なんかもう人生も人類も保存の努力に値しないような気がして久しいわけですが
それはそれとして
『ホーリー・モーターズ』でございます。
監督自身が「編集の段階で初めてこの映画を発見した」とおっしゃってるくらいですから、たぶん、好きなように観て好きなように語ったらいい作品。というわけで臆することなくゴタクを並べようと思います。こういう作品って、あんまりくどくど語らない方がカッコいいんだろうなあとは思いつつ。
お話は、主人公であるオスカーなる人物が、楽屋よろしく衣装や小道具やメイク道具を満載したリムジンに乗りこみ、容貌も背景も様々に異なる人物に変身しては街頭に繰り出して、ある人生の一コマを演じて朝から晩までを過ごす、もうひたすらそれだけでございます。
それだけなんですが、これが大変面白かったのでございますよ。きっとわけわからん系の映画だろうと身構えておりましたので、こんなにもシンプルに楽しめるとは思いませんでした。笑いどころも多うございましたし。
何が面白かったのかと申しますと。
まず、全編を通じて散りばめられた、映画という娯楽/芸術へのオマージュ。
そして「人生は終わりなき舞台」というテーマ(このフレーズ自体は映画のキャッチコピーであり、つまりはコピーライターが考え出したものですが、インタヴューでの監督自身の言葉から鑑みて、これを本作のテーマのひとつと呼んでも差し支えないと思われます)を鼻先にぶら下げられつつ、それを取らせてなるものかという感じで振り回される楽しさ。
そして旋回し・愛撫し・よろめき・疾走し・襲撃し・時にはひっそりと息絶えて行く、ドニ・ラヴァンという小さな身体の引力、説得力でございます。
Holy Motors Official Trailer #1 - Film of the 21st century: reference
ソクーロフの『ファウスト』で事実上のメフィストフェレスを演じたアダシンスキー氏なんかもそうですが、マイム畑の人の身体には独特の引力めいたものがございますね。「肉体美」という言葉で連想されるのは、例えばボディビルダーやバレエダンサーの均整の取れた身体や、アスリートのがっちりとした筋肉でございましょう。しかしマイムや舞踏といった分野の人たちの身体には、そうした何か特別で彫刻的な美しさではなく、もっと卑近で、動きを伴った時に初めてその真価が分かるような、「用の美」とでも呼びたいものが備わっております。
オスカーが一日のうちに演じる/生きる11の生のうち、その身体性がとりわけ強く意識されるのは、まさしく「動き」が全てである、モーションキャプチャのスペシャリストとしてのパートと、それに続く下水道の怪人・メルドのパート、それからアコーディオン隊が無言で夜の教会を闊歩する「インターミッション」でございます。
また、映画の原点であり、映画における最も素朴な喜びである「動きの記録」ということ、それがことさら意識されるのも、オスカー自身のセリフが無いに等しいこれらのパートにおいてでございました。
次回に続きます。
それはそれとして
『ホーリー・モーターズ』でございます。
監督自身が「編集の段階で初めてこの映画を発見した」とおっしゃってるくらいですから、たぶん、好きなように観て好きなように語ったらいい作品。というわけで臆することなくゴタクを並べようと思います。こういう作品って、あんまりくどくど語らない方がカッコいいんだろうなあとは思いつつ。
お話は、主人公であるオスカーなる人物が、楽屋よろしく衣装や小道具やメイク道具を満載したリムジンに乗りこみ、容貌も背景も様々に異なる人物に変身しては街頭に繰り出して、ある人生の一コマを演じて朝から晩までを過ごす、もうひたすらそれだけでございます。
それだけなんですが、これが大変面白かったのでございますよ。きっとわけわからん系の映画だろうと身構えておりましたので、こんなにもシンプルに楽しめるとは思いませんでした。笑いどころも多うございましたし。
何が面白かったのかと申しますと。
まず、全編を通じて散りばめられた、映画という娯楽/芸術へのオマージュ。
そして「人生は終わりなき舞台」というテーマ(このフレーズ自体は映画のキャッチコピーであり、つまりはコピーライターが考え出したものですが、インタヴューでの監督自身の言葉から鑑みて、これを本作のテーマのひとつと呼んでも差し支えないと思われます)を鼻先にぶら下げられつつ、それを取らせてなるものかという感じで振り回される楽しさ。
そして旋回し・愛撫し・よろめき・疾走し・襲撃し・時にはひっそりと息絶えて行く、ドニ・ラヴァンという小さな身体の引力、説得力でございます。
Holy Motors Official Trailer #1 - Film of the 21st century: reference
ソクーロフの『ファウスト』で事実上のメフィストフェレスを演じたアダシンスキー氏なんかもそうですが、マイム畑の人の身体には独特の引力めいたものがございますね。「肉体美」という言葉で連想されるのは、例えばボディビルダーやバレエダンサーの均整の取れた身体や、アスリートのがっちりとした筋肉でございましょう。しかしマイムや舞踏といった分野の人たちの身体には、そうした何か特別で彫刻的な美しさではなく、もっと卑近で、動きを伴った時に初めてその真価が分かるような、「用の美」とでも呼びたいものが備わっております。
オスカーが一日のうちに演じる/生きる11の生のうち、その身体性がとりわけ強く意識されるのは、まさしく「動き」が全てである、モーションキャプチャのスペシャリストとしてのパートと、それに続く下水道の怪人・メルドのパート、それからアコーディオン隊が無言で夜の教会を闊歩する「インターミッション」でございます。
また、映画の原点であり、映画における最も素朴な喜びである「動きの記録」ということ、それがことさら意識されるのも、オスカー自身のセリフが無いに等しいこれらのパートにおいてでございました。
次回に続きます。