迎えた次女の「運命の日」とは大仰ですが、15才にして迎える進路の分かれ道、正午に判明します。
先週に試験を終えてまずは数学を自己採点するも芳しくなく、ここで自己採点自体を放棄、あきらめモードに突入していたのでこの1週間は思い切りぐうたらの限りを尽くしていました。
とは言え、結果は見なければ分からず、もしもの際は速やかに親子で帰ることができるよう会社を休んだノッポと現地へ向かうことに。
正午発表なので11:30には家を出ようかと準備すると、次女はまだ寝巻のまま・・・。
ぐうたら?あきらめ?
準備を急かして出発、車内はノッポばかりが話す一方通行、犀川を物思い?に眺める次女。
学校近くへの到着は5分前、急げと送り出すものんびり、てくてく、とぼとぼと歩いていきましたかね。
鉄板だった長女と違って一緒に見に行く勇気が無く、2台の電話の一つを持たせて、合否が判明したらひとまず電話するよう伝え、ノッポは停車可能な場所へ移動して待機。
正午から長い時間が過ぎたでしょうか、呼び出し音が鳴ったので出てみると「あった」の一言で安堵、子を信じられなかった親であったことを反省ですね(着信履歴を見ると12:03だったが、たった3分待ちが長かった)。
ノッポが進学を断念した緑の高校へは長女が、そして次女はノッポの後輩としてオレンジ高校へと、父親冥利に尽きるでしょうか。
妻に電話すると「あ~良かった。」と体内の全ての呼気が吐き出されたかのように脱力した声色でした。
金額を指標とした定量評価が基本の妻、1年生のときから市内一高尚?な塾へ通わせていたコストが投資となり損金とはならず、仮にプライベートスクールに通った場合の上乗せ学費分も不要となった安堵とも言えるのですが(一方の長女は中学時は苦手だった国語の短期講習のみ、現在も塾へは通わないコスパ抜群、も県外大学へ行くと・・・)。
長女からの確認ラインも同様、三人とも疑っていた!?
かつての学び舎に到着、なぜか同級生たちとインタビューを受けていました(まだ固まった表情)。
ノッポの34年前から校舎は変わり掲示場所も変わりましたが、当時を少々思い出しました。
同じクラスから3人がオレンジ高校を受験、うちノッポを含む2名が合格、1名が残念な結果でした。
確認前に3人で示し合わせて、それぞれ前方の番号だけ確認して合格ならしばらく振り向かず、そのまま学校へ残り、残念な結果ならそのまま立ち去ろうと、どんな結果でもしばらくはお互いに目を合わせないようにしましたが、結局ノッポは振り向いてしまい、全てのメッセージを送ったかのように立ち去った彼の目と顔は今も忘れることはありません。
あれから30年を経てもう一人の女性とは高校同窓会幹事会仲間として交流、立ち去ることになった彼は市内プライベートスクールに通いながら岡山の有名国立大学に進学、そのまま技術系地方公務員として日々活躍されていると風の噂が届いています。
約1年ちょっと前に学会のため岡山大学へ寄った際に彼の勤務先を電撃訪問しようかと思いましたが、そのときは実行できなかったのでいつの日か会える日を期待するばかりです。
お約束の場所で撮影、今度は高校の制服に着替えて正式撮影ですかね。
2年前、長女の緑の高校ではかなりの時間が過ぎても余韻まだ冷めやらぬ雰囲気でしたが、オレンジ高校は既に閑散状態で、パブリック頂点校と以下その他大勢校との違いなのか、武漢ウィルス禍の影響なのか。
その2年前、緑の高校からの帰りの際にオレンジ高校へ寄ったときは少々喧騒気味だったので、得点開示照会が翌日以降となっている影響もあるかもしれません。
その後はノッポ実家を訪問、祖母(母)に報告、昼食をいただきました。
2月以降は寿司を食べていなかったのでリクエストは開口一番、「寿司」でした(単純)。
その後、近くのスーパーで菓子やら食材やらをここぞとばかりに買ってもらい、閑散となったオレンジ高校前を経由して、塾へ報告に寄ってから帰宅。
それからしばらくは家族内に同窓生(予定)が誕生した余韻に浸りましたかね。
夜はDRAGONS.BB練習へ。
独り、余韻が冷めやらぬまま、どんな練習だったかなと思い出せず。
「ひとりになって泣きたい」(杉浦忠)