3/5の続きでございます。
ドイツ絵画と聞いて「軽やか」とか「あっさりさっぱり」という言葉を連想するかたもおりますまい。
肖像画の間に続くドイツ絵画の展示室がやたらと狭く感じられたのは、空間の問題というよりも、展示作品のえも言われぬ濃ゆさゆえであったかもしれません。
ともあれ、デューラーの瑞々しい作品若いヴェネチア女性の肖像に再会できたのは嬉しいかぎりでございました。
問題はその隣でございます。
ヨハンネス・クレーベルガーの肖像
ううむ。
デューラーさん、シュルレアリズムに目覚めたんでございましょうか。
あるいは、肖像画を描くついでに空間表現の実験をしてみたらこうなったのでございましょうか。
緻密に描き込まれた肌はそんじょそこらの「写実」を通り越し、生々しさの域にまで達しております。その迫真の描写ゆえに、図像の奇妙さがいっそう際立つ恰好になっているような気も。
デューラーにせよクラナッハにせよ、あるいは本展には来ておりませんがアルトドルファーやグリューネヴァルトにせよ、ドイツ・ルネサンスの絵画は「何でそこまで...」と首を傾げたくなるような過剰さがよろしうございますね。
さて、マルガリータは拝んだし、エリザベートも拝んだし、ゴヤにもデューラーにもお目通りがかなったし、これで目玉商品は出尽くしたかなと思いきや、このあとには大御所のフランドル・オランダ絵画が控えていたのでございました。
ヴァン・ダイクの素晴らしい肖像画に吸い寄せられてよろよろ歩いて行きますと、背後から何かとてつもなくよいものの気配が漂って来るではございませんか。これはと思って振り返ると、向かいの壁にティトゥスさんがおりました。
ああ、以前にもこんなことがあったっけ。
読書するティトゥス
明暗のバランスの妙。左手の指の間から、光のあたっている手のひらをちらりと見せている所なんかも実によろしうございますね。
レンブラントはもちろん肖像画の名手でございますが、中でも息子ティトゥスを描いた作品は特別でございます。あるいはまっすぐにこちらを見つめ、あるいは視線を斜め下方に落として、親密な人に見せる気取りのない表情をたたえたティトゥス。柔らかい光に包まれたその姿からは、画家が対象に寄せる深い慈しみが感じられるではございませんか。
机の前のティトゥス(1655)
ティトゥス(1658)
修道士に扮するティトゥス (1660)
解説文によるとこの作品、幼さの残る容貌から判断して、モデルが当時(1655年頃)すでに20代半ばであったティトゥスであることを疑問視する説もあるとのこと。
しかしワタクシは学者先生が何と言おうと、ティトゥスに違いないと思っております。
第一、そんなに幼くは見えませんけれどねえ。
絵画部門のあとには工芸品セクションがございました。これはこれで見事なものではあるのですが、いかんせん「こんなのも持ってるのよ」というチラ見せ感が強うございまして、いっそこのスペースを絵画に割いてくれた方がよかったなァと、のろは思った次第でございます。
ともあれ、国もジャンルも幅広いハプスブルク家コレクション、その一端をかいま見られたのはまことに幸せなことでございます。上に挙げたティトゥスやヴェネチア女性の肖像を始め、国内の展覧会でお目にかかったことのある作品もちらほら。そうした作品には、いやあお久しぶり、と知己に会ったような心地で語りかけつつ、欧州に名を馳せた華麗なる一族に思いを致してみるのでございました。
ドイツ絵画と聞いて「軽やか」とか「あっさりさっぱり」という言葉を連想するかたもおりますまい。
肖像画の間に続くドイツ絵画の展示室がやたらと狭く感じられたのは、空間の問題というよりも、展示作品のえも言われぬ濃ゆさゆえであったかもしれません。
ともあれ、デューラーの瑞々しい作品若いヴェネチア女性の肖像に再会できたのは嬉しいかぎりでございました。
問題はその隣でございます。
ヨハンネス・クレーベルガーの肖像
ううむ。
デューラーさん、シュルレアリズムに目覚めたんでございましょうか。
あるいは、肖像画を描くついでに空間表現の実験をしてみたらこうなったのでございましょうか。
緻密に描き込まれた肌はそんじょそこらの「写実」を通り越し、生々しさの域にまで達しております。その迫真の描写ゆえに、図像の奇妙さがいっそう際立つ恰好になっているような気も。
デューラーにせよクラナッハにせよ、あるいは本展には来ておりませんがアルトドルファーやグリューネヴァルトにせよ、ドイツ・ルネサンスの絵画は「何でそこまで...」と首を傾げたくなるような過剰さがよろしうございますね。
さて、マルガリータは拝んだし、エリザベートも拝んだし、ゴヤにもデューラーにもお目通りがかなったし、これで目玉商品は出尽くしたかなと思いきや、このあとには大御所のフランドル・オランダ絵画が控えていたのでございました。
ヴァン・ダイクの素晴らしい肖像画に吸い寄せられてよろよろ歩いて行きますと、背後から何かとてつもなくよいものの気配が漂って来るではございませんか。これはと思って振り返ると、向かいの壁にティトゥスさんがおりました。
ああ、以前にもこんなことがあったっけ。
読書するティトゥス
明暗のバランスの妙。左手の指の間から、光のあたっている手のひらをちらりと見せている所なんかも実によろしうございますね。
レンブラントはもちろん肖像画の名手でございますが、中でも息子ティトゥスを描いた作品は特別でございます。あるいはまっすぐにこちらを見つめ、あるいは視線を斜め下方に落として、親密な人に見せる気取りのない表情をたたえたティトゥス。柔らかい光に包まれたその姿からは、画家が対象に寄せる深い慈しみが感じられるではございませんか。
机の前のティトゥス(1655)
ティトゥス(1658)
修道士に扮するティトゥス (1660)
解説文によるとこの作品、幼さの残る容貌から判断して、モデルが当時(1655年頃)すでに20代半ばであったティトゥスであることを疑問視する説もあるとのこと。
しかしワタクシは学者先生が何と言おうと、ティトゥスに違いないと思っております。
第一、そんなに幼くは見えませんけれどねえ。
絵画部門のあとには工芸品セクションがございました。これはこれで見事なものではあるのですが、いかんせん「こんなのも持ってるのよ」というチラ見せ感が強うございまして、いっそこのスペースを絵画に割いてくれた方がよかったなァと、のろは思った次第でございます。
ともあれ、国もジャンルも幅広いハプスブルク家コレクション、その一端をかいま見られたのはまことに幸せなことでございます。上に挙げたティトゥスやヴェネチア女性の肖像を始め、国内の展覧会でお目にかかったことのある作品もちらほら。そうした作品には、いやあお久しぶり、と知己に会ったような心地で語りかけつつ、欧州に名を馳せた華麗なる一族に思いを致してみるのでございました。