ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ファンミーティング2

2024-07-06 14:25:00 | ライブ
大阪関連の「鉄板ネタ」のあとは、江國香織さんの寄稿が紹介され
「昨日もバーで会いましたよ」と甲斐さん…って
江國さんとは、いつもバーで遭遇なさってるような気が…?(笑)
ちなみに…江國さんは、大塚いちおさんとご同様に「関係者席」ではなく
奥さん達ファンと同じ客席で、甲斐さんのライブをご覧になっているそうです(笑)

他には、甲斐バンドの楽曲をモチーフにしたオムニバス映画
「破れたハートを売り物に」の中の1本である「父と息子(モチーフ曲『安奈』)」に
「タクシーの運転手役」で出演なさった甲斐さんが
主演のお二人…船越英一郎さんと大森南朋さん…に挟まれておられる写真も映し出され

「監督の榊英雄が事件を起こしたんで…3回目の逮捕とかって…」と苦笑い(苦笑)
…って、橋本一監督作品には「俳優」として出演なさっているし(汗)
「オムニバス映画」としての上映や配信は、当分ムリでしょうね?(苦笑)

それはともかく…「でも、2人とも『役者の顔』してるねぇ!
これ、撮ったの、撮影終わったばっかりの時だったんで
まだ、その役の余韻が残ってたのかも知れないですね」…とおっしゃったあと

「僕、これ…タクシー運転手の役だったんですけど
このベスト、ペラッペラなんですよ!(笑)」という「お約束」のエピソードも披露されたそうです(笑)
もっとも、奥さんは「『980円です』というセリフも聴きたかった!」んだとか…(笑)

同じオムニバス映画の1本である「おやじファイト(モチーフ曲『らせん階段』)」を撮影された
三島有紀子監督の作品が特集されるということで
「コメントを書いたんで、またどこかで発表されるんですかね?」と甲斐さん
「そのまんま埋もれてたりして…(笑)」と笑っていらしたみたいですが

今のところ、その東中野での上映特集の記事に紹介されていたのは
中谷美紀さんと稲垣吾郎さん、そして映画評論家の北川れい子さんのコメントだけで
浅野忠信さんや奥田瑛二さん、片岡礼子さんを始め
そうそうたる皆さんと共に甲斐さんのお名前も
「本企画への応援コメントをお寄せくださった皆様」の中に記されてありました(苦笑)

甲斐さんは、三島監督ご自身がボクシング経験者でいらっしゃることに触れられたり
「すばらしき世界」の西川美和監督と共に、綺麗で才能がある女性だと絶賛なさったあと
「中身は男かも知れない(笑)」と笑っておられたらしい(苦笑)

続いて…東日本大震災後に、甲斐バンドのお三方と、kainatsuさんが
石巻専修大学の学園祭に出演なさった際、ライブが終了し、皆さんがお乗りになったとおぼしき?
ワゴン車に向かって、深々としたお辞儀で、お見送りなさっている
学園祭関係者の皆さんの後ろ姿を捉えた1枚が紹介されると「これ、いい写真だよね」と甲斐さん

ただ、甲斐さんによれば…この1枚は、甲斐さんのステージ写真を始め
ファンクラブ会報「BEAT VISION」の写真撮影を担当されている
三浦麻旅子さんが撮影なさったのではないんじゃないかと…?
もっとも、三浦さんが、別の車でお帰りになったと考えれば、つじつまは合いますよね?

ともあれ…この学園祭ご出演に関しては、ライブの模様がラジオでオンエアされたこともあって
かなりの反響があったことを、甲斐さんご自身も実感なさったみたいで
奥さんは「この時のライブも『音楽をやって来て良かったと感じたこと』の1つになったんじゃないかな」と申しておりました

これは、たぶん?阪神淡路大震災後、甲斐さんが神戸でライブを開催して下さったこと
…っていうか、当時の「K-Information」で
甲斐さんご自身の声でメッセージが聴けただけで、ずいぶん元気になっていたし
更に、ライブに参加して、大いにパワーを授けて戴いたことを思い出していたんだろうと思われます

更に…「Walker Train」と題された新幹線車内でのライブイベントの一場面も…♪
司会の兼田さんが、この企画はJRからのオファーで実現したことに触れられ
松藤さんと鎌田ジョージさんが参加なさった「Guy Band(害バンド?(笑))」結成の経緯について
「大阪でライブが終わったあと、翌日にライブハウスでライブがあると発表されたんですよね」

…と説明なさったそうだけど、奥さんによれば…
ライブ中に、甲斐さんのMCで突然の告知があり
帰り際に手渡されたチラシに記されていた、予約受付の電話番号にかけまくり、無事に予約できて
翌日、意気揚々と会場に行ったら、予約受付順ではなく、当日並んだ順の入場でビックリ!(笑)
それでも「Guy Band」誕生の場に居合わせたことは「ラッキーだった♪」と申しておりました(笑)

ともあれ…兼田さんが、当日のセットリストを読み上げられたあと
「列車の揺れがあるので、踏ん張りながら演奏なさったとお聞きしましたが…?」と質問されるも
スクリーンに映し出された写真をご覧になった甲斐さんは
「ジョージはヘッドフォンしてるけど、松藤は?」とカブセ質問(笑)
撮影の角度の加減で、ハッキリとは見えないものの、松藤さんも装着なさっていたそうです(笑)

ライブ自体は「静岡あたりで終了した」らしく
話題は写真に写っていらっしゃる観客の皆さんへ…
松藤さんが「『このライブに行ったよ!』って人います?」とお訊ねになると
1階前方席?の方が手を挙げられたみたいですが
「ここに写っている皆さんも、かなり年齢を重ねられてるでしょうね?(笑)」
…というコメントをどんなお気持ちで聴いていらしたのかなあと…?(苦笑)

ちなみに…奥さんは、当時、K-Informationで、このイベントの当選番号を確認していて
自分の受付番号の1つ前の番号が読み上げられるのを聞いた時の脱力感を思い出していたんだとか…(笑)

そして…奥さんが、一番高まったという「1970年物語」が登場♪
兼田さんが「これは、5回に渡って掲載された特集で
毎回、最後に甲斐さんのコメントが付いてたんですよね」と紹介されると
甲斐さんは「これ、松藤が(ネットで)見つけて来たんだよね『面白いよ!』って…」

…とおっしゃったそうですが、その連載の第1回のコメントで
「照和」に関する書籍や紹介文は沢山あるものの
それらは「照和」の外の人間が書いたものなので、本当のところは判っていない
この「1970年物語」は、当時、その場にいた人間が見聞きしたことを書いている
…といったことをお書きになっていて、まさに、その「当事者」でいらした甲斐さんや松藤さんには
「そうそう!そうだった!(笑)」と膝を叩かれるほど懐かしく、興味深い読み物だったんじゃないかと…?

ともあれ…「これね、昔、僕が照和に戻った時に、月曜日のステージに出てたんですよ
そこが一番(お客さんの)入りが悪いって言うんで…
で、6時・8時(のステージ)に出てて、やっぱり7時・9時も(出演者が)要るなあってことで
福大のフォークソングクラブ?の…(『フォークソング愛好会ですね』と松藤さん)

妙安寺ファミリーバンドっていうバンドを引き入れたんですけど
その妙安寺のメンバーが、一軒家を借りて住んでて、僕、そこに泊まりに行ってたんですよ
その内に、だんだん帰らなくなって、プチ家出してた(笑)
6日に1回くらい、着替えを取りに帰るみたいな感じで…(笑)

その妙安寺ファミリーバンドの門田一郎っていう人が、これを書いてる
門田さんは、今、メルボルンでレストランを経営してて…
当時の照和のことがよく判る!『裏・甲斐バンドストーリー』っていうか…ねぇ?」
…と振られた松藤さんも大きく頷かれていたらしい(笑)

例の「甲斐さんにバス代500円を借りた」話では
「照和に出てないのに(笑)」甲斐さんにお願いなさったのは
他の皆さんから、甲斐さんが「一番お金を持ってるって聞いたから(笑)」と明かされ
やはり最後に「いまだに、ずーっとこの話をされてます(笑)」とおっしゃっていたんだとか…(笑)

松藤さんが、甲斐さんのプチ家出について…
「甲斐さんのお母さんが野菜を持たせた」と話されていたというのは
妙安寺の皆さんの「合宿所」に「ギターとレコード、パジャマと野菜を持って…」
やって来られた甲斐さんに、門田さんが「お前、ナンや、それ?」とお訊ねになった時

「お袋に『妙安寺に泊まりに行く』て言うたら
『お寺さんなら精進料理やろうけん』て言うて、野菜ば持たされたと」
…とお答えになった件のことかと思われますが
門田さんは「ワープロの変換がめんどくさい」とおっしゃいながら
会話部分が全て「『博多弁』で書いてあるのがイイよねぇ♪」と奥さん(笑)

「BEAT VISION」で、この特集が組まれた際に、ネットですべて拝読し
「甲斐さん」に関連する章をノートに書き写し(笑)
映画「照和」の観賞遠征の折りには、いつも持ち歩いていたみたいです(笑)

先のビルボードツアーで、初めて福岡遠征するという甲斐友さんに
この甲斐報版の「1970年物語」を「資料」として、予め渡していたところ
実際に福岡の街に足を踏み入れたら、ものの見事にハマった様子だったらしく
改めて、このノートを貸していたのが、ちょうどこのファンミーティングの日に返却されたそうで
その夜は、ホテルでノートを読み返し、ニマニマしていたんだとか…(笑)

ちなみに…門田さんは「この野菜が甲斐の居候代となった…(中略)
甲斐は照和でウエイターもやっているから、毎夕、バスに乗って出かけていく
帰りは、その日出演していたバンドを誘って帰って来る。我が家のように…」と記されていて(笑)

この章が掲載された甲斐報の甲斐さんのコメント欄には…
「僕としては、同じ照和に出演していると言っても
妙安寺とは曜日が違ってたりして
あまり顔なじみじゃないメンバーを選んで連れて帰っていた
良かれと思ってしたことだったのだが『許せ、カーサン!』」…と返されてました(笑)

その「妙安寺」は、門田さんのご実家のお寺の名前で、甲斐さんによれば
「ナベプロの渡辺晉の墓がある」らしいんだけど
奥さんは「それより、岸川さんのお墓があることの方が大事じゃね?」とツッコミ(笑)
甲斐さんは「実在するお寺なんで、探してみて下さい(笑)」とおっしゃったみたいですが
奥さんの「聖地巡り」ルートには、何度も組み込まれていたんだとか…(笑)

そうそう!門田さんは、特にお書きになっていなかったんですが
甲斐さんは、妙安寺ファミリーバンド最年少メンバーでいらした木下聖雅さんと仲が良かったようで
木下さんが、この「1970年物語」をアップなさっているとお知りになって
久しぶりに連絡をお取りになったらしい(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする