まるぞう備忘録

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【メリークリスマス】ナタンのイエス。

2019-12-24 09:39:14 | 今日のひとり言

防災カレンダー
24日。新月週間。

東京都足立区





 本日もまた私の空想小説です。すみません。
 空想小説では、私達が現在イエス・キリストと呼んでいる人物は二人おりました。
 一人はルカが伝えるナタンのイエス。馬小屋で生誕した。
 一人はマタイが伝えるソロモンのイエス。東方の三賢人の祝福を受けた。



チベットで発見されたナタンのイエスの物語。

 今から200年ほど前、ロシア人医師がインド北部の寺院で「聖イッサ伝」という書物を発見しました。チベット文化圏であった当地で見つかったこの書物は「偽書」と認定されています。
 それは新約聖書の記述と矛盾する点がいくつもある。ということでした。

 しかし新約聖書こそ、ナタンとソロモンの二人のイエスの言葉を合作したものである。という視点に立つと、このチベットの「聖イッサ伝」は非常に興味深い。

 なぜならこの「聖イッサ伝」は、ナタンのイエスの生涯の物語だからです。
 そして、「ナタンのイエス」が十字架で磔になったあと、「ソロモンのイエス」がパウロの手を借りて上書き加筆させたのが「新約聖書」です。新約聖書とは聖人の言葉と魔人の言葉が半々。

 その点でも「聖イッサ伝」のイッサ(ナタンのイエス)の言葉は非常に興味深い。たとえば下記の内容。
・真の神は私達の心の中にいる。良心が私達の神である。
・偶像崇拝とは御蔭信仰であり、人々を良心から離れさせる。
・神の創造の真理は女性の中にある。神性=母性。

 これらの言葉は新約聖書からは抹消されております。代わりに追記されているのは、パウロを介した「ソロモンイエス」の言葉。
・人間は全て罪深い。
・だから私が神の子として神の代理となります。
・私を信じるものは救われる。信じないものは地獄で永遠の業火に焼かれる。
・天国に生きたければ私と契約しなさい。



聖イッサ伝。

 クリスマスイブの今日。この聖イッサ伝を自分のための備忘メモとして投稿いたします。
 長文となりますので別記事として投稿いたしました。ご興味のある方は、下記のリンクからどうぞ。

聖イッサ伝




おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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練馬区役所・落合南長崎駅、どちらも歩いて行ける距離で、どちらにするか迷います。安全性は窓がない地下のほうが上だと思いますが、大規模災害時には、駅から追い出されそうな気もして…。こういう時に避難してきた人を追い出さないように都に求めていきたいです。

→ 地下鉄入り口のすぐそばの地上で待避して、火災が広がった時に地下にいつでも入れるようにしておくか。はいかがでしょう。
大江戸線は地下鉄の中でも新しい設計ですのでより安全だと思います。

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他人との勝ち負けじゃないんだね。自分との勝負だ。少しわかったような。自分を好きになるこの「気持ちの良さ」を体験するには良心に従うことです。うん。ありがとうございました。

→ そして「自分=他人」であります。

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地震が有ったから、火災旋風を想定するという時には、津波の可能性が無いかどうかも、同時に想定してください。津波の時、大江戸線は危険ではないですか?

→ 東京で地下鉄に避難を想定される方は、こちらをご参考になさってください。
先入観と全く違う「東京の地下鉄」本当の深さ
https://toyokeizai.net/articles/-/185149?page=4

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面識もない他所の国の未成年の女性に対して言うことじゃないかもしれないけれど、この表情の気持ち悪さ、悪辣さに周囲の大人は気づかないんですね。こんな悪い顔つきの子供を見たのは久々です。わたしには彼女の中に小さな悪魔が入り込んでいるとしか思えないです。こういう人間の出現が欧州を破滅へと加速させるのでしょうか。先日子供が通う学習塾の毎月の便りの中で、この少女のどこかでの演説内容が、英語の勉強になるからと掲載されていました。おかしさや異常さに気づかない人は気づかないんですね。

→ 周囲の人々の目に蓋をする特殊能力(カリスマ)がある人物だと思います。ヒトラーの演説も似ていると思います。

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ところで先日、知人と国際ニュースの世間話をしていましたら相手の方が「イスラエルで杉原千畝さんゆかりの桜と記念碑が区画整理という名目でごっそり消されたのは、そーゆー事(イランへのフッ化水素輸出疑惑)だったんですね」と言われて思い出しました。そういう事ありましたわ。400の樹が伐採されて、恐いなと思っていました。その後、記念碑は再建されて新たな植樹もされたそうです。

→ 再建されて良かったです。教えて頂いてありがとうございます。

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フォースのライトサイドとダークサイドはいわば陰と陽。両者が一体となることで宇宙に安定が齎せられる。スター・ウォーズとは決して、ダークサイドを「滅ぼす」話ではないんですな。その点、上手くまとめられた最終話だったなと。
さて、まるぞうさんの評価やいかに。
ていうか、最近のスターウォーズ観てます?


→ Ep8は先日テレビで録画して観ました。Ep9は年末に観に行く予定です。楽しみです。

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環境少女は大人になった時、昔の演説する自分をみてきっと恥ずかしい思いをするでしょう。睨みつける顔、怒る顔。大人になるにつれ自分のやった事の意味がわかり踊らせれた事にきづいてくれると思いたいです。

→ 彼女は周囲の大人にかつがれている神輿ではなく、周囲の大人を自分の意思で担がせている。と思います。周囲の大人よりずっと大人であると思います。子供の容姿は見せかけ。とさえ思います。

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グレタちゃんは、大人になって、本当の科学的な真実を知った時、どうなるのだろうとちょっとかわいそうな気持ちもあります。ショックを受けて表舞台から去るのか、したたかに、私は騙されていたと講演会でもするような人になるのか。

→ 甘い羊たちを刈り取る仕事をされていると思います。

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うわ〜
何ですかねこの写真いっぱいな。
何ですかね〜この表情。

→ これがあれの顔です。という空想小説です。

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まるで、オーメンのダミアンを見ているような気がします。
戸締り戸締り。


→ トマスの伝える魔人の方の幼少のイエス。もし私達が実物を観ることができるとするとこんな感じだったと思います。

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悲しい記事です。
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/18227


→「するとそのカードに、ブロック体の大文字で、「私たちは中国・上海青浦刑務所の外国人受刑者だ。意思に反して働かされている。私たちを助けてください。人権団体に知らせてください」と書かれてあったという。」


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僕だったらもしこんな記事を書いたら、読んだ人に「なーに言ってんだ?こいつ」って思われてるんじゃないかとか、気になってしまうだろうな。落ち着かなくなるかもしれない。
そういったことが気にならないとは、流石ですね!何かコツはありますか?


→ 私自身の「忘れないためのメモ」なので。特に。。。

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どの写真も目がおかしい。笑顔が笑顔ではなく歪んだ笑顔です。彼女を見るとゾッとするのでテレビで彼女の事を報道していると
チャンネル変えてます。


→ 鋭い嗅覚であると思います。

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SDGsを含めた気候変動問題への姿勢が各省によって分かれてしまって国としての統一見解が世界へ向けて示されていません。外務省と文科省は推進派、環境省は消極派です。ジュニアは環境少女をやんわりと批判しています。餅さんは知らんプリンです。国を挙げて世界にボケをかましているんでしょうか。

→ いつもの「肉を斬らせて骨を断つ」戦法だと思います。私が安倍外交を高く評価している理由であります。

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・目撃された日時(何日何時頃など)
・目撃された場所(県名や地名など)
・目撃された方向(可能なら)
地震雲かわからない方は地震雲の見分け方をご参考になさってください。
(個人情報は厳重に管理し、私以外の第三者に投稿者のメールアドレスなどの個人情報を開示することはありません。また御写真の画像情報や機種情報は消去いたします。人物が特定できる映り込みなどのぼかし加工もこちらで対応いたします。なおお送り頂いた御写真と目撃情報は関連サイトにも掲載させて頂くことがあります。)

本ブログは引用元をあきらかにしていただければ、ブログやSNSでの拡散は許可いたします。


【メリークリスマス】聖イッサ伝。

2019-12-24 09:28:00 | 今日のひとり言

聖イッサ伝

第1章
 イスラエルの地で侵された大罪のため、地は震え、天は泣いた。
 全宇宙の霊を宿し、偉大にして正しいイッサが、彼らによって拷問を受け、死に定められたから。
 全宇宙は霊は、化身して罪無きものの姿を取った。人に善をなし、人の悪しき心を滅ぼすために。
 更に、その罪により堕落した民を、平和と愛と幸せの暮らしに連れ戻すために、また唯一にして不可分なる創造の主を、民に思い起こさせるため。主の慈悲は限りなく果てしない。
 このことにつき、イスラエルから来た商人たちのことばに耳を傾けよ。


第2章
 イスラエルの民たちは、年に二度の収穫を恵まれた豊かな地に、羊の大群とともに住んでいたが、その罪によって神の怒りを買った。
 神は彼らに、国も家畜も財産も取り上げてしまう、恐ろしい懲らしめを与えた。彼らは当時エジプトを治めていた、強く富裕なパロの下で、奴隷の暮らしを強いられることになった。
 パ口(ファラオ)らは、イスラエルの民に困難な仕事を負わせ、鎖につなぎ、家畜よりもひどく扱った。彼らの肉体は佃の跡と傷に被われ、彼らは食物を受けることも、屋根の下に住むことも許されなかった。
 不断の恐怖により、一切の人間らしさを奪うためである。
 そしてこの恐ろしい災厄の中で、イスラエルの民は天の保護者を思い出し、彼に苦境を訴え、恵みと慈悲を乞うた。
 当時エジプトを治めていたパロは、数々の勝利と積み上げた財宝により、輝くばかりの名を轟かせた王者であった。その広大な宮殿は、奴隷たちの手により王のために築かれたものである。

 パロに二人の息子があった。弟の名をモッサ(モーセ)といい、イスラエル人の学者が彼にさまざまな学問を教えた。
 イスラエルの民はエジプトのモッサを愛した。彼の善良な人柄と、苦しみを持つものに見せる憐れみのゆえに。
 耐え難い苦しみに耐えながら、イスラエルの民は神を捨てず、人の作ったエジプト人の神々信仰に走ることもないのを見て、
 モッサは彼らの萎えていく力を、それでも絶望に追いやることのない、彼らの目に見えない神を信じた。
 イスラエル人の教師は、モッサの高い志に訴え、同じ神を信じるものの利益になるよう、彼の父パ口と、イスラエルの民との間を取りなしてくれるよう依頼した。
 王子モッサは父のもとに行き、彼ら不幸な人々の運命を改善してほしいと願った。 だがパ口は王子に対して怒り、奴隷たちに加えられる苦しみは、かえって倍増しただけだった。
 やがて怖ろしい災厄がエジプトを襲った。若きも老いも、弱者も強者も、多くが突然のぺストによって倒されたのである。パ口はエジプトの神々の恨みを買ったと考えた。
 ところが王子モッサは父に告げた。干渉しているのは奴隷たちの神であり、彼らの神が、苦しめられた民を助けようとして、エジプト人を懲らしめているのだ、と。

 パ口は彼の子モッサに、ユダヤ族の奴隷を連れて町を出るようにと命じた。首都を遥かに遠く離れたどこかに町を作り、奴隷とともに住むように、と。
 そこでモッサは奴隷たちに告げた。彼らの神、イスラエルの神の名において、彼らは自由になった。彼らとともに彼も町を出て、更にエジプトの地を離れよう、と。
 モッサはこうしてイスラエルの民を、彼らが多くの罪のために失った先祖の地へ導いた。彼は民に律法を与え、見えない彼らの創造主、無限の慈愛の神に向かって絶えず折れと命じた。
 やがて王子モッサは死んだが、イスラエルの民は彼が与えた律法を厳しく守った。それゆえ神は彼らに エジプトで負わせた災厄の償いをした。
 彼らの王国は、地上で最も強い国となり、王たちはその富と、イスラエルの民が受けた長い平和のゆえに名を知られた。


第3章
 イスラエルの富の輝きは、全地に広がり、近隣の諸国はイスラエルを羨んだ。
 至高の神が、常にイスラエルの勝利の軍隊の先頭に立っていたので、異教徒もあえて彼らを攻めようとはしなかった。
 だが不幸なことに、人は必ずしも自らに忠実ではあり得ない。イスラエル人の神に対する忠誠も長くは続かなかった。
 イスラエルの民はまず、神に与えられたすべての恵みを忘れることから始め、神の名に頼らず魔術師、魔法使いらの保護を求めはじめた。
 王と民の指導者は、モッサが民のために書き与えた律法に替え、彼らの作った法を民に押しつけた。神の宮と信仰のつとめとは放棄され、人々は快楽に身をゆだね、かつての純粋さを失った。

 エジンプト出立から数世紀が過ぎて、神は再び彼らの上に懲らしめを下そうと決意した。
 異邦人らがイスラエルの地に侵入を始め、国を荒らし、村々を廃墟にし、民を捕囚として遠く連れ去った。
 同時に海の彼方の口ーマから、異教徒たちが現われた。彼らはへブライ人を従え、カイザルの委託を受けて統治する軍事指導者を置いた。
 彼らは神の宮を毀ち、民に見えない神を信じることをやめさせ、異教徒の村々に犠牲を棒げることを強制した。
 彼らはイスラエルの貴族を戦士に仕立て、妻を夫から引き離し、身分の低いものを奴隷にして、何千となく海の彼方に送り出した。
 子どもについて言うなら、子どもは殺された。こうしてイスラエル全土に、叩きと嘆きの声ばかりが高くなった。
 この苦しみのどん底で、民は大いなる神を思い出した。彼らはその恵みに拠り頼み、許しを乞うた。そしてわれらの父なる神は、限りない慈愛をもって、民の祈りを聞いた。


第4章
 慈愛に満ちた裁き主が、いま人の姿を取って、世に現われようとする時が来た。
 完全な無為と至福にあった天の永遠の霊が目を覚まし、時を定めず永遠なるものから分かれて地を目指した。
 人の姿を取ってなお、神であることを示す道、永遠の至福に至る道を明かすため、
 また、人がいかにして道徳の純粋を獲得し、世俗の煩いから魂を切り離して、至福不変の天国に至る資格を得るかを、身をもって示そうとして。

 その後やがて、イスラエルの地に不思議な子が生まれ、この幼な子の口を通して、神みずからが肉体のはかなさ、魂の気高さを語った。
 ここに新たに生を受けた幼な子の貧しい両親は、生まれは高名な信心の家系に属していたが、昔の地上の栄華はいま念頭になく、ひたすら創造主の名を崇め、不運の中にも神に感謝を棒げていた。それが、神により彼らが選ばれた理由でもあった。
 真理の道をそれることのない彼らに報いるため、神はこの家族の初子を祝福した。神は選びのものとしてこ子を立て、罪に堕ちた人々を助け、悩める人々を癒やすため、この子を世に送った。

 イッサと名づけられた神の子は、早くから、唯一にして不可分の神について語りはじめた。
 全地の人々が、イッサのことばを聞きに来た。彼らは、あどけないこの子の口から出る説教に驚いた。イスラエルのすべての民が、この子に永速の霊が宿っていることを認めた。
 イッサが十三歳、イスラエル人の妻を迎える年になったとき、
 生活の資を得るため、両親がつましい商いをしていた彼らの家は、金持ちや高い身分の人々の集会の場になった。彼らはみな、若いイッサを自分の婿にしたがっていた。全能の神の名による教化の説教は、すでにイッサを有名にしていたから。
 イッサがひそかに両親の家を離れ、エルサレムを立ち、商人たちとともにシンド(インド)に向けて出発するときが来た。
 神のことばにおける完成を日指し、大いなるブッダの法を学ぶために。


第5章
 神はイッサを祝福したもう。若いイッサは十四歳のとき、シンドのこちら側に来て、神の愛された地、アーリア人の間で一人立ちしていた。
 この不思議な子どものうわさは、北シンド全域に広がった。彼が五つの川と、ラージプータナの国を過ぎたとき、ジャイナの神の帰依者たちは、自分たちの間にとどまってほしいとイッサに懇願した。
 だが彼はジャイナの誤った信仰を拾て、オリッサの国、ジャガナートに行った。そこにはヴィアーサ・クリシュナの遺骸が安置されており、バラモンの白い僧らがイッサを歓迎した。
 彼らはイッサにヴェーダを教え、祈祷によって病人を治すことを教えた。聖典を講じ、解釈することを教え、人の体から悪霊を払い、正気に戻すことを教えた。

 彼は六年間をジャガナートで、ラージャグリハで、べナレスで、また他の聖都市で過ごした。イッサが平和のうちに、ヴァイシャやシュードラと暮らし、彼らに聖教典を教えるのを見て、だれもがイッサを愛した。
 だがバラモンとクシャトリヤは、イッサに告げた。ヴァイシャ、シュードラは偉大なるパラ・ブラフマ神の脇腹と脚から生まれた賎しいものである。われらは彼らに近づくことを、神によって禁じられている。
 ヴァイシャに許されているのは、ただ祭りの日に朗読されるヴェーダを聞くことだけであり、
 シュードラには何も許されていない。ヴェーダを唱える場に出ることも、ヴェーダのことを考えることすら許されていない。なぜならシュードラは、バラモンやクシャトリャ、そしてヴァイシャにさえ、永遠に、奴隷として仕えねばならぬ身分だから。
「ただ死のみが、彼らを奴隷の状態から自由にすることができる」と、パラ・ブラフマの神は申された。だから彼らのもとを去り、われらとともに神々を敬え。もしあなたが神々に従わぬのなら、神々はあなたに激しい怒りを浴びせるだろう」

 しかしイッサはそのことばに従わず、バラモン、クシャトリヤにさからい、シュードラのもとにおもむいて道を説いた。
 イッサは同じ仲間の人間から、人としての権利を奪い、横取りする卑劣な人間の行為をののしった。
「なぜなら」とイッサは言った。
「父なる神はわが子に、どんな差別も置いてはいない。父なる神にとっては万人が平等であり、万人ひとしくわが父の愛するものです」と。
 イッサはヴェーダとプラーナが、神から発したものであることを否定した。
「なぜなら」とイッサは彼に従うものに教えた。
「神の掟はあのように煩瑣なものではありません。人の行為を導く掟は既に与えられているのです。すなわち、
 あなたの神を畏れよ。あなたの神にのみ膝まずけ。ただあなたの収入に応じてのみ、供物を捧げよ。」
 イッサは三神一体を否定し、パラ・ブラフマの神が、ヴィシュナの神に、シヴァ神に、またその他の村々に化身するというバラモンの考えを否定してこう言った。
「永遠の裁き主、永遠なる霊とは、唯一にして不可分の全宇宙の魂です。この神ただ一人がすべてを創り、すべてを包み、すべてに生命を与えました。
 この神ただ一人が行為し、創造したのです。この神のみが永遠の昔から存在し、その存在に終わるときはありません。天にも地にも、この神に比べるものはない。
 偉人なる創造の主は、その力を、生きたどんなものにも分け与えることはありません。まして偶像やその他、生命のないものに、主がそういうことをされるかどうか、言うまでもないでしょう。ただこの神のみが全能なのです。
 この神が心に決めたから、地が現われました。神はその計画どおり、水と、地の乾いたところとを分け、水を一か所に集めました。神は人という不思議な存在の原理であり、人の中に、神は自分の性質の一部を吹き込まれたのです。
 そして神は、地の、水の、獣の、そしてすべての被造物の上に人を立てました。すべては神のこの計画に従い、不変の秩序の下に、時と所を定められています。
 しかし神の怒りは、やがて人に向かって放たれるでしょう。なぜなら人はその創り主を忘れ、神の宮を忌むべきもので満たし、神が人の下に置いた石や金属や、動物を崇拝しています。
 なぜなら、人の中にこそ至高の霊が宿っているのに、石や金属を崇めるために人を犠牲に供えています。
 なぜなら 著りを極めた食卓に座り、働こうともしない人の機嫌を取るために、額に汗して働く人々を恥ずかしめています。
 神が与えた幸せを兄弟から奪うものは、やがて必ず自分が奪われるでしょう。バラモンとクシャトリヤは、やがて自分がシュードラになるでしょう。そして永遠の神はいつまでも、いまシュードラである人々とともにおられるでしょう。
 なぜなら終末 裁きのり シュードラとヴァイシャの多くは、その無知のゆえに赦されます。だがこれに反し、神の正義を横取りしたものには、神の激しい怒りが降るでしょう」

 ヴァイシャとシュードラは感激に溢れ、イッサに聞いた。永遠の幸せを失わぬためには、どのように祈ればよいでしょう、と。
「偶像を拝むな。偶像に聞く耳はありません。ヴェーダに耳を傾けるな。その言う真理は偽りです。人を押しのけるな、隣人を恥ずかしめるな。
 貧しいものを助け、弱いものを支えてやりなさい。だれにも悪事を働くな。あなたが持っていないもの、他人のものとわかっているものを、むやみにほしがってはなりません」


第6章
 白い祭司と王の臣下らは、シュードラに説かれたイッサの説教を知り、イッサを殺そうと考えた。殺そうとして、彼らは従者を差し向け、若い預言者を探させた。
 だが、シュードラに危険を警告されたイッサは、夜に紛れてジャガナート地方を去り、山に入って、仏教徒の国、唯一にして崇高なプラフマンを信じる人々の間に住むことにした。すなわち、かの偉大なブッダ・シヤカム二誕生の地である。
 義の人イッサは、パーリ語を完全に習得した後、聖なる仏典の研究に専心した。
 六年の後、聖なる教えを広めるため、プッダが選んだ人イッサは聖典の完全な講述者になった。
 その後彼は、ネパール、ヒマラヤ山地を離れ、ラージプータナの谷へ降り、さまざまな国の民に、人間の究極の完成について説きながら、西へ向かった。

 イッサは説いた。隣人に善を行なうことは、永遠の霊と速やかに一体となる確かな手段である、と。
「その本来の純粋を取り戻した人は、最期の時に罪の放しを得るでしょう。神の威光に目を合わせる資格を持つでしょう」
 異教徒の土地を過ぎながら、真の神に仕える人イッサは、目に見える神々を崇めることは、自然の法に背くと説いた。
「なぜなら人間には」と彼は言った。
「神の姿を見ることは許されていません。にもかかわらず人は 永遠なる神に似せて 多くの偽の神々を作りました。
 石や金属を使って、人が作った動物像や物体の下に、純一なる神の栄光を置くことは、人の良心にも背いています。
 永遠の法を与えるものは、ただ唯一の神のみです。この神を除いて他に神はありません。神はこの世を、だれとも分かち合うことはなく、その計画をだれに知らせることもありません。
 父が子を裁くのは慈悲の掟によります。神は人の死後、まさにそのように慈悲の掟に従って人を裁きます。煉獄でのように、霊魂が獣に転生するなどという恥ずかしめを、父が子に与えるはずはありません」

「天の法は」とイッサの口を借りて創造の主は言った。
「人を、彫像や動物の犠牲に捧げることを許しません。なせなら天の主、私は、動物はもとより、地にあるすべてを人の下に置き、人に委ねたのだから。
 すべてのものは人に捧げられています。人は天の父に、直接親しく結びつけられています。それゆえ私は、私から子を盗もうとするものを、神の掟によつて厳しく裁き、罰するでしょう。
 永遠の裁き主の前で、人は取るに足りない。人の前で動物が、取るに足りないものであるように。
 それゆえ私はあなたがたに告げまず。偶像を拾てなさい。あなたがたの父から、あなたがたを切り離す儀式を行ってはいけません。偽りの祭司に近づいてはなりません。このものたちは天国に入ることを拒まれているのです。
 なぜなら真の神からあなたがたを遠ざけたのは、このものたちだから。このものたちの迷信があなたがたの魂を堕落させ、道徳感を失わせてしまったのです」


第7章
 イッサのことばは、彼が旅する国々、異教徒たちの間に広がり、人々は偶像を捨て た。
 真実の神の名をたたえるイッサに、祭司らが強制し、イッサは祭司に対する非難と、彼らの偶像の愚かさについて、公衆の前で論証することになった。
 イッサは言った。
「もしあなたがたの偶像や動物が強い方を持ち、ほんとうに超自然の働きをするのなら、彼らに命じて私を地面に打ち倒させてみなさい」
 すると祭司は反論した。
「もしわれらの神々が、おまえの神に愚かに見えるなら、おまえの神に奇跡を働かせ、われらの神々を打ち壊してみよ」
しかしイッサはこう答えた。
「私たちの神の奇跡は、天地創造の最初の日から働いています。奇跡は日々、瞬時も休まず起こっています。それを見る心のないものは、この此の最も美しい贈り物から遠ざけられている、哀れな人々です。
 そして神の怒りが直接向かうのは、石や金属や木のかけらで作られた、いのちのないものにではありません。それを作った人間たちにです。救いをほしいと思うなら、作ったすべての偶像を、すべて壊してしまわねばなりません。
 石や砂粒と全く同様に、人の目から見れば偶像は無価値です。ただいつか人が取り上げて、利用してくれるのを、辛抱強く待っているだけ。
 それと全く同じように、人もまた終わりの日の裁きのとき、受け入れてくださる偉大な神の恵みを待っています。
 しかしあなたがたには禍があるでしょう。あなたがた人間の敵。あなたがたが待つのは、恵みではなく神の怒りです-あなたがたには禍があるでしょう。神の力を試そうとして、神に奇跡を期待するあなたたち。
 なぜなら神が怒って滅ほそうとしているのは、偶像そのものではありません。それを作ろうとする人間たちなのです。彼らの心臓は永遠の火に滅び、引き裂かれた肉体は、満腹するまで飢えた野獣の餌になるでしょう。
 神はその支配する群れの中から、汚れたものを追い払われます。だが、神から授かった内面の霊性に気づかなかったため、迷ってしまった人たちなら、神はもう一度取り戻そうとされるでしょう」

 イッサの激しいことばの前に無力な祭司を見て、異教徒たちはますます、イッサのことばを信頼するようになった。そして神の怒りを恐れ、偶像を粉々にした。祭司らについて言えば、彼らは民の仕返しを恐れ、急いで逃げた。
 イッサは更に異教徒たちに教えた。永遠の霊を、自分の目で見ようと骨を折るな。自分の目ではなく、心でそれを感じるよう、また純粋な魂によって、永遠の霊の恵みにふさわしい自分になるよう努めよ、と。
「人を犠牲に供えてはなりません。それだけでなく」と、イッサは彼らに説いた。
「どんな生き物も供物として捧げてはなりません。なぜなら存在するすべては、人のために作られているのですから。
 あなたの隣人から何も盗んではなりません。額に汗して隣人が得たものを奪ってはなりません。
 だれも欺いてはなりません。あなたが欺かれないように。最後の裁きの日の前に、あなた自身を義とするよう努めなさい。その日が来てからでは遅すぎます。
 放蕩に身を委ねてはなりません。神の掟に背くことだから。
 至上の幸福は、清く身を保つことによって得られます。それだけでなく、他人を導き、本来の完成を得させることによっても同じです」


第8章
 イッサの預言は近隣諸国に知れ渡った。そして彼がぺルシアの国に入ったとき、祭司らは驚き、民がイッサの話を聞くことを禁じた。
 しかしすべての村々は喜んで彼を迎えた。民が敬伲に彼の説教を聞いているのを見たとき、祭司らは命じて彼を捕らえ、大祭司のもとへ連れていった。イッサはそこで、次のような審問を受けた。
「おまえはどんな新しい神について語っているのか。哀れな男よ、おまえは知らないのか。至高の存在と親しく語ることは、聖ゾロアスター以外のだれにも許されていないことを。
 天のゾロアスターが受けた掟、神のことばを、だれが民のために書き記すことを、天の使いに命じたと思うのか。
 それにもかかわらず、わが神を汚し、信徒の心に疑念の種を、あえて蒔こうとする
おまえは、そもそも何ものなのか」

 イッサは彼らにこう答えた。
「私が語っているのは、新しい神についてではありません。私はただ、私たちの天の父について語っているだけです。天の父は、常にそこに在り、すべてが終わった後もなおそこに在るかたです。
 私が人々に説いたのはそのかたについてですが、人々はちょうどあどけない子どものようです。彼らの素朴な知恵の働きでは、まだほんとうの神を理解することはできず、神の崇高な神性、霊性を見通すことはできません。
 だが赤ん坊は全くの闇の中でも、母の乳房をさぐりあてます。まさにそのように、あなたがたの間違った教え、間連った儀典によって誤りに引き込まれている人々も、本能によって私が預言している父の中に、ほんとうの父を悟っています。
 永遠なる存在は、私の口を通してあなたがたの民にこう語ります。『太陽を拝むな。太陽は、私が人間のために創った自然界の一部に過ぎぬ。
 『太陽は人が働いている間、人を暖めるために昇り、私が定めた休息に、人が入るのを邪魔しないように沈む。
 『人の所有するすべて、人の周りにあり、上にあり、下にあるすべで、私が創り、私が定めたものである』」
 「だがしかし」と、祭司らは言った。「教えるものがいなくて、どうして民が正義の法則に従って生きることができるだろう」
 するとイッサは答えた。「民に祭司がなければ自然の法が支配し、民の魂の公正は守られたでしょう。
「民の魂は神とともにありました。そして父とことばを交わす手段として、どんな偶像も動物も、火も必要とはしませんでした。誤った教えのために、ここではそれが慣習となっているのですが。
 あなたがたは太陽を拝み、善の霊と悪の霊とを崇めねばならぬと主張しています。だが私はあなたがたに告げます。あなたがたの教えは間違っている。太陽は自分の意志で動いているのではない。それを創った、目には見えない創造主の意志に従っているだけです。
 創造主は、人間の労働と種まきの時を暖めるために、昼間を照らす星として太陽を創りました。
 永遠の霊は、いのちあるものすべての魂です。あなたがたはそれを、悪の霊と善の霊とに分けるという、大きな罪を犯しました。神が、善なるものの外にいるはずはないのに。
 子が悔い改めるなら、すべてのあやまちを許す家庭の父と同じように、神がどうして、悔い改めた子どもに、善くないことをするでしょう。
 悪の霊は、地上の神の子たちを、まっすぐな道からそらしてしまう、不正な輩の心の中に住むものです。
 それゆえ私はあなたがたに告げます。最後の審きの日に心しなさい。神はその輩に、恐ろしい懲らしめを加えるでしょう。神の子たちを正しい道から踏みはずさせ、誤った信仰と偏見で満たしてしまう、そのものたちに。
 神の子たちの見える目を見えなくし、健康な人に病いをうつした、そのものたちに。神が人のために善を計画し、人の仕事を助けるために、人の下に置いたものを礼拝するよう教えた、そのものたちに。
 それゆえあなたがたの教えは、あなたがたの誤りの果実です。真理の神を手元に引き寄せようとして、あなたがたは偽りの神々を創造したのです」

 イッサの話を聞いたあと、祭司らは彼を害することを避け、深夜、すべての街々が寝静まった頃、彼を城壁の外へ連れ出し、街道に捨てた。やがてイッサが、野獣の餌食になることを期待して。
 しかしわれらの主、神のご加護により、聖イッサは苦しむことなく自分の道を進んだ。


第9章
 堕落して、真の神に背いた人間に警告するために、創造主が選んだ人イッサは、ニ十九歳のときイスラエルに帰った。
 彼がいない間、異教徒はイスラエルの民に、なお一層怖ろしい苦しみを与え、人々の気力はどん底に沈んでいた。
 多くの民が、神の、モッサの律法を捨てはじめていた。野蛮な征服者との妥協に期待をかけて。

 この災いに直面し、イッサは同胞にさとした。あきらめてはならない、罪の贖いの日が近づいている、と。そして、父祖の神への信仰を強めるようにと彼らに教えた。
「子どもたちよ、あきもめてはならない、絶望してはならない」と、天の父はイッサの口を借りて言った。「私はあなたがたの声を聞いた。あなたがたの叫びは私の耳に届いています。
 泣いてはいけない、わが愛するものよ。あなたがたの嘆きは、父の心に触れている。父はあなたがたを許しました。ちょうど、あなたがたの父祖を許したように。
 家庭を捨てて遊蕩に身を沈めるな。気高い感情を失うな。そしてあなたがたの声を聞く力もない偶像を拝むな。
 私の宮を、希望と忍耐で満たしなさい。父祖の宗教を捨ててはなりません。なぜなら私が、私一人があなたがたの父祖を導き、あなたがたの父祖の前に、幸せを積んだのだから。
 倒れた人を起こしてあげなさい。飢えた人に食物を恵みなさい。そして病人のところへ行って助けてあげなさい。私があなたがたに用意した最後の審きの日に、完全に清く、正しい人でいられるように」

 イスラエルの民は、群れをなしてイッサのことばを聞きに来た。そして尋ねた。敵が神の宮を打ち倒し、聖なる器を壊してしまったのに、どこでどうして、天の父を賛美すればよいのか、と。
 するとイッサは答えた。神の心にあるのは、人の手によって建てられた宮殿ではない。神の心にあるのは、人の心である。人の心こそ、神のほんとうの宮である、と。
「あなたがたの神の宮、言い換えればあなたがたの心の中、そこへ人りなさい。そしてそこを、神の心に叶う善い考えと忍耐と、そして確乎とした信念で照らしなさい。
 聖なる器とは、あなたがたの手であり目です。神の心に叶うものを見、神の心に叶うことを実行しなさい。あなたがたにいのちを与えた神は、あなたがたの心の宮におられます。その宮を消める機式は、隣人に善を行なうことで完成するのです。
 なぜなら、神はあなたがたを、神ご自身に似せて創られました -- 罪なく、善に満たされた、清らかな魂と心を持っものとして。悪のたくらみを抱くことのない、愛と正義に溢れた聖なる器として。
 それゆえ私はあなたがたに告げます。心を汚してはなりません。それは永遠にして、至高の神の宮だから。
 もしあなたがたが、愛と信仰の証しとして何かをしようとするなら、惜しまずにそれをしなさい。打算や、利益を期待してはなりません。」
 なぜなら、打算を考えたり、利益を期待して何かをしても、あなたがたの救いには、何の足しにもならないからです。むしろそれは、あなたがたを道徳的に退廃させてしまうでしょう。盗み、詐欺、そして殺人までもまかり通る、恐ろしい退廃に」


第10章
 聖イッサは町々を巡り、絶望の重みに耐えかねていたイスラエルの民の勇気を、神のことばによって強めた。数千人の群集が、イッサに従って説教を聞いた。
 町々の指導者らは、イッサを恐れはじめた。そしてエルサレム駐在の統治者に通報した。イッサと呼ぱれる男が町に来たこと、説教しながら、権威に抗うよう民をそそのかしていること、群集は国の仕事もかえりみず、熱心に彼に聞き従っていること、そして侵人して来た統治者が、間もなく迫い払われるだろうと彼は断言している、と。

 エルサレムの統治者ビラト(ピラト)は、説教者イッサの身柄を抑え、町に迎れて来て裁きにかけよ、と命令した。しかし民衆の怒りを買わぬよう、祭司や学識あるへブライの長老たちに、イッサを神の宮の中で裁くようにと勧告した。
 一方イッサは、説教を続けながらエルサレムに人った。住民すべてが、彼の到着を聞き知っていて、彼を見るために集まった。
 彼らはうやうやしくイッサを迎え、イスラエルの他の町々で彼が説いた教えを、直接彼から聞くために、宮の門を開けた。
 そこでイッサは彼らに言った。
「人類はその信仰の欠如のゆえに滅びます。なぜなら闇と嵐とが人間の群れを追い散らし、人間はその羊飼いを失いました。
 だが、嵐は永遠に続くことはありません。闇はいつまでも、光を隠してはいません。空は再び晴れるでしょう。天の光は地に広がるでしょう。そして迷っていた群れは、羊飼いのもとに集まって来るでしょう。
 闇の中で、まっすぐな道を探そうとあせってはならない。穴に落ちるといけないから。しかし残った力をふり絞り、他人を助け、あなたがたの神を信じなさい。そして光が現われるまで待ちなさい。
「隣人を支えることは、自分自身を支えること、家族を守ることは、民と国とを守ることです。
 夜明けは確かにそこまで来ています。そのときあなたがたは、闇から救い出されます。一つの家族のように集まりなさい。神の恵みを信じないあなたがたの敵は、やがて恐れおののくようになるでしょう」

 祭司や長老らは、イッサの説教を聞いて感嘆した。そして聞いた。おまえは本国の権威に抗うよう民をそそのかしたと、統治者ピラトには報告されているが、本当か、と。
 イッサは答えた。「出人り口も道も、薄暗がりに隠されています。その中で迷っている人々をそそのかせ、反乱に走らせるようなことが、一人の人間にできるでしょうか。私はいまこの宮でしているように、不幸な民に、これ以上闇の道を進むな、足下に地獄が口を開いているからと警告しただけです。
 世俗の力は長くは続きません。次から次へとうつろいます。一つの力から他の力へ、絶えず繰り返されるこの世の力のうつろいを見ながら、そういうものに抗って何の益があるでしょう。そうした力の興亡は、人の世の終わりまで、飽きることなく繰り返されます。
 それよりも、力のあるもの、富めるものが、天の永遠の力に抗って、イスラエルの子たちの間に蒔いている、神への反乱の種子を、あなたがたはどうするおつもりですか」

そこで長老らは聞いた。
「おまえは一体何ものか。どこの国からおまえは来たのか。私たちはこれまで、おまえのことを聞いたこともない。おまえの名さえ知らないのに」
「私はイスラエル人です」と、イッサは答えた。
「私は生まれたときから、エルサレムの壁を見て育ちました。そして私の兄弟たちが、奴隷の仕事を負わされて泣くのを見、私の姉妹たちが、異教徒に連れ去られるときの嘆きの声も聞きました。
 そして私の魂は、真の神を忘れてしまった兄弟たちを見たとき、激しい悲しみに襲われました。私は子どものとき、父の家を捨てて出て行き、他国の民の間に住みました。
 しかし兄弟たちが、いよいよつのる苦しみに悩んでいると聞いたとき、私は故国へ帰りました。故国には両親が住んでいて、兄弟たちに祖先の信仰を思い出させようとしています。私たらの祖先の信仰は、完全で崇高天上の幸せを得るために、地上では耐え忍べと教えています」

 そこで学識ある長老たちは、イッサに質問した。「私たちはおまえが、モッサの律法を否定し、神の宮を捨てよと民に教えている、といううわさを聞いた」
 イッサは答えた。
「天の父から頂いたものを、だれも壊すことはできません。またすでに、罪人たちによって壊されたものを、もう一度壊すこともできません。しかし私は民に命じました。すべての汚れから心を清めなさい。なぜなら心こそ、神の真の宮だから、と。
 モッサの律法について言うなら、私はそれを、人々の心の中に建てようと努めたのです。そして私はあなたがたに告げます。あなたがたは律法の真の意味を理解していません。律法が教えているのは、復讐ではなく慈悲です。律法のほんとうの意味がねじ曲げられているのです」


第11章
 イッサの釈明を聞いた祭司と、賢い長老らは、彼を裁かぬことに決めた。なぜならイッサは、だれも傷つけてはいなかったから。そして彼らは、ローマの国の異教徒の王によって、エルサレムの統治者として定められていたピラトの前に出て、こう述べた。
「私たちは、民をそそのかしているとして、あなたが告発なさったあの男に会って来ました。私たちは彼の説教を聞き、彼が私たちの同国人であることを知りました。
 更に町々の長らは、あなたに間違った報告をしています。というのは、この男は民に神のことばを教える義人です。彼を尋問して私たちは安心し、彼を行かせました」
 これを聞いて統治者は怒りに駆られ、変装させた家来をイッサの身近に送り込んだ。イッサの行動すべてを監視させ、彼が民に向けて語ることばを、細大漏らさず報告させるために。

 聖イッサはその間、隣接する町々を訪ねて回り、創造主の真の道を説き、へブライ人に忍耐を教え、やがて来るべき救済を約束した。
 この間ずっと、彼の行くところどこにでも、多くの人々がつき従い、幾人かは片時も離れぬ彼のしもべとなった。
 そしてイッサは言った。
「人が作った奇跡を信じてはなりません。なぜなら、超自然のわざを行なうのは自然を支配する天の主だけです。人は風の怒りにも逆らえず、雨をあまねく降らすことにも無力です。
 ですが、人にも一つだけ、成就可能な奇跡があります。それは人が真の信仰に溢れ、あらゆる悪念を根こぎにしようと心から誓い、悪業の道を捨て去ることができた、そういうときにだけ起こる奇跡です。
 そして神なくしてなされた、すべてのわざは誤りであり、まどわかしであり、魔術に過ぎません。それはただ、そういう術を使う人の魂が、底の底まで破廉恥であり、偽りと、不純に満ちていることを示す以外の何ものでもありません。
 占いを信じてはいけません。未来を知るのは神だけです。占いを信じるものは、自分の心の中の宮を汚し、創造主に対する不信仰を、自分で証明しているのです。
 占いや占い者を信じることは、人が持って生まれた純真さ、子どものような純粋さを壊してしまいます。地獄の力がその人を支配し、あらゆる罪と偶像崇拝に駆り立てます。
 これに対してわれらの神、主は比べるもののない、唯一にして全知全能の、遍在したもう神なのです。すべての知恵を備え、すべての知識を持つのはこの神ただ一人です。
 悲しみの中であなたがたを慰め、労働の中であなたがたを助け、病気のときにあなたがたを癒やしてくださるのは、この神です。だからそういうとき、あなたがたが語りかけねばならないのは、この神に向かってです。この神に頼んで、拒まれるものはありません。
 自然の神秘は、神の手にあります。なぜなら世界は、それが現われる以前から、神の深い計画の中にありました。それがいと高き神のご意志により、ものとしてのかたちを取って、目に見えるものになりました。
 神に語りかけるとき、あなたがたはもう一度子どもに帰ります。なぜなら、あなたがたは過去を知らず、現在も知らず、また未来を知ることもありません。神こそが、すべての時の主なのです」


第12章
「正しいおかたにお尋ねします」と、エルサレム統治者のスパイたちが、イッサに聞いた。
「私たちはカイザル(シーザー)の意志に従って行動するべきでしょうか、それとも、速やかな救いを期待するべきでしょうか、教えてください」
  彼らが自分の追手であることをすでに覚っていたイッサは、こう答えた。
「私はあなたがたに、カイザルからの解放を説いたのではありません。解放されねばならないのは、あやまちに落ちたあなたがたの魂なのです。
 家長のない家があり得ないように、カイザルがいなければ、一つの国民に秩序はあり得ません。カイザルに絶対服従を捧げるのは当然です。最高法廷に立って行動に責任が取れるのは、ただカイザル一人ですから」
「カイザルが、神の義を持っているということですか」と、更にスパイたちが聞いた。「そしてカイザルは、人間の中の最もすぐれたものだということですか」
「人間の中で、カイザル以上のものはあり得ないでしょう。だが同時に、苦しみ悩んでいる人たちもいるのです。選ばれて、使命を任された人々が、その人たちのことを世話してあげねばなりません。天の父の聖なる掟が定めている手段を使って。
 慈悲と正義は、カイザルに与えられている最も高い特質です。カイザルがその人たちを支えてくれるなら、彼の名はこの世に輝くでしょう。
 しかしカイザルがそれをせず、民に及ぼしてよいカの限界を踏み越えて、民のいのちを危険に曝すなら、大いなる裁き主の怒りは彼に降り、当然ながら、その威厳は失われるでしょう」

 ちょうどそのとき、イッサの説教をもっとよく聞こうとして、老婆がそばへ近づいてきた。しかしスパイの一人がそうさせなかった。彼女は押しのけられ、前に出るのを拒まれた。
 するとイッサが前に出た。「子どもが母親を押しのけて、その席を取ってしまうようなことがあってはなりません。母を敬わなければ、子と呼ばれる値打ちはありません。母は子にとって、神に次ぐ存在です。
 「だからあなたがた、私のことばをよく聞きなさい。女性を敬うこと。女性は世の母であり、神の創造の真理は、女性の中にあるのです。
 すべて善なるもの、美なるものの根源は女性です。生と死の起源が女性にあるように。人間というものの全存在は女性にかかっています。女性は人間の自然と道徳の支えですから。
 女性は苦しみのさ中で、あなたを生みました。額に汗してあなたを育てました。彼女が死ぬまで、あなたは彼女に、ひとかたならぬ心配をかけつづけます。女性を祝福し、女性をあがめなさい。彼女は唯一あなたの友であり、この世であなたが頼れる唯一の支えですから。
 彼女を尊敬し、彼女を支えなさい。そうすることによってあなたは、彼女の愛の心を自分のものにすることができ、神の恩寵をその中に見、すべての罪から赦されるでしょう。
 同じように、妻を愛し、妻を尊敬しなさい。彼女たちは明日には母となり、やがて民族の祖になるのですから。
 女性に対し、情け深くありなさい。女性の愛は男性を高め、頑なな心を和らげ、男の中の獣を馴らして子羊にします。
 妻と母とは、神があなたに贈ってくださった小さな宝です。彼女らは生きているあなたに与えられた、最も美しい飾りであり、この世のすべての民が彼女らから生まれます。
 天地創造の昔、万軍の神は闇から光を、水から陸を分けられました。それと全く同じように、女性には、人の善くない心から善い意思を取り分ける神の力が備わっています。
 ですから私は、あなたがたに告げます。神を求める人間の最良の心は、本来女たち、妻たちのものです。女性はあなたがたにとって神の宮であり、この宮の中であなたがたは、紛うかたなく完全な、幸せを得ることになるのですから。
 この宮の中で、強い道徳的な力を、自分に吹き込みなさい。この宮の中で、あなたは悲しみも過ちも忘れ、隣人を助けるために必要な力を、もう一度自分のものにするでしょう。
 女たちを恥ずかしめてはなりません。自分を恥ずかしめることになるからです。そういうことをすれば、愛の心は失われてしまいます。愛がなくてなぜ、地上の何が生きられるでしょう。
 妻を守ってあげなさい。妻があなたやあなたの家族を守れるように。あなたが妻や母や、やもめ、そのほか苦しんでいる他の婦人たちにしてあげることは、すべて、あなたがあなたの神にすることになるのです」


第13章
  聖イッサはこうして三年間、イスラエルの民に教えつづけた。町で、村で、道ばたに立ち、草原に座り。彼の予言は、ことごとくそのとおりになった。
 この間ずっと、変装したピラトの従者たちは、ぴったりとイッサに接触し、監視したが、以前彼に敵意を持った町々の長らが、ピラトに報告したような事実は、何も見られなかった。
 しかし、聖イッサの驚くばかりの人気は、統治者ピラトをおののかせるようになった。イッサに敵対するものたちによると、民衆の中にはイッサこそ王だと主張するものがあり、イッサが彼らをそそのかしているという。ピラトは彼のスパイの一人に、イッサを告発せよと命じた。
 そこで兵士らが、命じられてイッサの逮捕に向かった。彼は捕らえられ地下牢に囚われた。牢にはさまざまな拷問が待っていた。彼らは彼を死に定めるため、拷問にかけて自白を得ようとした。
 同胞の完全な幸福だけを考えていた聖者は、創造の主の名において、この苦しみに耐えた。
 ピラトの家来たちは拷問を統け、イッサを極端な衰弱に追い込んだ。だが神はイッサとともにあり、彼の死ぬのを許されなかった。
 聖者が受けている苦しみと、拷問のことを聞き知った大祭司、賢い長老たちは、統治者のもとへ赴き、近づいている祭りの栄光のためにも、イッサを自由にしてほしいと頼んだ。
 だが為政者は、にべもなく拒んだ。そこで大祭司らは口ーマ人の法廷でイッサを裁いてほしいと、更に懇請した。祭りの前にイッサが有罪を宣告されるか、それとも無罪で放免されるかがはっきりするように、と。ピラトはこれに同意した。

 次の日、為政者はイッサを裁きにかけるため、地区の長、祭司、賢い長老、そして司法官らを召集した。
 彼らはイッサを牢から出し、為政者の前、同時に裁かれる二人の盗賊の間に座らせた。罪に落とされるのがイッサ一人ではないことを、群衆に知らせるためだった。
 ピラトはイッサに向かって、こう言った。「男よ! おまえは自分がイスラエルの王位につこうとして、総督庁に叛くよう、民衆を扇動していると聞く。これは事実か
「自分の意志だけでは、だれも王にはなれません」と、イッサは答えた。
「私が民衆に、反乱をそそのかしていると、あなたに報告した人は嘘つきです。私は天国の王のこと以外、何も話したことはありません。私が民衆にな崇拝せよと教えているのは、まさにこの天国の王に対してです。
 なぜならイスラエルの子らは、本来の純粋さを失くしてしまいました。そしてもし、彼らが、真の神に頼ることをしないなら、彼らは見限られ、宮は廃墟になるでしょう。
 国の秩序が、世俗の力に支えられている以上、それに従うことを忘れてはならないと、私は民に教えています。私は彼らに言います。『あなたがたの身分、あなたがたの運命に素直に生きなさい。公けの秩序を妨げないように』、と。そして私は彼らの心、彼らの意識は、もともと無秩序に支配されているものだということを、忘れないようにとさとしています。
 天国の王が民を罰し、地上の王を抑えて来たのはこのためですが、それでもなお、私は彼らに告げました。「『もしもあなたがたが自分の運命に甘んじるなら、必ず天の御国は約束される』、と」

 このとき、証人たちが前に呼び出され、その中の一人がこう証言した。
「あなたは民衆に、新しい王の力に比べれば、この世の権力は無に等しいと言ったではありませんか。そしてその新しい王が、やがて異教徒のくびきから、イスラエルの民を救うだろうとも」
「あなたは幸いです」と、イッサは言った。
「正しいことを言っているのですから。天の王は、地上の法よりずっと偉大で、ずっと強い力を持っています。
 そしてその王国は、地上のあらゆる王国に勝っています。
 そして神のみ心に従い、イスラエルの民が、罪から身を清める時は近づいていす。なぜなら、民を一つの囲いに策めて解放を宣言するために、先触れのものが来ることは、もう明らかになっているのですから」

 すると為政者が、裁判官らに向かって言った。
「聞いたか? イスラエル人イッサは、告発された自分の罪を告白した。あなたがたの法に従って彼を裁き、彼に死罪を宣告しなさい」
「彼を罪にすることはできません」。祭司や長老らは答えた。
「お聞きのとおりです。彼は天の王について例え話をしただけで、法に背くようなことは、何もイスラエルの民に説いてはおりません」
 すると統治者ピラトは、もう一人の証人を呼びにやらせた。ピラトにそそのかされ、イッサを裏切った男である。男は来て、イッサにこう言った。
「あなたは確かに、人を治めているあのかたが、民に用意をさせる先触れとして、 あなたをこの世に遣わしたと言いました。そしてそのとき、自分こそイスラエルの王だと言ったではありませんか」
 するとイッサは男を祝福したあと、こう言った。
「あなたは赦されます。本心からそう言っているのではありませんから」。そして総督に向き直り、
「どうしてあなたは、自分の品位を恥ずかしめるのですか。どうして家来に、間違った生き方を教えるのですか。自分の手は汚さずに、無実のものを罪に落とす方を持っているあなたが」
総督はこれを聞いて怒り狂い、イッサに死の宣告と、二人の盗賊の赦免を命じた。
協議を終えた裁判官らは、ピラトに言った。
「私たちは無実の人を有罪にし、盗賊らを釈放するという大きな罪を負うことはできません。それは法に背きます。だからどうぞ、あなたの思いのままに。」
 祭司と賢い長老たちは、こう言い残して法廷を出、聖なる鉢で手を洗って言った。
「この義人の死について、私たちに責任はない」


第14章
 総督の命により、兵士はイッサとニ人の盗賊を捕らえ、処刑場へ連れ出した。彼らはそこで、地に立てた十字架に釘付けされた。
 十字架の下を兵士が警固し、架けられたイッサと二人の盗賊は、終日放置された。見るも怖ろしい眺めであった。群集は周りを囲んで立ち尽くし、受難者の身寄りのものは、祈り、哭いた。
 日没、イッサの受難は終わった。意識を失ったこの義しい人の魂は、肉体を離れ神に受け止められた。
 こうして、永遠の霊の反映、人の姿を取った地上の存在は終わった。その人は、心を頑なにされた罪人を救い、多くの苦しみに耐えた。
 一方ピラトは、ようやく自分のしたことに怖れを覚え、聖者の遺体を両親に引き渡した。親たちは遺体を、処刑場の地の近くに葬った。群衆が、祈りを捧げるため、墓に集まった。あたりはうめきと、嘆きの声に満たされた。

 三日の後、民衆の暴動化を怖れた総督は、イッサを他に埋葬するため、遺骸を運び出させようとして、兵を差し向けた。
 ところが次の日、群衆が見たのは、開かれて空になった墓である。たちまちうわさが広がった。至高の裁き主が天使を送り、地上で神の霊を宿していた聖者の遺骸を持ち去った、と。
 このうわさを聞いてピラトは怒り、イッサの名前を唱えること、イッサのために主に祈ることを禁じ、従わぬものは奴隷にするか、極刑をもつて臨むと宣言した。
 しかし人々は、彼らの主イッサのために哭き、声を上げてその名を賛美した。それゆえ多くが捕らわれ、拷問を受け、死に定められた。
 そして聖イッサの弟子たちは、イスラエルの地を捨て、異教徒の間に散っていった。異教徒たちに誤った行ないを捨て、魂の救いについて、人間性の完成による完全な幸せについて考えるように、と説きながら。また真の人間性は、偉大な創造主の、霊の光の国を思うことによってのみ回復される。無限の純粋と完全な威光をもって、主はそこに安らかに在す、と教えながら。
 異教徒も、その王たちも王の戦士らも、彼らの不合理な信仰を捨て、この教えに耳傾けた。彼らの祭司、彼らの偶像は捨てられ、比類なく賢い全宇宙の創造主、王の中の王はあがめられ、祝された。主の心は、限りなく慈悲に満ちている。