美術館「えき」で開催中の「リスベート・ツヴェルガー絵本原画展」へ行って参りました。
ツヴェルガーは酒井駒子やビネッテ・シュレーダーと並んで、ワタクシが最も好きな現代絵本作家の一人でございます。
その画業の最初期から最新作までカバーする本展、冒頭に展示されているのは、何と5歳の頃のスケッチ、というか落書きでございます。余白には「女の子は魔法でリンゴに変えられてしまいました」というキャプションが、鉛筆書きのたどたどしい字で記されております。綴りを間違えて訂正されたらしい箇所もあり、なんとも微笑ましい。「幼い頃からラファエロのように描いた」のなんざピカソくらいなもんで、ツヴェルガー5歳の作品はいたって子どもらしい、つたない絵でございます。しかしそのファンタジックな題材やらシンプルで安定したフォルムやら全体のバランスやらに、すでに往年のツヴェルガーらしさを認めうると思うのは気のせいでございましょうか。まあ気のせいでしょうな。
5歳時の作品はさておき、本展では絵本作家としてのデヴュー以来、35年に渡って制作された数々の作品が時系列に沿って展示されておりますので、画風の変遷を明確に見て取ることができます。諸々の絵本原画展でもよく見かけるツヴェルガー作品ですが、こうした見方ができるのは回顧展ならではのことでございますね。
アーサー・ラッカムの絵に出会ってこの道を志したというだけあって、1977年のデヴュー作『ふしぎな子』には、植物の描き方や渋い色調にラッカムの影響が認められます。一方で線使いがややキーピングっぽくもあり、これは何となく70年代という時代を感じさせる所でございました。また後年の作風と比べると、手足が大きくデフォルメされ、輪郭線が強調されているなど、やや漫画的な表現となっております。
80年の『おやゆび姫』になると、明暗のコントラストが抑えられて画面全体をもの静かな雰囲気が包み、漫画的なデフォルメも目立たなくなり、そのぶん際立つのは画家の繊細かつ豊かな想像力とそれを支える確かな描写力でございます。
↑リンク先の絵は最上段真ん中のカエルの絵以外、全て本展で見ることができます。ごく自然に擬人化された野ネズミやもぐらやツバメの姿は、ひどくリアルで現実的な事物としての説得力がありながらも、幻想的で愛らしい魅力をもたたえております。
リアルな描写と幻想性と愛嬌、と言葉で並べるのは簡単でございますが、描写のリアルさは時に主題の幻想性を損なって、擬人化された動物を不気味なクリーチャーにしてしまいかねません。上記の形容のすべてを高水準で満たすのは、相当のセンスと力量を要することでございます。
『おやゆび姫』以降、ツヴェルガー独特のディテールの素晴らしさが際立ってまいります。ディテールといっても描き込みの細かさ、ということではございません。物語の本筋とは関わりのない、周辺部の描写ということでございます。
例えば、『おやゆび姫』では野ネズミのおばさんが防寒用に身につけている、マフラーと同じ柄のしっぽ袋や、おやゆび姫が履いているぶかぶかのスリッパ(野ネズミから借りているのでサイズが合わない)。『ぶたかい王子』(←クリックすると全ページ見ることができます)では、王子が豚飼いに変装するために引っ張りだした珍妙な帽子の数々や、急いで上履きをつっかけるにあたって小姓の背中を支えに活用する皇帝。『ちいさなヘーヴェルマン』では、疲れて眠るお月様の枕元に控えた、持ち主と同じ柄の衣装を着込んだ三日月人形。
こうしたディテールは話の筋そのものとは関わりがないだけに、作家の自由な発想の見せ所でもあり、遊びどころでもあり、また世界観に奥行きを与えるという点で重要な+αでもあります。
(かつての宮崎駿作品ではこの「ディテール/遊びどころ」による奥行きの構築が素晴らしい威力を発揮していたものでございます。近年の作ではむしろディテールばかりに力が注がれ肝心の本筋がないがしろにされているような気がいたしますが。)
90年代に入りますと、それまでセピアがちだった色彩に鮮やかさが増してまいります。はっとするような鮮やかな色が使われながらも心地よいリズムが画面を覆い、全体としてはこの上なくシックでございます。ここにはこの色以外ありえまいというドンピシャな配色を、塗り直しのきかない透明水彩(おそらく)という素材で描いてしまうのですから、ワタクシにはまったく奇跡のように思われます。
またツヴェルガーは、よく知られたおとぎ話や寓話の本質的なところはそのままに、その上に現代の衣装を着せることがとても上手い人でございます。この話なら当然こういう絵が来るんだろうなー、という予想を鮮やかに裏切る、その発想の自由さが何とも小気味よい。読者としてはまさかイソップ寓話である「人間とサテュロス」の挿絵に、アイスクリームのようにおっとりとした白さの三つ揃えスーツを着込んだ紳士や、粋な青白ストライプの生地が張られた寝椅子が登場しようとは思わないわけでございます。ところがツヴェルガーの手にかかると、神話画や古代ギリシャの壷絵で見かける半人半ヤギの牧神が、スーツの紳士やストライプのソファといった全く現代的なモチーフの中に、何の違和感もなく馴染んでしまいます。『ノアの箱船』で豪雨の中をユニコーンとともに逃げまどうのはレインコートに雨傘を携えた人間たちであり、『聖書』のバベルの塔は四角いビルディングであり、東方三博士はスーツケースを携えてやってまいります。
イソップ寓話に聖書の物語、アンデルセン童話に「不思議の国のアリス」、どれもこれも先人たちによってさんざん手あかのつけられ、強固なイメージが作り上げられて来た題材でございます。バベルの塔といえばブリューゲルのあの絵、そしてアリスといえばテニエル、あるいはディズニー映画におけるあのエプロン姿のアリスを思い起こさない人はおりますまい。そうした強力かつ広く普及した先行イメージや、歴代のさまざまな解釈とその描写にみっしり取り囲まれた題材においても、なおこれだけ新しく、独自な表現が可能であるということに、ほとほと感心させられました。
そんなわけで
スケッチ類を含めて約150点という思った以上に多くの作品を見ることができ、展示の最後には絵本を手に取って読めるコーナーまで設けられておりまして、大満足でございました。
ワタクシがツヴェルガー作品の中で一番好きな『ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら』がなかったのだけが、ちと残念ではございましたけれど。
ツヴェルガーは酒井駒子やビネッテ・シュレーダーと並んで、ワタクシが最も好きな現代絵本作家の一人でございます。
その画業の最初期から最新作までカバーする本展、冒頭に展示されているのは、何と5歳の頃のスケッチ、というか落書きでございます。余白には「女の子は魔法でリンゴに変えられてしまいました」というキャプションが、鉛筆書きのたどたどしい字で記されております。綴りを間違えて訂正されたらしい箇所もあり、なんとも微笑ましい。「幼い頃からラファエロのように描いた」のなんざピカソくらいなもんで、ツヴェルガー5歳の作品はいたって子どもらしい、つたない絵でございます。しかしそのファンタジックな題材やらシンプルで安定したフォルムやら全体のバランスやらに、すでに往年のツヴェルガーらしさを認めうると思うのは気のせいでございましょうか。まあ気のせいでしょうな。
5歳時の作品はさておき、本展では絵本作家としてのデヴュー以来、35年に渡って制作された数々の作品が時系列に沿って展示されておりますので、画風の変遷を明確に見て取ることができます。諸々の絵本原画展でもよく見かけるツヴェルガー作品ですが、こうした見方ができるのは回顧展ならではのことでございますね。
アーサー・ラッカムの絵に出会ってこの道を志したというだけあって、1977年のデヴュー作『ふしぎな子』には、植物の描き方や渋い色調にラッカムの影響が認められます。一方で線使いがややキーピングっぽくもあり、これは何となく70年代という時代を感じさせる所でございました。また後年の作風と比べると、手足が大きくデフォルメされ、輪郭線が強調されているなど、やや漫画的な表現となっております。
80年の『おやゆび姫』になると、明暗のコントラストが抑えられて画面全体をもの静かな雰囲気が包み、漫画的なデフォルメも目立たなくなり、そのぶん際立つのは画家の繊細かつ豊かな想像力とそれを支える確かな描写力でございます。
↑リンク先の絵は最上段真ん中のカエルの絵以外、全て本展で見ることができます。ごく自然に擬人化された野ネズミやもぐらやツバメの姿は、ひどくリアルで現実的な事物としての説得力がありながらも、幻想的で愛らしい魅力をもたたえております。
リアルな描写と幻想性と愛嬌、と言葉で並べるのは簡単でございますが、描写のリアルさは時に主題の幻想性を損なって、擬人化された動物を不気味なクリーチャーにしてしまいかねません。上記の形容のすべてを高水準で満たすのは、相当のセンスと力量を要することでございます。
『おやゆび姫』以降、ツヴェルガー独特のディテールの素晴らしさが際立ってまいります。ディテールといっても描き込みの細かさ、ということではございません。物語の本筋とは関わりのない、周辺部の描写ということでございます。
例えば、『おやゆび姫』では野ネズミのおばさんが防寒用に身につけている、マフラーと同じ柄のしっぽ袋や、おやゆび姫が履いているぶかぶかのスリッパ(野ネズミから借りているのでサイズが合わない)。『ぶたかい王子』(←クリックすると全ページ見ることができます)では、王子が豚飼いに変装するために引っ張りだした珍妙な帽子の数々や、急いで上履きをつっかけるにあたって小姓の背中を支えに活用する皇帝。『ちいさなヘーヴェルマン』では、疲れて眠るお月様の枕元に控えた、持ち主と同じ柄の衣装を着込んだ三日月人形。
こうしたディテールは話の筋そのものとは関わりがないだけに、作家の自由な発想の見せ所でもあり、遊びどころでもあり、また世界観に奥行きを与えるという点で重要な+αでもあります。
(かつての宮崎駿作品ではこの「ディテール/遊びどころ」による奥行きの構築が素晴らしい威力を発揮していたものでございます。近年の作ではむしろディテールばかりに力が注がれ肝心の本筋がないがしろにされているような気がいたしますが。)
90年代に入りますと、それまでセピアがちだった色彩に鮮やかさが増してまいります。はっとするような鮮やかな色が使われながらも心地よいリズムが画面を覆い、全体としてはこの上なくシックでございます。ここにはこの色以外ありえまいというドンピシャな配色を、塗り直しのきかない透明水彩(おそらく)という素材で描いてしまうのですから、ワタクシにはまったく奇跡のように思われます。
またツヴェルガーは、よく知られたおとぎ話や寓話の本質的なところはそのままに、その上に現代の衣装を着せることがとても上手い人でございます。この話なら当然こういう絵が来るんだろうなー、という予想を鮮やかに裏切る、その発想の自由さが何とも小気味よい。読者としてはまさかイソップ寓話である「人間とサテュロス」の挿絵に、アイスクリームのようにおっとりとした白さの三つ揃えスーツを着込んだ紳士や、粋な青白ストライプの生地が張られた寝椅子が登場しようとは思わないわけでございます。ところがツヴェルガーの手にかかると、神話画や古代ギリシャの壷絵で見かける半人半ヤギの牧神が、スーツの紳士やストライプのソファといった全く現代的なモチーフの中に、何の違和感もなく馴染んでしまいます。『ノアの箱船』で豪雨の中をユニコーンとともに逃げまどうのはレインコートに雨傘を携えた人間たちであり、『聖書』のバベルの塔は四角いビルディングであり、東方三博士はスーツケースを携えてやってまいります。
イソップ寓話に聖書の物語、アンデルセン童話に「不思議の国のアリス」、どれもこれも先人たちによってさんざん手あかのつけられ、強固なイメージが作り上げられて来た題材でございます。バベルの塔といえばブリューゲルのあの絵、そしてアリスといえばテニエル、あるいはディズニー映画におけるあのエプロン姿のアリスを思い起こさない人はおりますまい。そうした強力かつ広く普及した先行イメージや、歴代のさまざまな解釈とその描写にみっしり取り囲まれた題材においても、なおこれだけ新しく、独自な表現が可能であるということに、ほとほと感心させられました。
そんなわけで
スケッチ類を含めて約150点という思った以上に多くの作品を見ることができ、展示の最後には絵本を手に取って読めるコーナーまで設けられておりまして、大満足でございました。
ワタクシがツヴェルガー作品の中で一番好きな『ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら』がなかったのだけが、ちと残念ではございましたけれど。