佐賀のライブの翌日28日月曜日。佐賀のホテルをチェック・アウト。駅へ行く。大分まで行くのにどうやっていくか考える。博多、小倉経由ルート。豊肥本線経由ルート、久大本線経由ルート、バス利用ルート。結局久大本線ルートで行くことにした。久大本線は湯布院と大分の間は今年も行っているし、日田大分間も数年前行った。でも久大本線全線は僕が小学校のとき以来行っていない。そのときは祖母といとこと3人で行った。懐かしい思い出です。豊肥本線や博多、小倉経由ルートはここ数年通っている。
バスルートは利用したことがないが、今回は久大本線の特急「ゆふいんの森」で行くことにした。おしゃれなつくりで以前から乗ってみたいと思っていた。佐賀駅からは普通電車で鳥栖まで行く。1時間近く待ち時間がある。一本前の特急「ゆふいんの森」は湯布院止まりのようだ。僕が乗ったのは別府行きだけれどもけれど、大分駅で降りる。途中の車窓の渓谷美はなかなかよい。たぶん豊肥本線よりこちらのほうが車窓の景色は変化に富んで面白い気がする。でも結局大半は寝ていたが。大分駅着。外はやはり暑い。
コインロッカーに荷物を預け、駅のところの佳舎という店に入る。インテリアに独特のものがある。僕の小さいころこの辺にレストランがあったような気がする。僕は田舎っ子だから田舎風の家庭料理で育った。カレーライスやとんかつだって食べたことはもちろんあるが、たまに街に連れて行ってもらって食べる料理、たとえばカツカレーなんぞ無上のご馳走のように感じておいしく喜んで食べたものだった。別に僕の家は特に貧乏というわけではない。当時僕が育った田舎はこんなものだった。不便な面は多かったが、僕は結構楽しんでいた。でも極悪人にはなかなか理解されないが。
時間に余裕があるので駅の待合室で時間をつぶす。僕は大分育ちである。でも結構地元関係者に意地悪される。正しく情報が伝わっていないようだから、何か誤解があるだろう。でも誰も誤解を解こうとしない。それだけでなく誰も誤解を解くことに好意的でない。何が何でも誤った解釈を正しいものと言い張ろうとする。反論しても捻じ曲げて解釈され、論点がぼかされ、問題解決がますます悪化する。しかもそれが広範囲に長く続く。他の地域、たとえば東京でもそうだが、ここ僕の育った大分でも同じ。
以前は大分育ちということで僕はかなりの大分贔屓だったが、最近はそうでもなくなった。僕を直接的間接的に知っている人、幼いころから接してきたものまでが、僕に対する嫌がらせに積極的に関わろうとする。その様子を見ると他の地域以上に残念な気持ちがしてしまう。これからは大分に来るのは減らしていきたい気がする。誰だか知らない態度の悪い男に攻撃されることもある。でも僕に対する育ったところに対するデマもひどいし、どうなることやら。
時間を見ながら、豊肥本線のホームに行く。三重町駅行きの電車に乗る予定。僕は豊肥本線の電車には2回特急電車に乗ったことはある。でも今回行く、豊後大野市には一度も行ったことがない。三重町駅というのは平成の大合併前は三重町といところ。初めて行くところ。どういうところかな。佐賀であったトラックの運転手に会う。一緒に行くことになる。結構熱心なファンのようですが、佐賀のところで述べたとおり、今の僕の立場では他の人と交友を深めるのは難しい。盗聴などのプライバシーの侵害があった場合、こちらは絶対的不利な状況で交友を持つことになり、今の状況でそれは僕にはきつい。トラックの運転手が直接盗聴に関わらなくても、どこかでそういう悪い連中とつながってしまう可能性はあるわけで、疑いすぎの気もするが、僕の現状からするとそういうことは考えないといけない。正直なところ気が滅入ること。トラック運転手さん、ご好意かもしれないけど、交友はもてません。
豊肥線というのは単調な景色だと思っていたが、それほどでもなさそう。実際豊肥本線だって乗った回数は凄く少ないけれども、普通電車だとまた特急と違う印象がある。三重町の駅に着く。場所がよくわからない。携帯サイトで場所を確認したら意外に近い。会場着。ガラス張りの中庭に池。今日の席は1階席7列目。トキハのプレイガイドで買ったもの。あのときを思い出す。6月12日だった。そして6月13日。
ライブはまずまずよい。倉木さんは大分が好きらしい。別府湾の景色が気に入ったらしい。確かに別府湾の景色はいいね。ライブが終了。僕は出待ちをやらないが、トラック運転手はやるらしい。でも僕に付き合っていっしょに帰るらしい。駅まで行く。前の電車が行ったばかりでかなりの待ち時間。トラック運転者は地元の人と話をしている。列車の時刻には他のファンもたくさんやってくる。列車ではわざとらしい怪しいサラリーマングループ。敷戸で降りたのかな。ブログに書かれたいのかもしれないけれども、こういう人が多くて。いちいち紹介しきれない。
大分駅に着いて、トラック運転手の人と駅近くのラーメン屋へ。トラック運転手の人は大分のホテルに泊るらしい。僕は大分駅に向かう。ベンチに座る。僕はまだ石川県の輪島の公演のチケットが未確定。たぶん僕が九州に来ている間にはがきが到着しているはず。それでチケットが取れたかどうか、判明し、取れていたらチケット代金を送る。そのため一度東京の自宅に戻らないといけない。次は愛媛の宇和。船で行くんなら臼杵八幡浜なんぞ考えていたが、今回は東京に戻り、30日にあらためて愛媛に行くことに。
夜中にドリームにちりんという特急がある。これに乗り小倉で朝一番早い東京行きののぞみに乗る予定。昼前に東京着の予定。ドリームにちりんという特急、以前は同じルートで急行日南という列車ああった。鹿児島本線のほうは急行開門。日南のほうは上りは夜宮崎を出て朝博多着というもの。下りはその反対。僕が以前応援していた歌手でライブツアーに行き始めた当時、1990年から1991年くらいにかけてよく利用したもの。当時は列車の追っかけもやっていないころでけちけち旅行だった。周遊券で九州まで来て、博多で夜日南の下りに乗り大分着、当時駅の売店がこの時間に合わせて営業していた。そのあと上りの博多行き日南に乗り、朝博多到着。周遊券だから余分な払いはなし。こうして宿泊費を浮かしていた。
20代のころ僕は当時応援していた歌手のコンサートに行きまくり、一時は経済的にもかなり苦しかった。30代後半でやっと持ち直した。やっと経済的に余裕が出てきたら、仕事を失い、嫌がらせ構成がエスカレート。何とか今退職金などで持ちこたえている状況。冴えないパットしない人生だが幼少時のことを含め波乱万丈ともいえる。ドリームにちりんなんて久しぶりに利用する。たぶん急行日南から特急ドリームにちりんになって2回目くらいじゃないか。極貧時代の思い出が蘇る。