SH快特みやっち

旅する鉄ちゃんが気が向いた時に作品を上げるページ。

南部戦跡

2007-08-30 00:53:26 | 戦争と戦争遺跡
ということで旧海軍司令部壕へと向かったんですよ。
バンヤンからはだいたい30分ちょっとぐらいで行けるんですよ。でもね、ナビがアホなんですなぁ、あのね、GPSがちょっとずれてましてね、曲がらないかんとこでそこを通過する時にまもなく左折ですとかね・・・。遅ーよ・・・。おかげで司令部壕へ行くまで1時間近くかかりました。この先が思いやられますなぁ・・・。

旧海軍司令部壕は豊見城の丘に掘られた地下要塞です。丘の上からの見晴らしはとても良かったです、でも62年前はこの景色が一変して焼け野原だったと思います。
資料室が併設されていて、そちらを見てから司令部壕内へ入ります。言ってみれば資料室はウォーミングアップみたいなものですな。壕の入口ではなぜか自然に敬礼をしてました。壕全体の長さは450mあるのですが、公開されているのはそのうちの2/3にあたる300m程です。
中には司令官室・作戦室など多くの部屋がありましてね、その中に太田司令官が自決した部屋もあり、当時の状態で保存・公開されているので手榴弾の破片が飛び散った跡などがしっかり残っているのですよ。そして奥の狭い通路では露天掘りでなぜか水が漏れていましてね、当時の状況を感じることができ病傷兵がいたり他の将兵がいたりと言うような雑然とした光景が自然と目の前に浮かんできたのですよ。
そして出口へ向かい、外の光が見えてきて外へ出て戦火ではない平和な景色を見たときはなんか嬉しくて涙が出そうでしたよ。そして出口ではこれまた自然と合掌していましたね。最初っから重かったです、だからね、写真撮るの忘れてましてね・・・、ん~重い。
そんな重い空気の中お次は喜屋武岬へと行きましてね、ここは沖縄戦も行き詰った後期の頃、追詰められた兵士や多くの住民がこの岬から身投げをした場所です。
で、糸満を通って行くんですけどね、いやぁ~長い道のりだった。なんせ車線の幅がちと狭いんですなぁ、あのね、ダンプとかがね道幅ギリギリでライン踏みそうなんですよ。でね、いい風に言えばみんなの~んびりなんですけどね、まあようするにトロイんですよ。でもね、右折する時だけはサッと行くんですなぁ、普通ね、対向車との間隔が30mぐらいしかないのに曲がるかい?30mってね、50km/h以上で走ってたらねこれ完璧事故ですよ。
あのね本土のみなさんね、黄色い警戒標識でね事故多発って言う標識見たことあります?衝突をイメージさせる画に事故多発って書いてあるんですよ。ねぇ本土じゃ見たことないよね。そりゃねあんな運転じゃあっても当たり前かぁって思いますけどね、標識見たとき一瞬目を疑いましたからね。
まあそんなこんなで喜屋武岬に着きましたよ。

ここは岬に平和の塔が建っているだけなんですよ、でもね、この断崖で逃げ場が無くなれば選択肢は無いかもしれませんね・・・。景色はとても綺麗なところです、でもそんな状況じゃないですよね、こんな断崖で追詰められれば誰でも身を投げたくなるのだと思います。こんな悲劇さえなければごく普通の景色のいい岬なんですけどね・・・。
でね、ここへ来る道は狭くて周りが草が生えてて見通しがきかないので数箇所カーブミラーがあるんですけどね、見にくくてどれもあんまり役に立たないんですよ。おまけに一番岬よりのミラーは鏡の部分が剥がれてミラーの役目を果たしてないしね・・・。
でもってお次はショートカットをしつつひめゆりの塔へ参りますよ。
でね、ひめゆりの塔に着いたのが14:45頃なんですよ。だから16時までには余裕で平和祈念公園へ行ける予定だったので、そう思いながらひめゆりの塔を見に行ったのですよ。

でね、みなさんの中にはひめゆりの塔が奥に写っている慰霊塔だと思っている人がほとんどじゃないですか?あのね、ひめゆりの塔ってのはね手前に写っている小さな石碑なんですよ。戦後の混乱期の物資が乏しい中で建てられたようでこのような小さな塔になったらしいのです。供養するのに大きい小さいなんて関係ありませんよね、大切なのは気持ちです。そうして資料館へ入りましたらね、今回は行けなかった南風原の陸軍病院壕の実物大ジオラマが作られていたのですよ。そして、館内ではひめゆり学徒隊の生存者の方が当時の証言者として語り部をしているんですよ。

その証言を後ろの方から聞いていたんですけどね、体験した人が語ることなので生々しくてとても聞くに堪えないもので涙を堪えながら聞いてました。でね、その方が米軍のこの壕へ最後の砲撃を開始する直前のことを語っていた時にね、とても心に響いた言葉がありました。
この生存者の方もそうだったそうですが、引率の先生や仲間と共に手榴弾で自決するつもりだったそうです。でも引率の先生はこうおっしゃったそうです、「命を粗末にするな」と、そして、「お前たちはしっかり生きるんだ」と、そうして壕が堕ちる前にみなさんは脱出して生延びたそうです。これを聞きましたらね、もう我慢できなくなりましてね、もうこれ以上聞くことができなかったので申し訳なく思いながら先へ行ったわけです。やはりね、当時の尊皇愛国の軍国教育の中でもこのように思われていた方もおられたのですね。
と、資料館を出ましたらね、16:15・・・、・・・?。あれ?じゅうろくじじゅうごふん?これはダメですなぁ、車に戻ってるるぶを見たらね、やっぱりダメですよ。何がダメかって?いやね、平和祈念公園自体は夜まで開門してますけどね、資料館は17時までで16:30で入館終了なんですよ。そりゃああかんね。とまあ仕方ないから今日はこれで終了ですわなぁ、ということでホテルへ向かいますよ。
今日のホテルはゆいレールの旭橋駅前の東横インです。そいで331号線かそこらを走って行ったんですけどね、途中でまたまたビックリしましてね、2輪車がセンター寄りを走ってるんですよ。一つ確認ですけど沖縄って日本ですよねぇ?道交法って日本全国どこへ行っても同じですよねぇ?なのになぜ真ん中を走るだ?ほりゃぁやっぱり事故多発の警戒標識は必要だね。
そうしてそのまま那覇市内に入りますとね、意外にも急な坂が多いんですよ。でもね、1台としてエンブレを使う車がいないんですよ、みんなブレーキ踏みまくりでね、ミッション車のバスでさえも踏みまくり・・・、なんなんだ沖縄!
那覇市内では渋滞に巻込まれ、ホテルの駐車場に入るのに15分・・・オイオイ・・・。そうしてチェックイン後しばらくしてからちょっと出かけましてね、県庁前で銀行へ行った後ゆいレールのロケハンしがてら牧志へ行って、国際通りにある沖縄そば博物館へ夜ご飯を食べに行ったんですよ。でもね、なんかハズッた感大なんですよ。キャナルシティのラースタとか他のラーメンミュージアムと比べてね、なんか超が付くぐらい活気がないんですよ。おまけにソーキそば食べたら思ったよりこってりしとってすんごい胃が壁に寄りかかってきたんですよって普通に言えば胃がもたれるってことね。んで帰りに牧志駅の近くのマックスバリューでビールとかを買ってホテルへ戻ったのですよ。あとから思い出しましてね、どうせなら泡盛にしろよって感じですよ。でね、風呂に入ったあとで一杯やってそのあとでコーヒー飲んでましたらね、途中で寝てまってふと目が覚めた時にはまあ冷めてますわな。コーヒーはアイスでも飲めるからまあいいんですけどね。


とまあ重い1日でしたね。
明日はそんなに重くない1日ですけどね、まあそれなりに思うことがある1日なのでね、次回もお楽しみにぃ。
ある意味沖縄で運転することの方が気が重いかも・・・。