東近江市黄和田町の山あいの空き家に、家族で移住して丸5年。今の暮らしは「本当に生きている実感がある」と言う。
「EARTH DRUM」の屋号を掲げ、趣味が高じた仕事をする傍ら、妻と小中学生の2男1女を育て、地域でも頼りにされている。「自分の好きなことを生かして、地元で仕事をしたい」と語る。
↑写真:中日新聞より
「冬には家の周りに雪が積もるので、裏山で滑ると面白いんですよ」。そう言って、木の板を張り合わせて自ら加工した雪板を抱えてみせた。スノーボードと違い足の固定具がないが、代わりにひもを結べる金具が先端にある。
これまでに自分や子ども用などで7点を作った。以前からスノーボードをたしなんでいたが、3年前に近隣の知人から作り方を教わってのめり込んだ。操縦性を良くするために後部の形や裏側の溝の調整を試しており、今後は販売も見込んでいる。
家具を自作する趣味が高じて、移住後には自ら家を改修。その話が知人にも広まって内装工事を依頼してくる人が現れ、仕事につながった。
中学時代から続けてきた音楽活動は今、地域での音楽ライブや音楽教室として実を結んでいる。
だが、これまで好きなことだけを続けてこられたわけではない。
20代半ばで、バブル経済崩壊のあおりを受けて会社を退職。暫く社会に不信感を覚え、職や住居を転々としていた。
結婚して家庭を持つと、再び安定した所得を求めるようになり、移住前の約10年間は介護業界に従事。移住する直前の1年間は、兵庫県丹波篠山市で介護施設長を務めた。
そこでは重労働などもあって適応障害を発症。重労働から肺炎を患ったこともあり、業界から退いた。
そこでは重労働などもあって適応障害を発症。重労働から肺炎を患ったこともあり、業界から退いた。
心機一転して新天地を求める中で、過去に大津市に住んだ経験から滋賀に魅力を感じ、2018年10月、知人の紹介で今の家に移り住んだ。他の土地もあったが、決め手は「家の近くに川が流れ、湧き水もあって良い環境だった」ことだ。
ただ、田舎暮らしにも困難が付きまとう。初めの3年間は傷病手当と失業保険も受給して生活費をまかなっていたが、その後は新聞配達の仕事が大きな収入源。3~9月には漁協の組合員として川沿いの監視業務を担い、5~6月は政所茶の工場で作業をするなど、地域の体力仕事にアルバイトとして携わり、「何足ものわらじを履いている感じ」。
会社員や介護職員の時代に比べると、労働時間は短い。当時を振り返って「自分の70%は会社だった。今は100%、自分自身でいられている」と語る。
今後は、アフリカの太鼓の販売や小屋の建設にも挑戦したいと声を弾ませる。好きなことで生きていくことは、時に困難も伴う。それでも、その表情は晴れやかだ。
まえだ・たけひろ 1969年10月、京都府舞鶴市生まれ。高校を卒業後、働いていたデザイン事務所をバブル崩壊の影響で退職。アルバイトをしながら海外旅行を繰り返し、その後は介護業界に携わった。2018年10月、現在の東近江市黄和田町に移住した。
<中日新聞より>