM先生、
受講初日に宿題を出された、
来週の講座までに自由テーマで
5 首以上の川柳を作って持ってこい
と言うものであった、
そこで作った作品、
(1)マスクした顔がいいねと褒めてやる
(2)ホールインワン却って困る配り物
(3)朝三時眠れず歩く散歩かな
(4)電車来た切符の買い方分からない
(5)同窓会薬の数を競いおり
訳も分からず作った作品
と言うのが正直な感想、
講師の改作
(1)マスクした顔もいいねと褒めておく
(2)嬉しさの裏で出資に泣くエース
(3)眠れずに朝の3時に出る散歩
(4)買い方を聞いてる駅の券売機
(5)同窓会薬の数を競いおり
川柳の勉強などしたことがない、
だが10年程前に親友のN君が
70の手習いで川柳を始めたので
教えてくれと連絡が来た、
当方に川柳を教える知識など更々無い、
だが彼は私が若い頃から短歌をやっていて
結社に所属していたり通信講座を受講したり
それなりの努力をしていたのを知っていた、
彼にとっては短歌も川柳もそれほどの違いは
無いと思っての申し出であろう、
初めのうちは辞退しながらも
作品が出来たと言っては
送り付けてくるので
それなりの対応は取ってきた、
そんな時に目にした
公民館主催の短歌講座であった、
いつ見ても恥ずかしい。
帝釈天の通用門(本文とは無関係)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます