かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

ライブツアー交通手段の変遷

2005-03-05 01:23:00 | 雑談

 今日は僕のコンサート、ライブ・ツアーでの
交通手段の変遷について説明します。

僕が初めてコンサートに行ったのは、
1989年の秋から。

工藤静香さんの東京厚生年金会館。
3日間公演の2日目が初めて。
3日目も行き、その2日間だけ行った。

本格的に地方のライブに行き始めたのは、
1990年から。

それも最初のうちは東京近辺だけで、
あまり行っていなかったけれど、後半に
かけて連続的に行った。

大阪の1日目、甲府、
静岡、四日市、京都の3日連続、
佐賀、北九州の2日間が、
その年行った関東以外のライブ。

当時は追っかけをやっていなかった。
原則的に時間に余裕があるときは、
普通電車や快速電車を使用。

大阪の帰りは、名古屋まで行き、
そこから夜行普通電車で東京へ帰ったはず。

九州は行き帰り新幹線。
周遊切符で行った。
山梨は往復特急。

静岡以降3連続は、
静岡まで普通電車。夜行普通と近鉄で四日市まで。
名古屋に戻り一泊。
普通電車と快速で京都へ。
帰りは新幹線だった。

1991年もまだ追っかけはやっていない。
当時の大垣行き夜行普通電車など何度も使用。

原則的に普通電車、快速電車、
九州は新幹線で往復。
仕事の関係で時間に余裕のないときのみ、
近距離でも新幹線利用。

遠距離で、翌日
仕事のときは寝台列車を使用。

北陸地方では、急行能登を利用することが多かった。

四国や東北でも行き帰り、普通電車、快速電車
などを使用。

四国や九州のときは、その中では周遊切符を使用した。

複数の場所でコンサートがあっても、
往復切符が使えるときはそれを使用。

1992年の名古屋の工藤静香さんのコンサートから
コンサート限定で追っかけをやるようになった。

わかる範囲で工藤さんと同じ新幹線に乗った。
同じ特急のときもあり、
瀬戸大橋をわたるときは
同じ快速マリンライナーに乗った。

工藤さんは2階建ての新幹線に時間的に
乗れるときはそれに乗ることが多い。

それ以外はグリーン車。
そのときは僕たちファンも同じグリーン車に
乗ることも多かった。

ただ、この傾向は後に変わってしまった。
以前だったら、のぞみに乗らないときに乗ったりして、
追っかけをやり損ねたときもある。

名古屋からの帰り、ホームまで工藤さんが来ていた。
てっきりその前までと同じように
2階建ての新幹線で帰るだろうと思い込み、
僕たち数人は、先に2階建て新幹線に乗っていたら、
のぞみで帰ってしまった。

気がついたときはもう遅い。
静香さんの乗った少しあと2階建てひかりで、
東京へ。

追っかけ失敗でがっかり。

行くときも同様に
いつもならのぞみに乗らないときに乗り、
追っかけがうまく行かないときがあった。

追っかけが失敗すると、
場所によっては、心理的落ち込みだけでなく、
時間の大きなロス、
そのための経済的負担増が伴うときもあり、
大変でした。

初めて飛行機を利用したのは、
1992年の工藤静香さんの
沖縄コンベンションセンターのコンサート。

初めてで、不安はありましたが、
チケットも取り、飛行機に乗りましたが、
びびっていました。

工藤さんの当時の移動パターンは
同じようなパターンだったので、
新幹線でも、飛行機でも乗りそうなものが
予測できました。

沖縄のときも工藤さんが乗りそうな飛行機に
乗ることを先に考えていましたが、
ぎりぎりまで考えていて、
直前にチケットを取ったら、
その飛行機は満席で、
仕方なく一便前の飛行機で行きました。

沖縄には僕が知る範囲で、本州から
9人くらいファンが来ていました。

空港にも僕を含め、3人ファンが出迎えに
来ていました。同じ飛行機にも
コンサートの思い出シリーズで出てきたIさんが
乗っていました。Iさんはたまたま
同じ飛行機だったといっていました。

ちなみにIさんは追っかけが大嫌いです。
僕は沖縄のあと仕事のため
翌日飛行機で一度東京に戻り、
あらためて次の宮崎に新幹線、周遊切符の
組み合わせで行く予定でしたが、寝過ごし、
飛行機で宮崎に向かいました。

コンサート・ライブツアーで飛行機を使ったのは、
その3回です。

それ以外は、追っかけをやるようになった
1992年名古屋以降は、
新幹線、特急、を利用することが多くなりました。

工藤さんがグリーン車のときは、
同じグリーンに乗っていた。

もちろん移動スケジュールがわからず、
追っかけ出来ない移動日、
関東などの近距離では、
普通電車で移動した。

地方の遠距離で、翌日仕事の場合は寝台列車など、
夜行電車を利用。

市内のバス、地方地下鉄、広島などの市電も利用。

長距離のバスを始めて利用したのは、
1993年松山、高知間の南国号。
観光を除き、コンサート・ライブで
昼間のバスを利用したのはここだけ。

夜行長距離バスを利用したのは、
倉木麻衣さんの2004年の盛岡のあと
仕事のため東京に戻ったときが唯一。

夜行長距離バスは安くて快適。時間の都合などで
うまく利用できるときは、今後も利用してみたい。

2004年の倉木麻衣さんのライブ・ツアーでは、
たぶん倉木さんは大阪中心に
行動しているだろうということ、
移動スケジュールが全然わからない、
宿泊しているホテルもわからない、
追っかけはやらないことにしました。

僕の移動は関東を除き、新幹線、特急が中心。
移動日は仙台、盛岡間を除き
普通電車、快速電車。
翌日仕事のときは寝台列車というパターン。

新幹線の使用頻度が上がり、
大垣と東京の間の普通電車が、
快速ながらになってから一度も利用していません。

宿泊については以前からブログに書いている通り、
4~5回野宿、1度札幌で他のファン宅に宿泊、
2004年以前は、それ以外は、すべてサウナ、
カプセルホテル、夜行列車で宿泊。

2004年の倉木麻衣さんのライブから
時々普通のホテルにも宿泊するようになった。

工藤さんや倉木さんと同じホテルに
宿泊したことはありません。

工藤さんも宿泊しているホテルの情報が、
僕にも入っていたのは少ないですが、
倉木麻衣さんの宿泊しているホテルは
全くわかりません。

だいたいこんな感じですが、
あまり他のファンの参考にはならないかも。
やはり今は車で行く人が多いのかしら。

僕は車の免許がないし、運転しないけれど、
1997年くらいに東北で知人の工藤ファンOさんに
車に乗せてもらいました。

2005年に2004年と同じようなライブツアーが
あるとしたら、今無職なので
東京と地方の往復が減り、少しまた移動の
交通手段が変わる可能性が高い。

麻衣さんのライブは楽しみ。
麻衣さんに会いたい。大好き。

ところで、移動手段に船、フェリーが出てきていません。
僕はツアーでは、一度も利用していません。

工藤さんも利用していないと思う。
倉木さんも正確にはわからないけれど、
たぶん利用していないと思う。

参考までに。
僕は中山美穂さんのファン歴はありません。
ただ僕のツアーの思いでシリーズでおなじみの
Tさんは中山美穂さんのファンをやっていました。

Tさんが以前教えてくれたのですが、
ずいぶん前、中山美穂さんが、
広島、松山の順でコンサートをやったそうです。

そのとき広島から松山まで
高速のフェリーで行ったそうです。


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