”スローライフ滋賀” 

130年前の「大津事件」 「津田三蔵」はなぜロシア皇太子を切りつけたか 捜査資料を公開(滋賀県)

 来日中のロシア皇太子が大津市で切りつけられて負傷した約130年前の「大津事件」で、実行犯の警察官津田三蔵」について調べた滋賀県警察部(県警)の捜査資料が滋賀県公文書館で公開されている。
 滋賀県公文書館歴史公文書専門職員の杉原悠三さんは「当時の国家権力や警察組織が、終着点として津田を犯罪者に仕立て上げている横暴さが読み取れる」と分析する。
 公開されているのは、事件の概要や、津田の半生、関係者への聞き取り結果など九つの資料。津田が反政府組織とのつながりがあるとした懸念から、政治団体や関係者について調べた資料もある。津田の性格や生活態度について上司にあたる守山署長は「性質ハ沈着」「職務勉励」などと記している。暗号化された電報も残っており、当時の警察の捜査や情報伝達の方法も分かるという。
 杉原さんは「太平洋戦争も乗り越え、警察内部にかかわるこれだけの資料が残っているのは貴重」と話す。
 大津事件の資料は2022年に滋賀県警から公文書館に移され、23年4月から公開が始まった。「しがネット受付サービス」や滋賀県公文書館などでの申請後、10日ほどで閲覧ができる。

 大津事件 1891年5月11日に大津市京町で発生。来日中のロシア皇太子ニコライが、警備にあたっていた滋賀県警守山署三上駐在所巡査の津田三蔵に切りつけられて負傷した。政府は津田の処分次第で、ロシアとの戦争にもつながりかねないとして「大逆罪」での死刑を主張。しかし裁判官は「謀殺未遂罪」による「無期徒刑」(無期懲役)を言い渡した。司法判断は国家権力などの干渉を受けないという「司法権の独立」を、裁判官が守った象徴的な事案とされる。犯行の明確な動機は明らかになっていない。

<記事・写真: 中日新聞より>

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