おはようございます。
台風10号が日本列島を荒らしまくっています。
気圧や風の影響でノロノロと進んでは止まり又進む、前に行ったり横にズレたりと
酩酊状態、勝手気ままのようです。
テレビやスマホで台風の進路や勢力を気にしていますと、予報もその都度変わってるのに
気が付きませんか。そもそも台風自体は渦を巻くだけのもので、動いたりするのは
周りの気圧だとか風の流れの影響で台風には自主性がないそうです。
とにかく地球温暖化の所為(せい)なのか台風が複雑化したり大きくなったりして大変な目に
遭うのは我々庶民であります。この厄介な台風を始末出来たらいいのに…と思いませんか。
話しが少し逸れますが、万博、ええ大阪万国博覧会です。昨今の大阪万国博覧会については色々
物議をかもしていますが、前の大阪万国博覧会、1970年に開催された時の話です。
当時をl振り返ってみますと日本は敗戦の痛手から徐々に立ち直り高度経済成長期に入ろうかという
時期でした。その六年前(1964年)の東京オリンピックでの獲得メダルは
米国、ソビエトに次ぐ第3位で目論見通りの大成功に終わりました。
ちなみに今回の東京オリンピック、米国、中国に次いで3位。立派なものですね。
そして この大阪万国博覧会。オリンピックはスポーツの祭典として喧伝されていて
私ら庶民も国対抗の運動会のデカいのか…ある程度は解りましたが、万国博覧会…
一体何なの?と思いませんでしたか。
万国博覧会とは意外と歴史があって明治維新の頃 遠く地球の反対側のパリで行われた万国博覧会に
わざわざ出かけて陶磁器などを展示したのが新政府になったばかりの明治政府。
飛行機もない時代に蒸気船で半年がかりでたどり着き、国産のこれはというものを展示しました。
要は珍しいモノの展示即売会。経済の発達していた欧米(米国や英国、仏国、伊国、独国、露国、奥国など)
諸国に我が国の特産品を売り込むのが目的でそこから外貨を稼ぎ 欧米からの侵略を食い止めるために
当時の国是として富国強兵を定めていました。資源のない我が国の主な輸出品としてお茶、陶磁器、生糸などでした
よくそんなモノを売るだけで戦艦を造ったり出来たモンだと思いますが…
とにかく歴史ある万国博覧会がついに日本にもやって来る!とみんながワクワクしていたようです。
私はオリンピック当時は小学生低学年であまり記憶にございません ⇒これって何十年か前はちょっと
した はやりでしたが(笑)
六年後(1970年)の大阪万国博覧会は立派な中学生。だいたいのこと覚えております。
然し、こうして振り返ってみますと、東京オリンピック、大阪万博、と二度続けてありますが
政府っていつの時代にも東西の東京と大阪 を意識してるんですかねぇ。
話を戻しますが、私の記憶に依りますと万博(略します)で初体験がいくつかありました。
先ず、大勢の人が並んだ行列。長蛇の列と言いますが 正に 何処から始まって何処から並ぶんだろう…
人気のあったアメリカ館の噂の月の石、あれはもう人の河でした。遠く四五メートルほどに置いてあった?
のを人の河に押し流されてズズッと進んで ハイ、おしまい。並びに2時間、通り過ぎるのが2分。
何せ田舎に住んでいた時代にあれだけの人を見たのも接したのも始めてでした。
又 ハンバーグを食べたのも始めて。それとエチオピア館の前だったか 友だちと座り込んで休んでいたら
真っ黒で長身のおじさんが出てきて 何やら手振りをしながら勧めるのです。
何だろう…友だちと顔を見合わせて尻込みしていたら 手にコップを渡されました。
内を覗くと真っ黒な液体、何だろう?鼻を近づけるとなんともいえない薫りの良い …
そうです、珈琲 でした。 友だちは 得体のしれないモノに ワイ エエわ、と尻込みするのも当然で
当時 コーヒーとはミルクコーヒーを知ってるくらいでこのような本当の珈琲(ブラック)を見るのは
初めて。私は覚悟を決めてひと口飲んで 美味しい!あちこち歩き回って疲れていたので初めての
本格的な珈琲は疲れを吹っ飛ばしてくれました。
元気を回復した私ら悪童連はある財閥系のパビリオンに入りました。入った理由はまず、空いている、
これに尽きますね。途中 人気のあるパビリオンは避けて とにかく空いているところを廻ろうと皆で相談
していました。
だって暑い最中 めずらしさ見たさに並ぶのは大変。今ほど気温があったかどうか知りませんが、
あれだけの人混みの中で根よく並ぶよりも空いてるところをたくさん見るほうが効率は良い、
中学生でありながら既に経済的観念ができていたようでした(笑)
(続く)