かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.28豊後大野市総合文化センター(エイトピアおお

2006-11-02 14:02:00 | 2007年までのライブの思い出

佐賀のライブの翌日28日月曜日。佐賀のホテルをチェック・アウト。駅へ行く。大分まで行くのにどうやっていくか考える。博多、小倉経由ルート。豊肥本線経由ルート、久大本線経由ルート、バス利用ルート。結局久大本線ルートで行くことにした。久大本線は湯布院と大分の間は今年も行っているし、日田大分間も数年前行った。でも久大本線全線は僕が小学校のとき以来行っていない。そのときは祖母といとこと3人で行った。懐かしい思い出です。豊肥本線や博多、小倉経由ルートはここ数年通っている。

バスルートは利用したことがないが、今回は久大本線の特急「ゆふいんの森」で行くことにした。おしゃれなつくりで以前から乗ってみたいと思っていた。佐賀駅からは普通電車で鳥栖まで行く。1時間近く待ち時間がある。一本前の特急「ゆふいんの森」は湯布院止まりのようだ。僕が乗ったのは別府行きだけれどもけれど、大分駅で降りる。途中の車窓の渓谷美はなかなかよい。たぶん豊肥本線よりこちらのほうが車窓の景色は変化に富んで面白い気がする。でも結局大半は寝ていたが。大分駅着。外はやはり暑い。

コインロッカーに荷物を預け、駅のところの佳舎という店に入る。インテリアに独特のものがある。僕の小さいころこの辺にレストランがあったような気がする。僕は田舎っ子だから田舎風の家庭料理で育った。カレーライスやとんかつだって食べたことはもちろんあるが、たまに街に連れて行ってもらって食べる料理、たとえばカツカレーなんぞ無上のご馳走のように感じておいしく喜んで食べたものだった。別に僕の家は特に貧乏というわけではない。当時僕が育った田舎はこんなものだった。不便な面は多かったが、僕は結構楽しんでいた。でも極悪人にはなかなか理解されないが。

時間に余裕があるので駅の待合室で時間をつぶす。僕は大分育ちである。でも結構地元関係者に意地悪される。正しく情報が伝わっていないようだから、何か誤解があるだろう。でも誰も誤解を解こうとしない。それだけでなく誰も誤解を解くことに好意的でない。何が何でも誤った解釈を正しいものと言い張ろうとする。反論しても捻じ曲げて解釈され、論点がぼかされ、問題解決がますます悪化する。しかもそれが広範囲に長く続く。他の地域、たとえば東京でもそうだが、ここ僕の育った大分でも同じ。

以前は大分育ちということで僕はかなりの大分贔屓だったが、最近はそうでもなくなった。僕を直接的間接的に知っている人、幼いころから接してきたものまでが、僕に対する嫌がらせに積極的に関わろうとする。その様子を見ると他の地域以上に残念な気持ちがしてしまう。これからは大分に来るのは減らしていきたい気がする。誰だか知らない態度の悪い男に攻撃されることもある。でも僕に対する育ったところに対するデマもひどいし、どうなることやら。

時間を見ながら、豊肥本線のホームに行く。三重町駅行きの電車に乗る予定。僕は豊肥本線の電車には2回特急電車に乗ったことはある。でも今回行く、豊後大野市には一度も行ったことがない。三重町駅というのは平成の大合併前は三重町といところ。初めて行くところ。どういうところかな。佐賀であったトラックの運転手に会う。一緒に行くことになる。結構熱心なファンのようですが、佐賀のところで述べたとおり、今の僕の立場では他の人と交友を深めるのは難しい。盗聴などのプライバシーの侵害があった場合、こちらは絶対的不利な状況で交友を持つことになり、今の状況でそれは僕にはきつい。トラックの運転手が直接盗聴に関わらなくても、どこかでそういう悪い連中とつながってしまう可能性はあるわけで、疑いすぎの気もするが、僕の現状からするとそういうことは考えないといけない。正直なところ気が滅入ること。トラック運転手さん、ご好意かもしれないけど、交友はもてません。

豊肥線というのは単調な景色だと思っていたが、それほどでもなさそう。実際豊肥本線だって乗った回数は凄く少ないけれども、普通電車だとまた特急と違う印象がある。三重町の駅に着く。場所がよくわからない。携帯サイトで場所を確認したら意外に近い。会場着。ガラス張りの中庭に池。今日の席は1階席7列目。トキハのプレイガイドで買ったもの。あのときを思い出す。6月12日だった。そして6月13日。

ライブはまずまずよい。倉木さんは大分が好きらしい。別府湾の景色が気に入ったらしい。確かに別府湾の景色はいいね。ライブが終了。僕は出待ちをやらないが、トラック運転手はやるらしい。でも僕に付き合っていっしょに帰るらしい。駅まで行く。前の電車が行ったばかりでかなりの待ち時間。トラック運転者は地元の人と話をしている。列車の時刻には他のファンもたくさんやってくる。列車ではわざとらしい怪しいサラリーマングループ。敷戸で降りたのかな。ブログに書かれたいのかもしれないけれども、こういう人が多くて。いちいち紹介しきれない。

大分駅に着いて、トラック運転手の人と駅近くのラーメン屋へ。トラック運転手の人は大分のホテルに泊るらしい。僕は大分駅に向かう。ベンチに座る。僕はまだ石川県の輪島の公演のチケットが未確定。たぶん僕が九州に来ている間にはがきが到着しているはず。それでチケットが取れたかどうか、判明し、取れていたらチケット代金を送る。そのため一度東京の自宅に戻らないといけない。次は愛媛の宇和。船で行くんなら臼杵八幡浜なんぞ考えていたが、今回は東京に戻り、30日にあらためて愛媛に行くことに。

夜中にドリームにちりんという特急がある。これに乗り小倉で朝一番早い東京行きののぞみに乗る予定。昼前に東京着の予定。ドリームにちりんという特急、以前は同じルートで急行日南という列車ああった。鹿児島本線のほうは急行開門。日南のほうは上りは夜宮崎を出て朝博多着というもの。下りはその反対。僕が以前応援していた歌手でライブツアーに行き始めた当時、1990年から1991年くらいにかけてよく利用したもの。当時は列車の追っかけもやっていないころでけちけち旅行だった。周遊券で九州まで来て、博多で夜日南の下りに乗り大分着、当時駅の売店がこの時間に合わせて営業していた。そのあと上りの博多行き日南に乗り、朝博多到着。周遊券だから余分な払いはなし。こうして宿泊費を浮かしていた。

20代のころ僕は当時応援していた歌手のコンサートに行きまくり、一時は経済的にもかなり苦しかった。30代後半でやっと持ち直した。やっと経済的に余裕が出てきたら、仕事を失い、嫌がらせ構成がエスカレート。何とか今退職金などで持ちこたえている状況。冴えないパットしない人生だが幼少時のことを含め波乱万丈ともいえる。ドリームにちりんなんて久しぶりに利用する。たぶん急行日南から特急ドリームにちりんになって2回目くらいじゃないか。極貧時代の思い出が蘇る。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.27佐賀市文化会館・大ホール

2006-11-02 10:00:00 | 2007年までのライブの思い出

熊本の八代から移動。今日はライブがないし、時間に余裕がある。普通電車で佐賀へ移動。うとうとしたり、八代駅で買ったソラマメの草餅を食べたりしていた。この草餅はおいしい。途中久留米で速い電車があるとか。でも急いでいないし、ホテルのチェック・インに対し、極端に早く着いてもこの時期暑い日も多く暑がりな僕は、時間をつぶすのに苦労する。そのままの電車で鳥栖駅へ。目の前に大きなサッカースタジアム。立ち食いのうどんを食べる。

長崎本線に乗り換え。こちらも普通電車。後ろの席の人はうどんを食べている。これ見よがしに、わざと大きな音をさせようとしているようだ。何か目的でもあるのかしら。佐賀駅に着く。佐賀というと以前応援していた歌手のコンサートで佐賀市には1990年の春に一度来ているがそれ以来久しぶり16年ぶり。当日券で3階席の後ろのほうだった。当時は佐賀駅北口には建物もあったが田んぼもあった。あれ以来。

駅に着いたころから少し雨がぱらついてきたよう。ホテルにチェック・イン。サガシティホテル北口館。夕方食事に外出。駅ビルの店に行く。揚げ物の店で肉類、何食べたか忘れてしまった。そのあとカレー屋でカレーを食べる。何カレーだっけ。なぜかここらあたりの記憶がぽっかり失われている。なんかあったかな。ホテルに戻るときファンらしき数人が近くのホテルに入っていったようで、熱心なファンが多いようです。結構遠くからたくさん来ているようですね。その熱心さはとてもよい。ファンたちよ、がんばれ、でも僕にちょっかい出さないでね。

翌日27日、ホテルで朝食。和食なんだけれどとてもおいしい。満足。昼前にホテルを出る。駅の今度はハンバーグ屋で食事。駅の横の西友に行く。上の階の飲食店に行ったが京風ラーメンの店。迷ったが今回はパス。自転車置き場横の一口茶屋に行く。たこ焼きやフローズンを食べる。おいしい。

会場に向かう。話しかけてきた人がいた。埼玉県の人。年齢は僕より少し上。熱心なファンのようです。僕は一応ファンとしては孤立路線を行っている。それに嫌がらせやプライバシーの侵害問題があり、他の人と適切な心理的な距離感を保つことがおそらく普通の人以上に難しいと思われる。正直なところ今は他の人と交友は持ちたくない。挨拶程度か。しかしこの人ライブ慣れしているようで、チケットのC,R,Lの意味を聞いてきた。ライブ慣れしているから知っているだろうが、何か裏があるのか。長年の嫌がらせ被害のせいか、僕も確かに他の人に対し疑い深くなっている。

疑う必要のない人、普通に接してよい人に対し過剰な猜疑心や不信感を僕は持ちやすい。それは僕自身の思考上の問題点だけれども、でも今までのような付きまといやデマ、プライバシーの侵害行為があると、こちらも自衛のために他人に対し強く疑わないといけない。その結果、よい人や普通に接すればよい人にまで不愉快にさせてしまうかもしれないが、今の状況が変わらないと状況改善は難しい。

トラックの運転手だそうだが、よい人かもしれないが、今の僕の状況ではうまく交友はもてない。せっかくの好意かもしれないけれど申し訳ない。それに本人はよくてもどこかで僕に意地悪する連中とつながる可能性もある。こんな警戒を続けるのもうんざりだけれども確かに僕に対し意地悪、嫌がらせをしている連中がいて、その実態が僕には十分つかめていないのだ。対策も取れないので攻撃されっぱなし。攻撃の内容はどうせデマや駄洒落、デタラメ解釈が根拠だからたいしたことはないが、攻撃の量がもの凄い。落ち込むときもある。僕はこれからも孤立路線で行く予定である。しかし、デマ、プライバシーの侵害行為、付きまといなどいつまで続くのか。変わらないのか。

途中高校野球で有名な佐賀商高の前を通る。高校野球で活躍し、佐賀商高から西武ライオンズに入団した新谷という投手がいた。別に面識はないが、時々僕の近くで新谷、新谷とどなる人がいる。同じ人が数回やっているようだ。意味がよくわからないが、僕と新谷投手は学年でいうと同じです。春優勝がPL、夏優勝が徳島池田、当時活躍した人気選手に早実の荒木大輔という人がいました。その人たちと僕が同学年です。もちろん面識なし。

一緒に歩いたけれど僕は歩くのが遅い。息が切れる。会場到着。今日の席は1階席5列目。今まで3回6列目というのがあったけれども5列目は初めて。僕の倉木麻衣ライブ・ツアー出席史上最も前。僕にとっては大記録。でも他のファンはどうだろう。たくさんライブに行っているのに一桁の列で観た事がない人なんているのだろうか。いたらそれもすごいね。

倉木さんはジャスコに行ったそうです。僕は知らなかったけれども佐賀の北のほうに大型ショッピングセンターがあるようです。そこで映画も観たようです。僕も一緒に観たかった。

ライブが終わるとトラック運転手の人は出待ちをするそうで、僕は先に会場を出ました。駅ビルの虎ちゃんうどん(表記が違うかも?)に行きました。うどんとおにぎりのセットを食べました。おいしい。おにぎりがまたすごくおいしい。満足。パンを買い、駅で翌日の電車の時刻を確認して、ホテルに戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.25八代厚生会館

2006-11-02 04:58:00 | 2007年までのライブの思い出

25日鹿児島から新幹線で新八代へ。車窓の景色はもっと見たかったが結局ほとんど寝ていた。新八代駅から八代まで一駅在来線。どうもJRの駅や車内のアナウンスは好感の持てないものが多い。特にJRH日本やJRT海はひどいという印象があるが、どうもJRK州も少しおかしい。しかも発想のパターンがみな似ていて毎度毎度でうんざり。JRの社員が待遇面できわめて恵まれているということの証拠かもしれない。

熊本というと1991年に当時応援していた歌手、2004年に倉木麻衣さんのライブで熊本市に来ている。高校の教育合宿で阿蘇にも行っている。熊本県のライブは今回で3回目、熊本市以外のライブ、八代のライブは初めてでした。ただ、八代というところは電話でチケットが取れず、6月に八代に直接チケットを買いに来た。そのとき初めて八代に来た。

駅から出てしばらく行くとより藤という店がある。前回八代に来て知った店で鮎の塩焼きを食べさせる店。僕は九州の半島部の山間に育った。地元では昔は鮎がたくさん取れたそうだが、僕が子供のころはすでに鮎はほとんど取れなかった。小学生のころ鮎の塩焼きを食べたがすごくおいしかった。でもほとんどその後食べる機会はなかった。鮎の塩焼きの定食を注文。でかい鮎。たっぷり食べました。そのあとすずらんという店でかき氷を食べる。外は相変わらずの暑さ。

ホテルに行く。八代グランドホテル。前回も宿泊したところでなかなかよいホテル。部屋に入るとパソコンを見て倉木さんのブログとライブ・リポートを見る。僕もブログを書く。もたもたしていて時間が遅くなった。午後5時過ぎ、ホテル前にタクシーが止まっていたが、バスの時刻表を見ようと思った。でも複雑で行き先は2方向のようだがどこをどう通るのかよくわからない。次は5時40分台だが、会場の近くを通るバスなのか。バス時刻表を見ていたら、ダンプがすれすれのところを通っていく。怖いもの。結局タクシーで会場へ。

6時少し前に会場に着く。飲み物を飲む。僕の席は1階11列目。これは八代市内プレイガイド庄野学生堂で購入したもの。ライブはまずまずよかった。麻衣さんは熊本弁を楽しんでいるようです。麻衣さんは今年は地元の名物料理なんかも食べているのかしら。ライブにはレギュラーのファンも何人も来ているようです。僕はライブが終わるとアーケード街へ。途中男3人組に出くわす。僕は相手を知らない。からかわれるが、馬鹿丸出し、どう見ても頭悪そう。でも全国的にこういうやつみかける。うっとうしい。

アーケードを抜けまっすぐホテルへ。隣のほっかほっか弁当で弁当を買いホテルへ入る。弁当もおいしいね。ホテルでほっと一息。麻衣さんはどこに宿泊しているんだろう。今回も川のほうには行かなかった。

翌朝バイキングに行くとファンらしい若者数人がいる。ロビーにいて僕が来るのを待っていたらしい。うんざりだね。このくそファンども。僕に聞かせるために間抜けな発言をしている。そういうの僕がいないところでしろよ。ロビーで待ち伏せなんかしやがって、馬鹿たれが。僕は他の倉木ファンが結構大嫌いだから、他のファンとは交友を持たず、孤立路線を行っている。しかしこういうやつなんで付きまとうんだろう。徹底的な悪党か。

ホテルは結構よいホテルです。ゆっくり10時近くになり、チェック・アウトして駅まで歩いていきました。駅の待合室にいました。売店でも買い物。ここで売っていた草餅で餡がソラマメの餡というものがありました。これが結構おいしい。これは熊本あたりだとどこでもあるものかしら。八代じゃないと手に入らないものなのか。結構おいしくてよいです。また来たらぜひ食べてみたい。

鳥栖行きの普通電車に乗り、電車のなかでもそのソラマメの餡の草餅を食べていました。この日はJRもあまりひどくなくてよかった。いつもこうだといいんだが。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.24鹿児島県文化センター

2006-11-02 02:56:00 | 2007年までのライブの思い出

23日はまゆう号で鹿児島入り。バスは結構途中から乗る客もありお客が多い。鉄道とは違うコースをたどり、鹿児島空港にも寄るので、こちらのほうが便利な人も多いのだろう。車窓の景色を楽しみたかったが結局ほとんど眠っていた。どうも電車やバスだと眠くなる。鹿児島中央駅のところで降りる。バスの運転手が親切でうれしい。

僕は駅近くのすずやというホテルの予約をしていた。てっきり午後3時チェック・インのつもりだったが、4時だったらしい。駅近くの飲食店に行ったら軒並み休業。警戒されているのか。駅ビルの地下の飲食店に行く。午後3時くらいなのにすごいお客の数。鹿児島の人は遅めに昼ごはんを食べる人が多いのか。玉子丼を食べる。

駅前では沖縄のバンドが4時から演奏を行うということで練習をしていた。なかなかよさそうな印象。でも聴かずににホテルへ向かう。4時チェック・イン。あまり豪華とも新しいともいえないホテルだが、狭いながら、うまくコンパクトにまとめた部屋など僕の好み。なかなかよいホテルだが、インターネットの状態があまりよくない。問題はその程度か、僕らにはこういうホテルで十分。

夜は薩摩揚げを買って来ていたのでそれを食べる。あまりおいしくない。調理として手を加えるべきだろう。もっとおいしくなりそうな気がする。

鹿児島は以前応援していた歌手で1992年、1993年、倉木さんで2004年に来ているのでライブで鹿児島市に来るのは4回目。

24日朝というか、お昼ごろホテルを出る。ダイエーに行くと倉木さんの「Daimond Wave」が流れてくる。ラッキー。Bグループという店でヤングランチを食べる。この店は2004年に鹿児島に来たときも寄った。そのときはドライカレーを食べた。街をうろうろしていたが、とにかく暑い。ライブにはまだかなり時間がある。川沿いの公園にいたが暑いので、またサウナに行くことにした。クリスタル・パレス。ここは1992年、1993年に鹿児島に来たときに宿泊。2004年のときも昼少し滞在。今回も寄った。鹿児島に来るたびに必ず寄っていることになる。

休憩室でゆっくりしていた。開演時刻が迫ってから会場へ。もうかなりファンがたくさんいる。僕の席は、1階の15列22番。ライブはまずまずよい。麻衣さんは薩摩揚げを食べたり、天文館通を歩いたようです。僕も一緒に行きたかった。ライブが終わって会場を出る。

ファンはまだ会場に残っているのか、あまり見かけない。僕はどこで食事をしようか考えながら歩く。結局駅近くの福屋というラーメン屋による。ここでニラのたくさん入ったラーメンを食べる。好みせみ2004年のときに立ち寄ったラーメン屋。なかなかよいです。ただその後たびたびあちこちで「ふくや」といわれるが、「ふくや」がどうかしたのか。意味不明。あちこちで「ふくや」などといわれるが理由がよくわからない。以前阪神に「福家」という選手がいたがそのことか?よくわからない。ホテルに戻る。

僕は別に鹿児島を嫌っているというわけでもないが今度の鹿児島ではあまり好意的でないような対応をされることがあった。なぜなんだろう。中島美嘉さんは鹿児島出身だそうだ。中島美嘉さんがらみの僕の発言が反発を受けているのか。中島さんにも嫌われているのかも。う~ん、デマの絡みもあり、エイベックス関係など意地でも応援しないが、倉木ファンとして低迷しつつある僕。先行き不安が増大です。

僕はもし倉木さんのファンを辞めるようなことがあってももう他のアーティストのファンはやらない。曲を聴く程度。すると競馬をやるんだろうというようなくだらないことを言うやつも出てくるだろう。どうあっても消去法を悪用しないときがすまない連中の発想。愚劣な発想。生きる価値ある人間の発想ではない。僕は倉木麻衣ファンになってその後14年間ずっと応援していた工藤静香ファンを辞めた。僕の倉木麻衣に対する希望、期待はものすごく大きかったのだ。それが破れて倉木ファンを辞めるということがあったら、しばらく新しく何かに取り組みたいという気持ちにはならないかもしれない。仕事にでも打ち込んでいよう。それくらいしかないか。読書、たまの気晴らしにスポーツ観戦や競馬。それもほんのちょっとだけ。

低迷していても僕は倉木ファンを続けようと思う。

25日ホテルをチェック・アウト。最初は肥薩オレンジ鉄道で八代に行こうと思ったが、時刻表を見るとその時間からだと八代に午後3時半ごろつくよう。チェック・インの予定が午後3時。当日ライブだし、あまり遅くなりたくない。駅のところでザボンラーメンを食べ、結局新幹線で新八代経由で八代に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.22西都市民会館

2006-11-02 01:54:00 | 2007年までのライブの思い出

いよいよ今年の倉木麻衣さんのライブ、九州地区がスタート。僕は前日21日に宮崎に向かう。西都市では適当な宿泊先が見つからず、宮崎のホテルを予約。ブリスベンズというホテル。宮崎駅に着くと駅のところの店に寄り、かき氷を食べる。客が変な印象だが、気のしすぎか。駅からまっすぐ西を行くとおりを歩いていく。てっきりこの大きな通りに面するところにホテルがあると思い込んでいたがぜんぜん見つからず、大工町というところまで行ってしまう。携帯サイトの地図を頼りに戻るが、やはり場所がわからない。

途中高校生が通りすがりに意地悪なことを言うという攻撃をしていく。僕は相手を知らない、相手は僕を知っているという状況での攻撃。卑怯者。宮崎に来てもこんな状態。僕が宮崎を田舎だといって馬鹿にするんだろうと決め付けている様子。要するに僕が他人を馬鹿にしたがる人間だと決め付けようとしている。もちろん実情など関係ないのだろう。「他人を何かと馬鹿にするやつだ」と決め付けて、他人を馬鹿にして喜ぶのが宮崎の高校生か。この高校生が千葉・茨城・埼玉あたりに住んだらどうか。「チバラギ、ダサイタマ」という言葉に対し、むきになって怒るかもしれない。馬鹿高校生め。

この高校生だって何か行動の上で問題はあるはず。関東や関西など違うところに行って、見ず知らずの人間からいきなりそれを個人攻撃されたら、どんな気持ちになるだろう。そういうことをこの高校生は理解できないらしい。しかもその行動上の問題というものが、事実というよりも他の人間の流す噂であったら、事実無根の噂に基づき誰だか知らないやつにいきなり個人攻撃されたらどんな気分になるか。しかもそれが全国のあちこちでやられているのだ。みんな事実関係を明確にしようとはせず、問題をはっきりさせず、攻撃だけやりたがる。それが今の日本人の現状であり、そしてこの高校生の態度はある意味で今の日本の精神荒廃の象徴である。

どうやらホテルは大きい通りではなく、ひとつ入った細い道に面しているらしく、やっとたどり着く。宮崎というとライブでは当時応援していた歌手で1992年に初めて宮崎市に来た。倉木さんでは2004年に来た。西都市は全く初めてで、宮崎市以外のライブも今回初めて。宮崎県のライブは今回で通算3度目になる。しばらくして外出。宮崎というところ暑いのだろうが風がさわやかでしのぎやすい。気候的にはすごく生活しやすいような印象。

ホテルを出てすぐのところに餃子専門店を見つけた。以前1992年に宮崎に来たとき追っかけマニアの男性と二人でライブ後に食事に行き、餃子専門店で食事をした。確かワシントンホテルの裏側のにぎやかな通りということは覚えていたのだが、2004年に来たときワシントンホテルは違うホテルになり、餃子専門店も見つからなかった。今回ホテルを出てすぐのところで偶然餃子専門店を見つける。黒兵衛という店。僕はビールと餃子2皿注文。1992年に来た店は鉄板で直接餃子を出す形式だったが、ここは皿で出す。カウンターの向きも違う。なかなかおいしい餃子で、とても2皿では足りない気がする。でも他にも店を見てみようと思ったのでここで食べるのは止めた。でもおいしかった。

アーケード街を往復し、本屋で雑誌を買う。街では5000円くらいの安いホテルなどと馬鹿にして歩いているおじさんがいた。宮崎の人はお金持ちが多いのだろう。どこで食べようかと迷っているうちにまたホテル近くまで戻ってしまう。結局亀仙人というラーメン屋で食事。こってりのとんこつラーメンを注文。これは結構おいしい。ホテルに戻る。

宮崎にはじめて行った1992年。ライブの会場で比較的地位が高い主要スタッフが、ある一人のファンの前で、自分たちが宿泊するホテルを言っていた。つまり歌手もそのホテルに宿泊する。周囲にいた7名ほどの他のファンも聴いている。僕もいた。そのホテルは宮崎を代表する大きなホテル。川沿いにある大きなホテル。僕以外の他のファンはそのホテルの近くのホテルに宿泊している。そちらも大きなホテル。なぜあのスタッフはそんな話をしたのか。僕は当時無頓着だったから、気にしていなかったが、わざと一人のファンに対し話しながら、他のファンに情報を聞かせるという形で情報をリークしていたのではないか。そして僕らの反応を見るというようなことをやっていたのか。今頃になってそんな疑問が出てきている。本当はどうだったのだろう。ただ、主要なスタッフなどと書くといまどきの生きる価値のない連中は、僕のことを主要スタッフが好きなのだろうなどと話を捻じ曲げて解釈するだろう。そういうやつ確かにいる。主要スタッフがいいとか悪いとかそういう文章じゃないだろうが。しかも主要スタッフとそうでない場合と文章の意味合いだってずいぶん違うのに意地汚い連中にはどうでもいいことらしい。

でも、僕は交通機関については追っかけを一部やっていたが、それ以外は追っかけはやっていない。そもそも追っかけという言葉、人によって解釈や定義が大きく異なる面があり、あるファンに言わせれば僕は追っかけではないということになるらしい。僕は歌手が宿泊するホテルに宿泊したことはないし、当時僕が宿泊していたのはカプセルホテルやサウナ、夜行列車が中心。普通のホテルには一度も宿泊していない。今はホテルに宿泊するようになったがそれでも安いホテルが中心。倉木さんの宿泊するホテルについては全く情報が入っていない。他のファンと付き合いもないのでそのルートがない。

このときも情報は入っていたが、僕はそのホテルには行かなかった。前述のようにコンサートが終わると追っかけマニアの人と食事に行き、そのあとサウナを探した。今回宿泊したブリスベンズホテルの近くにマリックスというホテルがあったが、そのサウナコーナーに宿泊した。当時はそこにはカプセルはなく、ホテルの客も来るサウナ室はものすごい混雑だった。椅子が寝にくく、床に寝たが、でもぐっすり眠った。そんな記憶がある。

翌日22日バイキングに行くとファンらしき数人がいる。西都行きのバスがどこから出ているかわからず、昼過ぎに宮崎駅まで行く。またアベックが通りすがりに意地悪な発言をするという攻撃をしていく。ブ男とブ女、性格も猛烈に悪そう。よく平気で生きていけるね。平家の郷という店でステーキを食べる。まずまずだと思うが、僕はそれほどステーキは好きではない。もちろんだじゃれ、語呂合わせの類ではなく言っている。こういうことをいちいち書くのは面倒だ。語呂合わせや駄洒落を他人に当てはめるやつのせいだ。迷惑。それに量が少なく感じた。足りない。

どうやら駅のそばでなく、少し離れた大きな通りからバスは出ているらしい。うるわしという店で宇治金時を食べる。でもバス停を見ても西都行きのバス路線が飲み込めない。ひとつとなりのバス停に行くとずいぶんバスの時刻が違うようだ。結局午後3時台だったと思うけれどもバスに乗り西都へ向かう。同じバスに何人かファンらしい人が乗っていた。

他のファンらしい人は終点手前で降りる。僕は終点まで行く。帰りのバスの時刻を確認する。どうやらライブ終了後最終のバスには間に合いそうだ。会場まで歩く。途中スーパーによる。お惣菜コーナーをみる。僕の好みとは少し違うような気がする。名前忘れたけど店内の飲食店で冷汁定食を食べる。地元の名物らしい。知らなかったが、翌日宮崎市内でも冷汁定食の店があったから有名なのかもしれない。僕が知らなかっただけか。

会場に着く。もうかなりたくさんファンが来ている。僕の席は1階席6列目。このチケットぴあのプレリザーブでチケットが取れず、ぴあの一般発売でチケットを手に入れたもの。2003年名古屋、2004年熊本につぎ3度目の6列目。2年以上の久しぶりの10列目より前の席。ライブを楽しみました。

ただ、ライブ会場でスタート前に僕のすぐ近くのファンに対し、年配のスタッフが、二重チケットだの、オークションだのくだらないことを行っている。二重チケット発売があったからといてそれはチケット発売者側の失態であり、ファンにとやかく言うのはおかしいし、こういう話題を他のファンが聴いているかもしれない客席内で堂々とやるなんて、馬鹿なのかこのスタッフは。ここのところライブでのスタッフの態度の悪さも目に付く。現場のスタッフもおかしな情報が流れてきたら、鵜呑みにせず、その情報を疑ったらどうか。

麻衣さんはどうやら古墳に行って勾玉を作ったようです。僕も一緒に行きたかった。かわいい麻衣さん。ライブが終わると近くにバス停に向かう。最終のバスだけれどもこのバスに乗ったファンは全部で5人くらい。他のファンはどうしたのかしら。割り勘で数人でタクシーに乗ればバスより安く宮崎に戻れるけど、そうしたのか。車の人がいたのか、地元で宿泊先が見つかったのか。よくわからないけれど拍子抜けするほどバスで帰るファンの少なさ。

同じバス停で僕ともう一人降りる。僕はまた亀仙人でラーメンを食べる。今度はあっさりラーメン。でもこってりラーメンのほうがおいしいと思った。ホテルに戻る。麻衣さんは結構遅くまで会場にいるのかしら。よくわからないけれど。

翌23日朝バイキングに行くとなんだか客層が悪い。どこかの悪徳宗教の信者のようなやつがいる。うっとうしい。チェック・アウト後駅近くのアーケード街を経由し、宮崎駅の近くのバスセンターに行く。ちょうど前のバスが行ったばかりで1時間近く待ち、次のはまゆう号というバスで鹿児島に向かいました。


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