おはようございます。
朝夕が秋らしくなってきましたした落語の洒落に ふところが秋の夕暮れ というのがあります。
ふところ も最近使わなくなりましたが、秋の夕暮れとは 陽の暮れるのが早くなりどことなく寂しい から
ふところが寂しい‥持ち合わせがあまり無い‥金が無い と遠回しに言うのです。
これを去年友人に使ってみたところ にゃっと笑われました。 お、これはまだ使えるだなぁ‥と(笑)
秋の夕暮れが寂しい とは昔からの想いは同じようですね。
寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ 良暹法師
十一世紀の和歌ですが、宿とは旅館ではなくて 質素な庵(いおり)あばら家を指すようです。
当時のお坊さん(僧)は若いうちは、大寺‥‥比叡山や三井寺、興福寺などで修行をしながらその敷地にある
坊舎で生活をします。その中で老齢になったお坊さんが後輩に譲る形で外に出て庵を営んで独り暮らすようですね。
坊舎の頃はたくさんの同僚が居たので賑やかに過ごせたのが歳も取って独り暮らしに心細さを感じたのでしょうか。
今から千年ほど昔の秋の夕暮れ‥寂しい心細い気持ちは今と変わらないようです。