のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『美しきカントリーライフ』展2

2010-04-20 | 展覧会
4/16の続きでございます。

静まる水底のような新館から、打ちっぱなしコンクリの明るい階段をとんとん上がって地上へ。青空のもと、咲きはじめたかりんの花や瑞々しい若葉をひとしきり愛でたのち、本館へと進んでまいります。

さてチョーサー著作集、と行きたい所でございますがその前に、思いもかけぬ凄まじい逸品が控えておりました。
ひとつの額に納められた、5枚の手彩色木版画でございます。
↓展示されていたものの画像ではございませんが、雰囲気としてはこんな感じ。
Augustine - Falvey Memorial Library
LiNE Zine - Issue 1 - Incunabulum
Woodcut of Circea in a German translation of Boccaccio's De claris mulieribus, Ulm ca 1541 - Freebase

展示パネルには「14-16世紀 インキュナブラ ドイツ」と。
インキュナブラとはマインツでグーテンベルクが世界初の印刷本を出版した西暦1450年頃から、次の世紀の入り口である1500年までの約50年間に印刷された書物、即ち初期印刷本のことでございます。
ハテ、文章が一切無い、絵だけの版画作品も「インキュナブラ」と呼ぶのかしらん?と思って眼を凝らしますと、恐ろしい事実が判明いたしました。紙の裏側から、重厚なゴシック体の文字が漉けて見えているではございませんか。つまりこれはそもそも両面印刷された本の挿絵であったのが、何者かによって切り取られて今のかたちになったということでございます。ギャーー!
こういう不埒なことをする輩は、あの世で存分に鞭打たれかし。

ああ、まったく、今やちっぽけな紙片として額に納められているこれら木版画のもともとの姿、即ち書物としての姿がどんなものであったろうかと考えますと、心痛のあまり気が遠くなるようでございます。が、それはそれとして、裏側からも見て取れる金属活字の確とした圧力たるや、それだけでも感動ものでございます。
手漉き紙の風合い、木版画独特の素朴な線描に、鮮やかで丁寧な彩色。いつまで見ても見飽きません。展示ケースに貼り付くようにして、気付けば小一時間も過ごしておりました。

素朴とは申しましたが、人物はいたって写実的に描かれております。麦畑の中の戦闘を描いたものでは小さな画面の中に、剣を振り上げる者、矢をつがえる者、叫び声を上げながら倒れる者、角笛を吹くもの、祈る者など一人一人の人物の顔や装束が丁寧に描き分けられており、まことに見ごたえがございます。隣の展示ケースには18世紀フランスで制作された、これも木版手彩色のタロットカードが展示されておりますが、こちらの絵はかなり拙い。比べて見るとインキュナブラの方のクオリティがよく分かります。

こういう「もの」としての圧倒的な存在感-----ワタクシはこれを「もの感」と呼んでおりますが-----を持つ作品は、意味とか思想といったものを踏み越えた問答無用の肯定感を発しております。ワタクシには、それが何より有り難い。つまり、根っからの愚か者であるのろはどうせ何もかも滅んで行くこの世界で何かを作ったり、直したりすることに一体何の意味があるのかということをいつも考えてしまうわけですが、こういうものに出会いますと、やっぱり、ものがある、何かが存在するというのは、それだけで素晴らしいことではないか、などと思うわけでございます。

ちと軌道がそれました。
ともあれ、こうしたものは生活と労働が(産業革命以降の世界ほどには)分離しておらず、身の回り物すべてが手工芸品であった時代の、美しき遺物でございます。ここに見られる素朴な手仕事の美こそ、ウィリアム・モリスや彼の賛同者たちが目指したものでございました。

振り向けばそのモリっさん渾身の『チョーサー著作集』が、柔らかな照明の中、緑のビロードの上に鎮座しておりました。
ありがたいことにここの展示ケースはかさが浅い作りとなっております。つまり表面のガラスから展示物までの距離が近く、「世界で最も美しい本」をそれはもう舐めるように見ることができるのでございます。

↓こちらで美麗画像が多数見られます。
ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』 

ケルムスコット・プレスの本、特に『チョーサー~』は、本やWeb上で縮小された画像を見ますと、美しいという以前に装飾過剰でいささか息苦しい印象を受けますけれども、実物を前にいたしますと、大きな版面を埋めつくす唐草模様や空間恐怖的な挿絵の必然性がしかと感じられるのですから不思議なものでございます。
A3はあろうかという大判のページは、その一枚一枚が特製の手漉き紙でございます。その上に整然と並ぶのはモリス自身がデザインしたゴシック活字と、親友で志を共にする画家バーン・ジョーンズがデザインした挿絵。本文を包むのは、小口のチリにまで瀟洒な金箔押しが施された革表紙。おのおのが濃厚なこれらの構成要素が互いに重力をかけあって、モリスが目指した総合芸術としての書物を作り上げております。
モリスが目指したのは手仕事の復権であり、労働に対する誇りと喜びの回復でございました。それはとりもなおさず、短時間でじゃんじゃん生産されては市場に流れ出て行く粗悪品への対抗であり、「手間をかける」、「こだわる」ということへの再評価でございます。ケルムスコット・プレスの重厚さは、みっちり詰め込まれた「喜ばしき手間」の帰結であると申せましょう。

本館にはこの他、手作りのテーブルセットや羊皮紙に描かれた楽譜などが展示されており、手間の美を堪能できる構成となっております。

「理想郷への回帰と旅立ち」という展覧会のサブタイトルにはちと現実逃避的なイメージがございますけれども、アーツ&クラフツや民芸運動は、大量生・産大量消費へとひた走る世界に対して異議を唱えた、いわば19世紀のカウンターカルチャーでございます。単に理想の田舎生活へと逃げ込むのではなく、理想郷を自ら作ってやろう、よいもの、価値あるものを自らの手で作り、発信していこう、とした人々の心意気が、「もの」を通して伝わってくる展覧会でございました。

何です。
理想郷を自ら作るなんて所詮金持ちの道楽じゃないかって。
ええ、まあ、そこがアーツ&クラフツの限界であり、問題点であったわけでございますがね。