”スローライフ滋賀” 

【身近な昔探訪】第55回・東近江・御代参街道(中野地区)に今も残る元「宮路病院」

↑現存する元宮地病院の病棟(昭和4年(1929年)建築)

 東近江・御代参街道(中野地区)にある現在の宮地医院は元「宮地病院」で、「宮地直一」医師が創設した。
創始者の直一は文久2年(1862年)、旧甲賀郡八田村(現甲賀市)に生まれ、明治29年(1896年)東大卒業後、後、滋賀県蒲生郡医師会長を務めるなど、功労者であった。

 直一の嫡嗣で2代目の「宮地善久」は大正8年(1919年)、京大医学部後、後、昭和3年(1918年)に帰村した。翌年の昭和4年(1929年)頃、善久により現存する宮地病院が建設された。
 筆者は2代目、3代目(内科・外科医)をよく覚えている。病気の時はまず「宮地病院」の2代目、3代目に診てもらったものだ。昭和の30年代くらいまでは往診や看取りもしてくれる地域のホームドクターでもあり、子供達には校医でもあった。4代目は近江八幡市総合医療センターの内科医を経て引き継ぎ、現在は5代目(内科)が「宮路医院」を続けている。
 旧八日市市で現存する病院では宮地病院は八日市金屋にある「島田医院」に次いで古い。
 
 宮地医院になって以降、2020年で築91年の10床程度の元宮地病院入院病棟は長らく使われていないが現在も保存されている。映画のロケにも使えそうである。

 尚、宮地病院(医院)隣接の本宅はこの地の大庄屋で商人だった元「灰谷東衛門」家の邸宅だったが初代の宮地直一が買い取ったものである。
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