東日本大震災から本日で4年が経過しました。
4年前の金曜日、明後日の日曜日に出発を予定していた出張準備のために工場で必要部材を収集していたところ、少々ぐらぐらと感じ、天井を見ると水銀灯が揺れているので地震があったのだなとその瞬間は思いました。
その後、工場内で鳴っているラジオ(FM番組)が急遽速報体制に変更、大型地震だったこと、しばらく間を置いて大津波が襲来していることを告げ始め、未曾有の事態が起こっていることを否応にも感じられました。
その後は原発の爆発が発生、後は報道されていた通りの想定外な出来事が次から次へと起こりました。
この先どうなるのかと思いましたが、日本人の英知が結集、団結してその難事に立ち向かい復興の歩みは止まることなく続いています。
昨夏には当時浪江町に居住していた大学後輩と邂逅、元気な姿を見て安心しました。
そして初夏から秋にかけての何回かに亘り福島県の川俣町を訪問、原発近くで一時期一部が避難地区にもなっていたそうですが、人の波も戻り、町としてしっかりと存在していました。
どうしても未だに避難地区のままとなっているところがありますが、確実に復興は進んでいます。
原発反対などただ一方通行的な論調も目立ちますが、まずは復興の道筋を絶やさないことが先決です。
そして、その後に住みよい社会としての在り方を問うべきではないでしょうか。
失敗は失敗として捉えて反省をしながらも今ある現実に立ち向かう、ベクトルを合わせれば復興の道は加速的に進むはずです。
非力な一市民ながらもそうなることを祈念するばかりです。