のりひめのひとりごと Monologue of Noriko

2012年からオーストラリアと日本を行き来しています。日常のいろいろを書いてます。

言わないのが親の愛★のりひめエッセイ

2011-09-28 18:33:50 | のりひめエッセイ
夏に書いたエッセイを掲載してます~

その7「言わないのが親の愛」

 終戦記念日が近い。毎年両親から戦争の頃
の話をきく。私の両親は昭和7年と8年生ま
れ。終戦のときは14~5歳だったので、戦
争中の記憶がある。

 母は西宮に住んでいて、大空襲の被害から
は道一本で逃れることができた。食べるもの
がなく、鍋釜鉄製品も国に持っていかれ、い
ものつるとか大根のごはんを食べたが、お弁
当のある子はまだましだったという。

 食べ物がないので、母の母(祖母)が着物
を持って農家にわけてもらいにいく。だんだ
ん着物がなくなって、上等な紬の着物もつい
にいくらかの野菜に化けた。

 一方父は、満州に移住していた引き上げ組
だ。紳士服地の商売を現地でしていた家で、
引き上げのときは兄弟姉妹の7人と父の母と
命からがら引き揚げ船に乗ってきた。

 いざ引き揚げのときに、父の母は、肉を味
噌で塩辛く煮て、ひとりひとりに持たせた。
「人にあげたらいけない、自分で持って、すこ
しずつ食べなさい」といったそうだ。

 引き揚げ船ではご飯もでない、たいそう劣
悪な状況だ。人がいっぱいなのではぐれるか
もしれない。「とにかく生き延びて日本に戻
る」それが祖母の強い願い、いや意思だった
のだろう。

 ところがこれらの繰り返し話される話を、
わたしは祖父祖母から直接、ついぞきいたこ
とがなかった。大変な自己犠牲をはらって子
供たちを守ってきたのは間違いない。子供た
ちはそれをよく覚えているので、それを自然
に語りついでいる。

 母が昨年から脳梗塞で倒れ、その後すぐ肺
癌の手術をした。昨年の夏は家族中が震撼と
した。 麻痺は残ったが幸い命はつながり、
現在は家で父が介護している。

 買い物好きな母だったが、一年以上スーパ
ーにさえも出かけることができなかった。こ
このところ、散歩がてら近所の大型スーパー
にも車椅子と歩きで行けるようになった。

 次はデパートだと、父は介護タクシーを予
約した。「好きなもの買っていいから行って
来なさい。ただし上等なものを買っていいご
飯を食べるように」父から母へのプレゼント
だ。私を姉は強制的に同行することになった。

 普通の年金生活なので、上等な、といって
もたかが知れている。せいぜいブラウス一枚
と、デパ地下で父の好きなおつまみを買って
くるぐらいだろう。

 戦争を通り過ぎてきた両親、雪崩のように
いやおうなく時代に流されるときもあった。
人生を大きく揺さぶられる体験したからこそ、
親の愛を理解して子供につなぎ、生涯の伴侶
を愛しぬく強さがある。

 父も母も「自分はこれを子供たち・伴侶に
してやってきた。あのときも、このときも」
などと、決していわない。それが愛なのだ。
近頃になってやっと少し理解できるようにな
ってきた気がする。

(2011年8月3日)



後日談です~

このあと念願のデパートにいきました!
予算5万円ということで
クレージュスポーツでかわいい色のTシャツや
動きやすいパンツを買い、
ミセスのフロアでお気に入りのシャツジャケットを見つけ
一階でヨネックスのウォーキングシューズをゲット
総額5万円きっちりのお買い物(食事代なし)

ブラウス一枚の時代もあったのに
自由奔放な老人になった母なのでした・・・
まあ 一年ぶりだもんね 嬉しかったみたいです♪

車椅子でも買い物欲はばっちり、
家にかえって並べて組み合わせを吟味しご満悦
デイケアにいってみんなにほめられて
嬉しそうに話してるのをみて、
父も嬉しくなっちゃったみたい

やっぱりアツアツの夫婦だわ♪

その後もたまにデパートにいってショッピングしてます。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素敵なご両親ですね (YukariKEYTE)
2011-09-28 22:56:38
こんにちは。

素敵なエッセイですね。ありがとうございました。
そして、何歳になってもアツアツのご両親が羨ましいです。

戦争など、平和な時代に生まれた私たちには想像もできない苦難を乗り越えて、後世に子孫を残し、先代の方々は本当に立派ですね。私も自分の母、祖母、一度だけ会った曾祖母のことを思い胸が熱くなりました。

私の母は3回結婚しましたがまた独身になり、私の祖母は2回結婚しましたが、一人目の夫は戦争で亡くし、二人目の夫は仕事をせず収入がなかったので自分から別れ、スナックを経営し私の母たちを育てたそうです。

今私にとっては独り者の母がある意味気がかりで、お年を召しても幸せそうなご夫婦を見かけると、どうしてうちの母にはその幸せが舞い降りてこないのだろうと、ふと考えてしまうことがあります。

少し違いますが、私の母も自分でスナックを経営し生計を立てていたことがありました。算数ができずお酒に飲まれてしまいとんでもない形で終了しましたが、私は常に「反面教師」という言葉を胸に、悪いところを真似しないように気を付けています。

といっても性格上将来スナックでも開いたらといろんな人に言われるのでそれはマンザラではないのですが(笑)。

とにかく、ご先祖様が大変な思いをして繋いできてくれた命ですから、私たちはそれを幸せに全うしたいものですね。

典子さんの書かれるものはいつも勉強になります。どうもありがとうございました。
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ありがとうございます (のりひめ)
2011-09-29 08:44:43
みんないろいろな人生をせおっていて
みんないろいろな形で愛をしめしているのですね
愛をそそぐ相手がいるというのは幸せですね
ゆかりさんもふたりのむすめさん だんなさんに
たくさんの愛をそそいでご先祖様とご両親に報いているとおもいますよ

ご先祖様といえば
先日だ~りん母が無事退院して
お仏壇にみんなで
おばあちゃんが好きだった六方というおまんじゅうと
お父さんがすきだったコーヒーをお供えしました
その前は草津でおじいちゃんがいつも買ってきていた温泉まんじゅを発見し
お仏壇にお供えしました

なんかそんなご先祖さまを思い出すことって心があったかくなりますね
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