”スローライフ滋賀” 

【滋賀・近江の先人第294回】福島で醸造業で成功した近江八幡商人・内池三十郎(日野町/近江八幡市)

 現在も近江八幡市には内池の性の住民がいる。多分、元近江商人の元内池家に繋がる人であろう。その中で本家の内池宗十郎家は「8代宗十郎「永年」の代に福島県瀬上に近江屋(内池家)を再興し中興の祖と呼ばれるくらいだった。
 「永年」が天保9年(1838年)78歳の時に記した「内池家訓」55ヶ条は近江商人の規範としてよく知られている。
 
*****************************
内池家」は近江日野(現滋賀県蒲生郡日野町)蒲生氏郷の家臣内池備後守の一族で、「初代宗十郎」は安土城下に住居し、八幡山築城と共に移転し、近江八幡の本町3丁目の京街道角地に住居を構え、屋号を米屋と称した。

 初代内池宗十郎、生誕年不明ー慶長8年(1603年)没。2代宗十郎元和元年(1615年)没。

 内池家本家の3代内池宗十郎「浄清」(寛永13年(1636年)没の代に出羽国天童に出店し、4代宗十郎「浄薫」、正徳4年(1714年没)の代に瀬上(現福島市瀬上町)に出店し、5代宗十郎「徳治」の兄弟で二男の「宗感」(正徳3年(1713年没)【初代内池三十郎】が福島に出店した。

浄薫」の本家を継いだのは長男の「徳次」である。二男「宗感」と三男の浄貞は小幡町内に別家し、後各々福島上町に出店した。1655年(明暦元年)のことである。
 この時よりニ男「宗感」の出店では、「代々三十郎」を名乗ることになる。そしてこれが、福島上町内池三十郎家」である。このように福島の豪商「内池三十郎」家も「宗十郎の一族」である。


内池三十郎家
 「内池三十郎家」は 「内池家譜」によれば、内池家は近江国蒲生日野の郷士である。
 「初代内池三十郎」(宗感)、(正徳3年(1713年没)。
 福島上町「内池三十郎家」は、幕末の1861年(文久元年) 7代目三十郎が始めた醤油醸造業が軌道に乗り、それを家業として身内が固まっていった。

 現代になり、「内池三十郎家」は一部,度量衡部門を「三器商会」として分離し、機械販売部門を「内池機械店」として分離した。前者は、「北東衡機工業株式会社」となった。
 「内池醸造」自体は、今日では地域を代表する企業となっている。

 また、9代目の最後の「内池三十郎」は福島市経済の中心者の1人であり、商工会議所の設立に尽力し、また吉野周太郎が設立に尽力した第百七国立銀行の頭取も務めた。
福島競馬場を誘致したのも彼の功績である。このように、福島上町内池家は一族から研究者や国会議員を排出する名門となった。

内池醸造のあゆみ
 明暦元年(1655年) 江州八幡在(近江八幡市)、初代「内池三十郎」が近江商人として福島進出。(今から367年前)。福島市大町を拠点とする。
天保年間(1830年以降) 当時の取扱い品目は反物、呉服や救命丸、真珠散(目薬)等の販売であった。
 文久元年(1861年) 七代当主、三十郎徳房が醤油・味噌の醸造を始める
明治後期 九代当主三十郎淡湖によって「内池合名」に改組。醤油・味噌醸造の傍ら、灯油・石炭販売、度量衡・機械の製造販売も手掛ける。
 大正 8年 (1919年) 十代久五郎「株式会社内池商店」に改組昭和22年(1947年) 大町工場を森合町に移設
 昭和35年(1960年) 「四季のつゆ」完成
 昭和36年(1961年) 大町本社ビル完成
 昭和47年(1972年) 本社機能を森合町に移転
 昭和52年(1977年) 「内池醸造株式会社」に名称変更
 平成 7年 (1995年) 瀬上町に新社屋工場完成。本社部門、製造部門ともに森合町より移転
 平成23年(2011年) 創業150周年

内池醸造株式会社
〒960-0101 福島県福島市瀬上町字西上新田1-7
TEL:024-554-6581 FAX:024-554-6585
http://www.uchiike.co.jp/

 現在の旧奥州街道沿いに内池家関係として、本家宗十郎家の(有)近江屋寝具店のほか、内池米穀店、(有)内池平蔵商店と内池姓の民家4軒が見受けられらしい。この他、同じ瀬上地内に「内池醸造」株式会社、本内地内に(株)内池工業があるようである。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「滋賀・近江の先人」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事