のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『アール・デコ・ジュエリーの世界』展

2007-03-25 | 展覧会
おおっと ゲーテ忌を過ぎてしまったではございませんか。
当方、ゲーテ忌の日付を間違えていたようでございます。
せっかくメフィストフェレスがいかにナイスな奴かということを
独断と偏見と情熱をこめてひとくさり語らせていただこうと企画しておりましたのに。
無念。このネタは来年のゲーテ忌にまわすことにいたします。
来年まで当のろやが存続していればの話ではございますが。

ところでメフィストフェレスといえば、『ファウスト』第一部、
登場間もない頃に酒場で歌う有名な風刺歌がございますね。
王様が蚤を寵愛して云々、という。そう、通称 蚤 の 歌 
ノ ミ の う た ・・・・・・ああ、いい響きでございますねえ。・・・

さておき。
『アール・デコ・ジュエリーの世界』展 京都国立近代美術館 へ行ってまいりました。
カルティエの売れっ子デザイナーだったシャルル・ジャコーのジュエリーデザイン画を中心に
実物のジュエリーやドレス、そして当事のファッション紙を飾ったイラストレーションなどで構成されております。

ジュエリーデザイン画は本来の目的からすれば、まだ見ぬ完成品のための構想/下絵に過ぎないものでございますが
他のグラフィックアートとはまた異なる、独特の端正な美しさがございますね。
デザイナーの頭の中にあるイメージをできるかぎり明快に現そうとするシャープな線や
石ひとつの場所もゆるがせにしない、緻密で几帳面な描き方は
3次元のものとして制作されることを想定しているためでもありましょうし
実際にそれを作るのがデザイナー本人ではなく職人さんであるためでもありましょう。
完成品のジュエリーももちろん素晴らしいものでございますが
デザイン画単独でも、美術品として鑑賞する価値が充分ありありでございます。

本展で中心的に紹介されておりますジャコーは、デザイン画を描くにあたって、デザインそのもののみならず
紙の裏側から描いたり、絵具を盛り上げたりと、宝石のきらめきを表現することにも心を砕いたのだそうでございます。
抽象的なかたちと、花や鳥や果物といった具体的なかたちの双方を自在に駆使したそのデザインもさることながら
描き手の愛情すら感じられるような、繊細な宝石の描写もまた魅力的でございました。
翡翠など、玉(ぎょく)系の貴石の、白濁した柔らかな輝きや
エメラルドやルビーなどの深みのある澄んだ輝き、ダイヤモンドの硬質で鋭い輝きが見事に再現されておりました。

デザイン画についで多く展示されておりましたファッションイラストは
ジャポニズム込みな雰囲気がいかにもアールデコでございますが
服だけでなく家具調度、全体の色彩へのこだわり、物語性を感じさせる場面設定などは
今のファッションフォトに通じる血脈でございますね。

全体的に あー眼福 眼福 な展覧会でございました。

また4Fのギャラリーでは 特集展示「現代ジュエリーの諸相―metaphor in mobility」が催されておりまして
こちらもたいへん面白うございましたねえ。と申しますか、のろ的にはこちらの方が好みでございました。
「ジュエリー」という呼び方でくくるのはいかがなものかとは思いましたけれどもね。
ジュエリー、あるいはアクセサリーというよりも、
身につけるものという性質を利用したアート作品といった趣きでございます。
アントネッラ・ピエモンテーゼの「TEAR COLLECTOR」(涙集め機)なんて、よろしうございますねえ。
即ち ↓ こういうのですが。




最後に。
なにゆえ、かのおじさんやおばさんたちは
「現代美術はわけがわからん!」と大声で宣言しながら館内をお歩きになるんでございましょうか。
わかろうというおつもりも楽しもうというおつもりも無いのなら、ただ黙って通り過ぎればよいではございませんか。
作品をちらっと横目で見て、「あーわからん、わからん、やっぱり現代美術は」と
不必要に大きな声でのたまいながら闊歩なさるのは
本当に、やめていただきたいものでございます。

最後にと申しましたが
愚痴で話をしめるのはちと後味が悪うございますね。

お口直しに、 ルドンのメフィストフェレス でもご覧くださいませ。

こんなにうつくしくてよいのでしょうか。
よいのです。