かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.12名古屋市民会館

2006-11-03 14:47:00 | 2007年までのライブの思い出

神戸から戻り名古屋まで少し間隔があいた。名古屋のライブ当日名古屋へ向かう。今年のライブはだいたい前日ライブがある場所に行くことが多い。例外はライブが連続する日と関東、名古屋、日程の都合で今年の山形。名古屋は日帰りで行くことも多いし、東京からは行きやすい。僕自身、都道府県別にライブに行った回数を見るとやはり東京が一番多いが、それとあまり変わらないくらい愛知県も多い。

宿泊先はシティホテル名古屋で駅に近く、以前一度宿泊したことがある。愛知万博のときかな。チェック・インし、一休み。5時過ぎくらいにホテルを出る。会場の名古屋市民会館は、以前応援していた歌手で一度来たことがある。金山の駅前。といっても建物がひとつくらい間に入る。金山駅というのはセンチュリーホールに行くとき乗換えで何度か使ったけれどあまりよく知らない。久しぶりで市民会館側を利用すると迷いかけてしまった。会場に行く途中飲み物を飲むが、周囲を歩く人はわざとらしい演技派の人を数人見かける。僕に演技力に審査をしてほしいのか。無断で無料で。お断り。しつこいね。こういう人たち。

この会場にこやかな目をした私設チケット売りの人が多い。自然保護のためにチケットを売っているのだろうか。でもピンクのチケットを持っている人も見かける。入場する。倉木さんのライブグッズ紹介ビデオが流れているということなので見る。かわいい麻衣さん。見たのはちょっとだけで会場に入る。今日の席は1階27列11番。ライブはまずまずよい。倉木さんは名古屋市内のペルーの人のやっている店に行ったとか。会場でペルーの民族楽器の笛を吹いていました。大須の万松寺商店街を歩いたそうです。

ライブが終わり会場を出る。背広を着たスタッフの人がグッズのビデオを見ている。握手を求めているファンもいる。ビーイング ギザの偉い人なんだろうか。僕は知らない。こういうことは詳しくない。以前応援していた歌手時代は他のファンとの交流があったからそういう情報は入ったけれども、倉木ファンになってからはそういう情報は全くないので倉木さんの事務所の社長だとかマネージャーとか担当ディレクターなど僕はよく知らない。どういう人なのかな。FM AICHIの今年の公開録音のときこの男性ともう一人の女性が二人指定席の最後方にいた。二人ともまるで大切な娘を見るようなまなざしで倉木さんを見ていた。有力スタッフなのだろう。

トラックの運転手の人と出口で会う。出待ちをするそうだ。僕はそのまま会場近くのココ壱番屋に行き、カレーライスを食べる。この店は前回この会場に来たときもコンサートの前に食事した。久しぶりの2回目。駅まで歩く。相変わらずわざとらしい付きまとい。駅からは普通電車。ホテルに戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.7神戸国際会館・こくさいホール

2006-11-03 05:09:00 | 2007年までのライブの思い出

2004年の倉木麻衣さんのライブ・ツアーでここの神戸国際会館・こくさいホールのライブは3階立見席だったけれどもすごく印象のよかった会場。今年もここでライブが行われるすごく楽しみでした。僕は1日前の6日に神戸に向かいました。新幹線で新神戸着。この駅はアメフトの試合を見るためにウイングスタジアムに行ったことがあり、そのとき利用。それ以来2回目。内田康夫氏の神戸殺人事件でこの駅の裏側が登場する。ちょっと気になり裏側を見る。駅裏一等地に家がある。水の流れ。

駅から歩いてホテルまで行こうと思ったが、雨が降っていて、荷物もあり、面倒なので地下鉄で三宮へ。ホテルは三宮の花ホテル。予約をとる時点では考えていなかったけれどもこのホテルは、ホテルを出ると少し歩くと地下鉄の入り口があり、そこから会場の神戸国際会館までずっと地下を通っていける。雨の日はほとんど傘なしでもいける。

チェック・インし夕方食事のため外出。神戸の土地柄なのか焼肉やステーキの店が目に付く。三宮という地名は有名だが近くに二宮という地名もあるらしい。二宮センター街という小さな通りがあったので行ってみた。あまりにぎやかでもなくそれほど特徴があるわけでもない。結局駅前の通りに戻り、めしや丼(宮本むなしだったか?)と珍丼亭(名前が違ったか?)で食事。付きまといらしき悪党を見かける。

ホテルに戻る。翌日昼前ホテルを出て食べ歩き。街の地図を見ると一宮神社、二宮神社、三宮神社と揃ってあるらしい。僕はわざと三宮センター街には近づかず、食べ歩き、ホテル向かいの立ち食いの店でそばを食べる。ぼっかけというのがおいしい。お好み焼き道場という店を見かける。食べてみるが、やはりぼっかけのお好み焼きがおいしい。一軒しか行っていないのではっきりしないが、神戸の好み焼きはかなりおいしいうちにはいると思う。ホテルに戻る。

5時半くらいにホテルを出て会場へ。兵庫のライブは今年の三木市、2004年の尼崎、神戸、以前応援していた歌手で1991年か1992年ごろに一度。今度で5回目、倉木さんでは今回で4回目。地下の飲食街でカレーを食べる。以前応援していた歌手で初めて神戸にきたとき生卵のかかったカレーが出てきたことがある。神戸というのは注文しなくてもカレーに卵がかかっているのかと思ったものだ。最近見かけないが、神戸のカレーが変化したのだろうか。それとも経費削減か。

会場に着く。入場整理が始まっている。僕も入場。今日の席は1階24列。僕自身はそれほどライブを楽しめたわけではないけれど、ライブはすごくよかったと思う。以前倉木さんはここの会場をほめていたけれども、やはり音的にもよいのだろうか。僕はその辺は詳しくないけれども、僕もこの会場にはいい印象を持っている。麻衣さんは三宮センター街を歩いたそうです。僕も一緒に行きたかった。

ライブが終わり、僕はいつものようにアンケートを書くと出待ちには加わらずさっさと帰る。ところが街へ行くとあちこちの店でファンらしき連中を見かける。それまで僕はMai-Kグッズの背番号20のTシャツを着ていたが、同じTシャツの男が吉野家で食べている。僕はそれを見て背番号20のTシャツを着るのは止めようと思った。気のせいかもしれないが成りすまし的雰囲気がある。もちろん気にしすぎの可能性もあるが。

なか卯に行くと今度はスケベらしいアベックがいる。うっとうしい。しょうがないのでコンビニでおにぎりを買ってホテルへ帰って食べることにした。神戸の付きまといもうっとうしいかぎり。

翌日8日少し早めにチェック・アウト。もう少し神戸を歩いてみようと考え、三宮商店街を歩いていく、10時前くらいでまだお店も開店していないところが多い。元町の商店街を歩く。どこかで食事でもしようかと思ったが意外にどこの店もお客が多そう。商売繁盛でしょうか。こんな時間から軽食喫茶の店に入り浸ることができるなんて、観光客でもない地元の人がやっているのなら、神戸は経済状態がよくリッチな人が多いということなのか。いい身分。

宮本むなしの元町の店をみつけたので食事。やよい軒にしても、めしや丼にしてもおいしくてとてもよい。関東でもこういう店はあるだろうけど関西だとあちこちにある印象。うれしいです。JR神戸駅に着く。地下鉄のハーバーランドという駅とくっついている。地元の求人誌を見ていたらここのあんぱんやという店の求人が出ていた。別に求人に応募するつもりはないけれども、こういう店もあるのかと思い、ちょっと来て見たかった。見つからなければ寄らなくてもいいやと思ったけれどもすぐ見つかった。アンパンを取り混ぜて10個買った。おやつ。

地下鉄を乗り継ぎ、新神戸に行く。アイスコーヒーを飲んだり少し時間をつぶしホームへ。やはり駅裏を見る。沢が流れている。滝はどの辺だろう。そんなことを考えながら新幹線を待つ。東京に戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.3土岐市文化プラザ・サンホール

2006-11-03 03:06:00 | 2007年までのライブの思い出

9月3日、今日は岐阜県土岐市で倉木さんはライブ。ホテルをチェック・アウトしたあとで、僕は今日東京に戻る予定で荷物を名古屋駅のコインロッカーに預ける。時間に余裕がありすぎ。以前応援していた歌手時代なら早めに会場に行き、他のファンと交友したり、食事をしたり、会場周辺を散策したりなどしていたが、倉木ファンになってから他のファンと交友は持たないし、早く行くとスタッフにもからかわれるから、仕方なく途中で時間調整として、時間をあちこちでつぶす。内心馬鹿馬鹿しいと思っている。馬鹿スタッフのせいで本当に迷惑だ。スタッフはきちんとできないのか。付きまといマニアも出没する。

岐阜県のコンサートというと1991年に当時応援していた歌手のコンサートで岐阜市には一度行ったことがあるが、それ以来2回目。岐阜県の中央線沿線に来るのは初めてでした。

中央線で土岐市まで行く。駅のところで食事。さがのという店。犬の置物がたくさん置いてある。ここでも若い女性の付きまとい、三重鈴鹿のときと同じ女性じゃないだろうか。よく覚えていない。美人だけれども腹が立つくらい性格が悪いようだ。もちろん美人といっても倉木麻衣さんやキャスパーさんほどではないようだ。

うんざりなので、仕方ない、歩いて会場まで行く。途中でベンチを見かけ、座っている。これも時間調整だけれども、暑いので日陰を見つけて座る。途中のお店で種無しぶどうを買う。種無しだの巨峰だの、マスカットだの、葡萄のネーミングというのは語呂合わせ好きな人が喜びそうな名前だね。橋を渡る。川を見ていた。土岐というところ不便ではないけれど、にぎやかな都市というほどでもない。ちょっととらえどころがないというか、まあちょっとしかいなかったから、じっくり見れば印象に変化はあるかもしれない。会場に着く。

会場のお店による。ここの店もさがのというようだ。駅の店と関係あるのか。かき氷を食べていた。お店を出る。会場の外の一角に石があり日陰なのでそこに座り僕は一人で葡萄を食べていた。開場時刻になる。僕の席は1階席W列。倉木さんは丼会館に行ったようです。僕も一緒に行ってみたかった。麻衣さんと一緒だとうれしくて舞い上がってしまうかも。でも一緒にいられたらいいな。

ライブが終わると僕はいつものように出待ちはせず、駅に向かいました。土岐市駅でもつまらない薀蓄をたれる馬鹿男、倉木さんのファンにはこういうのが多い。うんざり。名古屋駅に着くと、コインロッカーから荷物を出し、新幹線で東京に戻りました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.2鈴鹿市民会館

2006-11-03 02:03:00 | 2007年までのライブの思い出

三重鈴鹿と岐阜土岐は宿泊先は名古屋にしました。駅前ホテルモンブラン。夕方は松坂屋の上の階の飲食店へ。おひつまぶしを食べる。これ一杯じゃ足りないと思う。でも僕は一杯しか食べなかったが。田楽の店にも行く。赤みその田楽。9月2日はお昼前にホテルを出る。

三重県鈴鹿市。僕は以前応援していた歌手のコンサートで三重県には3度来ている。四日市、伊勢、それにここ鈴鹿。ここは1999年以来くらいかな。ここも久しぶり。僕は最初に四日市に来た年、ついでに伊勢神宮にも参拝した。内宮だけだったが。その次の年1991年に伊勢のコンサートがあった。そのコンサートのとき朝早く一度会場に行った。別に一番乗りを目指したわけではない。今の大垣行き快速「ながら」のまえに東京発大垣行き普通電車というのがあった。僕が当時応援していた歌手のコンサートで地方に行くときよくその電車を利用していたが、結局それを利用して中京地区のコンサートに行くとすごく早く会場に着いてしまう。

1991年は朝名古屋に着きそのまま伊勢に向かった。会場は宇治山田駅前。かなり早く会場に着いた。でも僕は一番乗りではなかった。すでに先に来ていた人がいた。いつ来たんだろう。僕は会場を去り伊勢神宮を参拝する。今度は外宮内宮とも参拝。午後会場に戻る。会場の地下が駐車場でその歌手は車でそこに入っていったようだ。当時僕はツアー限定追っかけもやっていないころで、他のファンとの交流も少なく、情報も乏しかった。僕は偶然上のほうからその様子を見ていた。どうやら車にその歌手が乗っていたらしい。でも雨がひどく降り始めていて車の中の様子はよくわからなかった。服装の色からすると、当時その歌手がその色の服でよく会場入りしていたようなので、おそらくその歌手ではないかと思ったが、違うかもしれない。

僕はブログで詳しく説明しているが、以前応援していた歌手に対する応援姿勢だけれども、1992年の名古屋公演以降ツアー限定の追っかけをやり始めた。1992年のツアー最初のころまでにすでに50回以上コンサートに行っていたけれども、ツアー限定追っかけもやっていなかった。以前応援していた歌手においても前半と後半では応援スタイルが大きく異なっている。倉木麻衣ファンになってからは全く追っかけをやっていない。要するに以前応援していた歌手の前期の応援スタイルに戻っているわけだが、何度言ってもわからないやつがいる。

もちろん僕自身スタッフや他のファンの嫌がらせに苦しみ、以前応援していた歌手の前期の応援スタイルとも違うところがある。これは嫌がらせのために不本意ながらやっていることである。僕は倉木麻衣については、単にコンサートやラジオキャンペーンにたくさん行っているだけで、追っかけをやっていない。以前からずっとそう言っているじゃないか。定義以前のレベルの話である。それに定義を持ち出すのであるなら、そもそも僕のことを追っかけといっているのは誰か、その情報のもとをただすと誰に行き当たるのか。

以前応援していた歌手のファン時代、一緒に行動した追っかけマニアの人は僕を追っかけとは認めていない。僕の前でそういう発言をしている。他の古参有力ファンも僕を追っかけだとは言わない。では誰が僕を追っかけだといいはじめたのか。誰が僕をツアー限定交通期間限定追っかけと呼ぶようになったかというと、僕自身である。つまり僕を追っかけと呼ぶのは僕の主張を支持していることになる。実際には多くの人間は、僕の発言のうち一部をそのまま容認し、容認すると自分たちに不都合な部分のみ、他人の意見や僕の意見と異なる意見を勝手に僕の意見呼ばわりする。悪質な嫌がらせである。復讐されたい人間のみやることだろう。

語呂合わせ、駄洒落でごまかせばますます問題解決は困難になり、状況は悪化する。それを承知で語呂合わせや駄洒落を当てはめるのが、多くの日本人のやり方である。組織・多数派・権力寄りの人間に不幸があれば、自業自得というべきだろう。

その1992年のコンサートのあとその歌手からはがきが届いた。14年間応援をしていて、たった一回もらったはがき。プレゼントのお礼のメッセージとサインが入っている。うそだろうというやつもいるかもしれないが、ちゃんとしまってある。記念。もうその歌手のファンも辞めてしまった。当時のことがいろいろな形で嫌がらせをされている。倉木ファンからも嫌がらせをされ、ライブ・スタッフからも嫌がらせをされる。当時のファンの仲間とも人間関係がこじれ、それだけでなく、僕を攻撃する連中の一方的言い分を鵜呑みにするやつも多い。しかもそれを根拠にまた僕に対する攻撃。とてもじゃないがその歌手のファンは続けられない。やめても影響が大きいくらいだから、続けたらどうなることやら。僕は当時応援していた歌手のファンは辞めた。

そのはがきのことがあって以来、げんを担いでしばしば伊勢神宮に参拝していたが、郵便局時代「伊勢」という名前の職員がいておちょくられることも多く、また僕が伊勢市に行くと不審な人間を見かけることが増えだしたので、ここ数年は全く伊勢神宮には参拝していなかった。今年はせっかく三重県に来るので久しぶりに伊勢神宮に参拝しようと思った。

宇治山田駅から外宮に行く。参拝する。バス停に行く。バスの時刻が変な気がしたが、よくわからない。内宮に着く。参道を歩いていたのだが、やはりおかしい。参拝客の歩くところが違うようだ。良いといわれることの多い宗教、実質いかがわしい関係者だろうか。時間が迫っていたので、早めに参拝を終わらせ、バスで宇治山田駅に戻る。五十鈴川駅でたくさん客が降りる。宇治山田駅に着くと母親と小さな子供の二人組が、運転手にこの駅から賢島にいけるかと聞いていた。また違和感。こういうことはよくある。いちいち取り上げていたら大変だ。

特急で伊勢白子、急行で伊勢若松まで行き、乗り換え鈴鹿市へ。特急の中では座席を一列間違えたという人がいたが、これと全く同じことが来るときもあった。変。会場には6時くらいに着く。トラックの運転手はもう来ていた。僕は一般発売までにチケットが手に入らないときのみオークションを利用することにしている。今回のツアーでは唯一のオークション利用の会場。1階ひ列。後ろから3番目の端。ただ入場するとき若い女性が僕の周りで「ヤフオク、ヤフオク」と言いまくっている。誰だろうこいつ。僕の知らない女性である。顔はまずまずの美貌でかなり男性に人気のありそうな女性だが、この態度からはかなり性格が悪そうな印象である。美人なので周囲の若い男性がちやほやするのでいい気になっているのか。もちろん美人といっても倉木麻衣さんやキャスパーさんほどではない。でもいまどきはこの程度の美貌で、性格の悪い女性は多いのか。多そう。でももう顔忘れてる。覚えていない。

倉木さんはロック温泉の話をしていました。地元のスーパーにも行ったらしい。麻衣さんが楽しんでくれるのはうれしい。ライブが終わると宿泊先の名古屋のホテルに戻りました、


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.8.31宇和文化会館

2006-11-03 01:02:00 | 2007年までのライブの思い出

28日夜ドリームにちりんに乗り、小倉へ新幹線で東京へ戻る。輪島のチケットは取れていました。アパートの家賃を払い、30日朝にはまた四国に向かいました。新幹線と特急を乗り継ぎ、卯之町駅到着。午後2時くらい。近くの宇和郵便局に行き、輪島のチケット代金を送る。アリスで食事。小さな町だけれどもいろいろな店が揃っているようでした。あとで街を歩いてみようと考えていました。

ホテルは午後3時チェック・インのつもりが、午後4時でないと入館できないらしい。1時間ホテルの前にいたり、前の川やその近くを散策する。薬局の前にいたら、倉木さんの「Diamond Wave」が流れてくる。ラッキー。ホテルの横はコーヒー屋さん。田舎町なのにこういう店まである。遅くまで営業するスーパー、マクドナルド、回転寿司屋、ファミレス、ミスタードーナツ、パソコン教室といろいろ揃っている。大阪行きの夜行バスもある。小さな田舎の都市のようでいて生活は都会的な便利さがかなり取り入れられている。午後4時チェック・イン。

今回はこのあと三重県鈴鹿、岐阜県土岐を回って東京に戻る予定で日数が短くノート・パソコンは持ってきていない。夕方街へ出る。結局ほっかほっか亭で弁当を買ってきて食べる。天気は降ったりやんだり。前の川は濁っていて、魚は見えない。流れはゆっくりとしている。

翌日このホテルの従業員はお昼は掃除担当を除き不在になるらしい。連泊の場合、鍵の授受について話しをしておく。お昼前の外出し、コインランドリーに行き洗濯。近くの庁舎近くの池を見ていた。洗濯が終わるとその近くの回転寿司屋による。たっぷり食べ、街を散策し、ホテルに戻る。会場はここからでも近い。

夕方5時過ぎにホテルをまた出る。途中の軽食の店で食事。会場へ。雨がだんだんとひどくなる。会場前には池があり、そこに雨が降り注ぐ。ライブは大都市圏に比べれば盛り上げるファンも少なく、盛り上がりがイマイチだけれどもでもライブ自体は結構よいライブでした。楽しめました。僕の席は1階L列。ライブ終了後アンケートを書いて出す。トラック運転手の友人が話しかけてくる。岡山在住の人のようでした。

僕はそのまま会場を去り、またほっかほっか弁当屋に行く。結構おいしい。他のファンらしき人も見かける。出待ちはしなかったのか。どこで食べようか、などと話をしている。ホテルは取っていないのか。雨も降っているし、適当な場所を見つけるのが大変だったかもしれない。どこか無人駅の待合室など考えているのか。東屋のある公園とか。僕もそれほど多いわけではないが、20代のころコンサート・ツアーに行き、何度か屋外で夜を明かしたことがある。駅構内、バス停のベンチ、バスの待合室など。

ホテルに戻る。翌朝は少し早めにチェック・アウト。川沿いを歩く。昨日の会場の横を通り、駅へ。途中途中後ろから来た女性二人が挨拶をしていく。誰だろう。駅のところのパン屋でパンを買ったら、今日はパンの日だということで、お皿を2枚もらった。今日の宿泊先は名古屋。特急と新幹線を乗り継いでそちらに向かいました。新幹線の中では傘自慢の男が隣に座る。付きまといでしょうがしつこい。ブログにかかれたいのでしょうが、こういうのを書くと次々にブログに書かれたい人が登場する。全部は書きません。


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