1980年代後半(1988年~1989年)、ビジネス出張を一人で行くようになる前、海外通で英語に堪能な先輩に同伴してニューヨークへ出張したことがあた。
それまで私はアメリカに渡航したことがなく初めてのアメリカだった。見るもの全てが新鮮でエキサイティングな街、国だった。
それまでにも数々の国に行ったことがあったが会社を代表して純然たるビジネス出張の経験はなく先輩の一挙手一投足を懸命に覚えるようにした。
また、事前に資料の作成、プレゼンの仕方など覚えることなど沢山あった。他に大事なことは挨拶から始まって、会議コミュニケーションの進め方も重要だった。
休憩時間や食事を共にする時の私的な会話も円滑な人間関係構築のため必要だった。出張の旅に心づくしの日本のノベルティの準備の大切だった。
先輩には2回同伴して貰った記憶があるがそれ以降、自分単独で海外出張をすることになった。他に人がいなかったので仕方がなかったが随分荒っぽい即製の海外ビジネス要員教育だった。
それから暫くして出張するようになったが初めの頃はドキドキだった。英語も流暢でもなく我流のだった。今から思うと行くところ初めの所ばかりで、初対面の人たちとコミュニケーションして物事を決めて行けたものだと今更感嘆する。多分、必死だったのだろう。
そんなビジネス出張の連続だったが仕事が終わりホッとできる夜のディナーは楽しみであった。特に外国人であっても複数人で頂く食事はお料理だけでなく、仕事やその他全般に話が進み楽しかった。
初回のニューヨークでは先輩が私が牡蠣(かき=オイスター)が好きなのを知っていてある夜、ニューヨークの有名なオイスターバーに連れて行ってくれた。
残念ながら付いて行ったので正確に店の名前を憶えていない。「Canterbury Ales Oyster Bar」か「Grand Central Oyster Bar 」辺りではなかったと思う。
世界中の珍しいオイスターが食べられ当時でも1品1000円位はしたと思うが冷えた各地の珍味を満喫した。その中に日本の牡蠣(熊本)もあった。よくも世界中の牡蠣を集めたものだと驚いた。
その後、ニューヨークには何回となく訪れたが基本的に一人出張でもあり、また、後年妻とニューヨークに旅をしたときも機会はあったがオイスターバーに行くことは無かった。
生牡蠣は好き嫌いがあり、食あたりを心配する人も居てステーキレストンに誘うようにはいかない。
しかし、今でもあの時の美味しいオイスターのことは忘れていない。