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【東近江・身近な昔探訪】第4回・旧八日市市金屋通り・御代参街道の「長野薬局」

幕末期の近江・八日市・金屋村(東近江市)にも国学者で井伊直弼の腹心だった「長野主膳(義言)」に師事した知識人がいた。八日市の町民で商人や医師、僧侶、女性も含まれていたのである。

もしかすれば長野主膳義言も八日市に来たことがあったかもしれない。浜野と金屋は筏川(金屋通り・元八風街道)を境界線で浜野側は彦根藩、金屋側は仙台藩の領地であった。この時のこの地域の長野門弟の中心的存在だった「西沢善輔」は彦根藩側の長野との繋がりは強かったと思われる。

 

幕末の大老井伊直弼の腹心「長野主膳(義言)」のことは良く知られている。その長野主膳が東近江市にある「長野薬局」が繋がりがあるらしいとの話を最近聞いた。

「長野薬局」は大正年間から御代参街道に面するところに最近まで100年近く営業していた。店そのものは現存しており真意を尋ねることにした。

10月22日(火)、直接当主に会い確認したところ、残念ながら「関係はない」との事だった。同姓の「長野」違いだった。郡史や市史にも無かった話なのでこの話は束の間の夢物語だった。

 

↑栄町と金屋通りの御代参街道角付近にある老舗親玉本店(饅頭店)(左)と長野薬局(右)

 ↑長野薬局(大正年間から最近まで100年営業をしていた)

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