かんたん

2004.12ブログ人でスタート、2014.10gooブログに転居。

倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.22三島市文化会館

2006-11-04 08:54:00 | 2007年までのライブの思い出

松山のライブのあと久万高原に行き、JR松山駅に戻る。JR松山駅でサンドイッチやおにぎりを買い込み電車に乗る。特急で岡山へ。そこから新幹線で新大阪。三島までの3泊は大阪で過ごすことにした。他の場所でもよかったが、比較的他の場所より地理的にわかる。食べ歩きもしようと思った。ホテルはニューオーサカホテル。

最初から大阪による予定ではなかったため、どこに行こうか迷った。20日は京都の伏見区の舞台町に行くことにした。たまたま地図を見ていて偶然見つけたところ。京都までJR、そこから近鉄で丹波橋駅へ。携帯サイトの地図を頼りに歩くがなかなかわからない。にぎやかな街というわけではないが、人家は多く、通りも人通りが多い。途中川を渡るが、水量が豊富。水遊びには危険なほど。もう少し流れがゆるいと船で遊べる気がするけど、やはり危険か。散々うろうろする。競輪選手の格好をした人も見かける。時々こういう人を見かけるが、どういうつもりだろう。僕は競輪はやらない。競艇、オートもやらない。

安い自販機もある。関東では見かけないメーカーの飲料。やっとたどり着く。ただ舞台に来ましたというだけで、別にたいした意味はない。その北の町域が景勝町というらしい。上杉景勝かな。この辺はこういう地名が多い。いわれはよく知らない。不勉強。その景勝町にも細い川が流れている。透明度が高い。ここら辺は市街地に近いのに川の水がきれい。魚が泳いでいる。ちょうどめだかの学校を連想するようなイメージ。でもウグイだと思う。小さい。しばらく歩く。手帳など外にほうり出している家もある。また丹波橋に戻る。そこから中書島へ。ここは以前立ち寄ったことがある。乗り換えに利用したのだけれど、ついでにホームのうどん・そば屋にも立ち寄る。今回もそこにより、そばを食べる。

そのあと京阪電車で淀屋橋へ。倉木さんの岸和田や三木のライブのときも寄ったけれど今度も蛸プチでたこ焼き、551HORAIで餃子を買う。御堂筋線で新大阪に来て太郎庵で食事。ホテルに戻り、たこ焼きや餃子を食べる。少し食べ過ぎの傾向があり、内臓が疲れ気味。21日も特に予定はなく、せっかくだから以前から行こうと思いながらぜんぜん行かなかった、住吉大社に行くことにする。南海電車で向かう。造りが独特で興味深い。阪堺線と南海電車の位置関係も飲み込めた。

とっとと新大阪に戻り、お好み焼きの店でお好み焼きと冷やしあめを注文。この冷やしあめがとてもよい。ホテルに戻り、たこ焼きの残りも食べる。大阪滞在といっても特に予定を立てていたわけでもなく、全然たいしたことのない滞在になってしまいました。22日になりホテルをチェック・アウト。時間には十分余裕があるので在来線を乗り継いで三島に行くことにしました。新大阪から新快速に乗ろうと思ったら、急病人のため電車が遅れているとのこと。そのため一本前の電車に乗れました。でも車内のアナウンスは大変印象が悪い。公共交通機関は、どこの会社もみなそうか。JRN日本。いやだ。いやだ。

米原どまりの電車になったが、別に問題なし。大垣行き普通に乗り継ぎ。大垣から浜松行きの電車に乗る。今日はJR東海の印象は悪くない。ただ乗客がおかしい。キリスト教の尼さんが前の席に座ったのだが、僕の後ろの路線表を見る。これで僕が路線表を見ると、あ~尼さんが見たから見たんだろう、あははは、というような嫌がらせ、からかいは浅草郵便局時代2代目関根S一の高本T也から散々やられていた。キリスト教の尼さんまでやるのか。名古屋のあとはうすのろタコ野郎のようなやつが座る。ニヤニヤ見ていたようだが僕はほとんど寝ていた。毎度毎度本当に。

浜松から熱海行きに乗る。ここの路線は多いときは豊橋や静岡で乗り換えるときもあるから、今回は乗換えが少ないほうです。三島には4時過ぎてからの到着。コインロッカーに荷物を預け、まだ時間があるので飲食店で食事。名前を忘れたが駅から右のほうにいくとラーメン屋が2軒ある。その間に挟まった豚カツや。アナゴ丼を注文。梅干のてんぷらが入っていた。珍しい。駅前の湧水のところで一休み。でもラーメン屋の前でニヤニヤしながら僕を見ていたのはどこのじじいだろう。どうやら僕を知っているらしいが、誰だろう。うっとうしい。

ライブ会場に行く。ライブはまずまずよいライブ。僕の席は1階のV40。倉木さんは新幹線で来たそうです。大阪から来たのかな。それだと僕は途中で追い抜かれたことになる。倉木さんは新幹線の車窓から見える、静岡県の景色がお気に入りだそうです。ライブが終了し、僕は三島駅へ。新幹線にしようか迷ったけれども、結局在来線にする。熱海行きに乗り、乗り換えて東京へ。途中相変わらず付きまとう馬鹿が出てくる。わざとらしく本を読んだりして。わざとらしい行動のオンパレード。きっと充実したくだらない人生を生きていることを自慢しているのでしょう。迷惑千万。

ライブ会場にいる時間が短いせいか、ライブの思い出といいながらあまりそんな内容になっていないけれど、スタッフや他のファンの意地悪な態度、付きまとい、などなど、行動も制限され、面白くない。僕にとっては大変不本意。今年のライブは結局このまま行きそうな感じ。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.18松山市民会館

2006-11-04 06:53:00 | 2007年までのライブの思い出

松山駅に着きました。2004年の倉木麻衣さんのライブ以来。ホテルを探しましたが、割と簡単に見つかりました。松山シティホテル。なかなか立派なホテル。チェック・インしました。ブログを書いたりしていました。夕方食事に外出。駅近くの札幌ラーメン屋に寄る。駅のところには喜多方ラーメンの店もある。やはり松山の人はこういうラーメンのほうがいいのか。僕はやはり他所から来ているので松山ラーメンのようなものを食べてみたい気がした。

ホテルで朝食。翌日は昼前外出。駅のところの店でクッキーとお茶の食事、また別の店でスパゲティを食べる。列車の時刻表や高速バスの時刻表を見ながら松山からあとの移動の予定を検討する。駅近くに座っていると帽子をかぶった若い男がこちらを見ている。誰だろう。こちらは相手を知らない。相手は僕を知っているのだろう。うっとうしい。僕のことを倉木麻衣さんに似ていると思って見ているのか。似ていないと思うが。僕は倉木麻衣さんやキャスパーさんはともかく、倉木さんのファンは嫌いだ。そのあともう一人時々ライブで見かける人から声をかけられる。東京の人だそうです。

ホテルに戻り、のんびり。近くに伊予鉄が走っている。乗ってみたいと以前から思っていたが、まだ一度も乗っていない。開場時間が近くなり、ホテルを出る。場所はわかりやすい。途中ファンらしき男数人に追い抜かれる。見かけたことのある人。長距離遠征か。会場の横では木下サーカスが行われていたらしい。到着すると入場の整列が行われていてトラックの運転手もいた。今日の席は1階15列16番。

ライブはまずまず良かった。倉木さんはサーカスの話もしていました。トラックの運転手は、台風の話をしていました。あとで見た倉木さんのリポートなどでも台風について触れている。僕はぜんぜん気がつかなかった。雨がひどかったのかな。雨の少ない風台風だったのか。倉木さんは体調が悪いようです。僕が看病をしてあげたかった。

会場には後方に空席がちらほら。入場のとき「チケット譲ってください」などと書いた紙を持っていた人もいたが、当日券ではいれたのじゃないか。本当にライブを観ようという気があるのかどうか。前売りや当日券でチケットを持っていれば必ずよいときめつけているわけではない。しかもこの人他の地方のライブでも見かけた気がする。交通費その他はたくさんお金をかけてもチケット代は払いたくないのだろうか。ファンにはそれぞれ考えがあるのだろうが、僕は他の倉木ファンは嫌いである。

ホテルに戻る前、うどん屋により野菜炒め定食を食べる。あとから入ってきた倉木ファンらしき男二人組みの態度の悪いこと。慇懃無礼、態度が横柄、意地が悪くて、・・・でもこういうやつが今の日本社会では好意的に見られるのですね。加害者優遇社会だから。ここ数年特に日本はひどくなっているのか。でもそのほうが外国からも好意を見られるのか。

ホテルに戻るスタッフの対応もおかしい。ホテルのフロントの要員というものはあんなにころころ変化するものか。僕と無関係なら許すが、関連付けているのなら許されない。コンビニなどでも条件は同じ。翌朝朝食を食べ、チェック・アウト。駅に行く。他のファンは見かけない。もう松山を去ったのか。倉木さんはどうだろう。僕は次の三島まで大阪に滞在することにした。ただせっかくここまで来ていたのでその前に四国八十八箇所の岩屋寺という所に行くことにした。落出行きの普通バスがありそれに乗っていけるらしい。

荷物をコインロッカーに預け、バスに乗る。思ったより時間がかかる。高いところを上っていく。なんだかすごいところに行きそうだという気がした。峠を越えると高原地帯で松山とは別世界のようなところ。久万高原駅というバスの駅で降りる。この辺は伊予鉄とJRのバスがあり路線バスがわかりにくい。バス路線がどうなのかよくわからないし、タクシーで行くことにした。少し歩くとタクシー会社が見えたのでそこからタクシー。まず44番の札所に行く。大宝寺、ここは行きやすい。

次に岩屋寺。ここは僕の祖母が若いときに来たことがあるそうだ。チラッと話には聞いていたが、行ってみると、道路からはちょっと変わった形の山があるなあという程度でたいしたことはなさそうだけれど実際に歩くと険しい道で登るのが大変。運動不足には堪える。他の参拝客、お年よりも健脚で、追い抜かれていく。やっとたどり着く。よくまあこんなところにお寺なんか建てるものだ。僕の祖父や祖母は世間的には評判の悪い人間かもしれない。でも僕にとっては祖父であり祖母。ある時期僕を強く支えてくれた人。日ごろは先祖に無頓着な僕も先祖について祈りました。

お寺周辺には参拝客が多いが、途中の道は少ない。他の人はどこにいったのだろうと思ってしまう。歩くのが速いのか。僕は遅いが。タクシーには待っていてもらった。川の水がきれい。水量も豊富。台風のあととは思えないほど水がきれい。やはり風台風だったのか。久万高原駅に着く。次のバスまで1時間半くらいあるけど、ゆっくり待つことにした。ぼんたん飴やわさびのあられを買う。ぼんたん飴は西日本では一般的なのか。僕も子供のころよく食べた。キャラメルとぼんたん飴が色違いの似たような箱にはいっている。子供のころを思い出すが、僕の子供のころももうずいぶんずたずたの記憶になってしまった。多くに人間が踏み潰すことを楽しみにしているらしい。僕をうそつき呼ばわりしてうれしそうな笑みを浮かべる人たち。その人たちが僕の思い出を踏み潰して喜んでいる人たちだ。

さかえという店で他人丼を食べる。バスの駅で待つ間も他のお客は不自然な面もあったが、たいしたことはない。バスに乗りまた松山市へ。途中で川を渡る。きれいな水。水量も少なく歩いて渡れるほど。本当に台風が来ていたのかと思うほど。松山の市街も結構大きいなと感じる。JRの松山駅に着く。結局鉄道で大阪に向かうことにした。特急と新幹線の乗り継ぎで、新大阪に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.16広島郵便貯金ホール

2006-11-04 04:52:00 | 2007年までのライブの思い出

倉敷から広島までは普通電車。ちょうど倉敷を午前10時に出る電車がありこれがちょうどいい。アナウンスで何分かの遅れだということだけれどもこういうことは良くある。JRなどがこういうことを言うとわざとやっているんだろうと無条件的にそう思ってしまうが、別にこちらは急いでいないので全然問題ないが。ここの路線で急ぎなら新倉敷からでも新幹線を利用する。

ところどころ車窓の景色は覚えているが、電車ではほとんど寝てばかりだった。広島駅に着く。駅のホームの立ち食いの店でうどんを食べる。ここは広島に来るときは良く立ち寄る店。そのあと駅横のビルのお好み焼きの店に行くが大変な混雑なので、少し時間を置いてからまた行くことにした。雨がずっと降っている。駅前の雨の降らない一角で雨宿りする。

中国地方ではもちろん広島が来た回数は一番多い。小学校の修学旅行もここだった。大分の竹田津港からフェリーで徳山港へ。普通電車で広島へ。広島市内見学。平和記念公園にも行った。原爆ドーム前で記念撮影。あの写真どうなっただろう。九州の祖母の家においてあったが、今はどうなっているんだろう。翌日は広島の宮島、厳島神社に行く。また広島に戻り、新幹線で小倉、日豊本線で杵築経由で帰った。1泊2日の修学旅行。

しばらくしてまたお好み焼きのところに行く。まだすごい混雑。やっと老松という店がカウンターに4席まとまって空いている席があり、そこに入ることにした。かきとそばの入ったお好み焼きでした。そのあと駅の前の地下でアイスコーヒーを飲む。大きい画面で日本人アーティストの歌が流れているが、最初中島さんが歌っていたが、知っているのはそれだけだったような。知らないアーティストが多い。別に知らなくてもいいが。

歩いてホテルへ。広島インテリジェントホテルアネックス。横は道路と公園を挟んで川。なかなか良い感じのホテル。しばらくホテルでブログを書いたり、ゆっくりし、会場に出かける。厚生年金会館やアステールプラザに行ったことは多いが、今度の会場はずいぶん以前に一度行ったきりで久しぶりの2回目。前回は広島駅から紙屋町くらいまで行きそこから折れて広島城の横を通り会場に行った。1992年か1993年だったか。帰りは他のファンと4人でタクシーで広島駅へ。

今回歩いてみるとかなり距離がある。間に合うかどうか不安に感じたので、アストラムラインを利用して会場に行くことにした。会場近くに駅があるはずだが、なんという駅かわからず、携帯サイトを利用して調べると白島というらしい。ちなみに前回1992年か1993年ごろ広島のこの会場に来たとき、まだこのアストラムラインは完成していなかった。会場近くに高い鉄道のような建造物ができかけていた状態だった。それ以後は広島に来ても厚生年金会館かアステールプラザだったのでアストラムラインというのを利用するのは今回が初めてだった。

会場に到着。もう入場は始まっている。僕の席は1階27列37番。隣の隣がトラック運転手だった。ライブは結構よい。広島ではサイン会をやったようです。ライブが終わると僕は、いつものようにさっさと会場を出て帰りもアストラムラインの利用。ホテルまでの途中に「すき家」という店があり、この店あちこちに店はあるけれど利用したことがなかったので、寄ってみました。たっぷり食べホテルへ。

倉木さんはどうやって次の松山に移動するんだろう、などと考えていました。翌日朝はバイキングの朝食。チェック・アウトし、歩いて広島バスセンターへ行く。ここから10時40分発の今治行きのバスに乗りました。なんだか怪しい乗客もいましたが、いつものこと。困ったもの。でもバスの中でも結局ほとんど寝ていました。

今まで四国本州を結ぶルートというと瀬戸大橋のルートは何度も利用。淡路島のルートも2005年の鳴門のライブのあと利用。今回しまなみルートの利用で3ルート全部利用したことになります。このルート実際には山のようなところに行くことが多い気がした。海はほとんど見なかったような。でも寝ている時間が長くあてにならない。景色をしっかりと見なかったのは残念。またいつか行くときもあるかな。

倉木さんは広島から松山までフェリーで移動したようです。なぜなんだろう。ちなみに僕が以前応援していた歌手のファン時代、顔見知りになった追っかけマニアの人がいて、その人の話だとN山というアイドルがやはり広島から松山までフェリーで移動したそうですが、それは多分1990年前後の話じゃないかと思う。もちろんしまなみルートなんて完成する以前だが。今はそういうルートもできているのにフェリーとは。高速フェリーだから速いのだろうけれども天候のこともあるし、よくフェリーなんて利用したなと思いました。大分から愛媛はフェリーじゃないとしょうがないと思うけど。麻衣さんの移動はよくわからない。もちろん追っかけはやっていませんよ。

今治駅で太刀魚や蛸の加工食品を買いました。ここは昨年四国八十八箇所めぐりに行ったときにも寄った。おばさんは僕を覚えているような気がした。ホームに立つと風が気持ちいい。普通電車に乗って松山に向かいました。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.15倉敷市民会館

2006-11-04 03:50:00 | 2007年までのライブの思い出

14日、この日はライブなし。倉木さんは昨日もう倉敷入りしたのだろうか。それともこの日14日に倉敷入りしたのか。15日当日に倉敷に来るのか。場所からするといったん大阪まで戻ることもありうるが。その辺は僕はよくわからない。僕は高松駅で広島駅までの切符を買う。快速マリンライナーに乗り、岡山駅へ向かう。途中でいかにも馬鹿丸出しの背広姿の若者二人が僕の前の席に座り込む。「坂出、坂出」などとわめいている。僕を意識しているようだが、何が坂出か。ぜんぜんわからない。そういうこといえば何か影響があるだろうと思うこの馬鹿者二人の考えが理解に苦しむ。僕は頻繁にこういう馬鹿者を相手にさせられていてあほらしい。僕は坂出なんぞ行ったことはないが、坂出がどうかしたか。

岡山駅からから倉敷駅へ。時間があるのでベンチでアイスクリームを買って食べていた。駅を出て右のビルのところに公衆電話がある。そこにタウンページがあるのでそれでホテルの住所と電話番号を調べる。

僕が以前地方のコンサート、ライブに行くとよく利用していたのはサウナやカプセルホテル。どうやって探していたかというとこんな感じで公衆電話を見つけタウンページでサウナやカプセルホテルを探していた。今ではサウナやカプセルホテル宿泊も少なくなった。ここでの僕の宿泊先は、ホワイト・イン倉敷。

夕方外出。ここにもセンター街というのがあり、そのアーケード街をあるいてみる。なんとなく飲食店の様子がおかしい。ある店の前でボーとしてサンプルを見ている男がいる。おいしそうなものが多くて決めかねているのか。その男が店に入り、僕も入りかけたが、気のしすぎかもしれないが、その男の挙動に不審を感じ、店には入らず。しばらく歩くと神戸亭というカレー屋があったので、そこでカレーを食べた。店員は明るくにこやかな対応。僕のことを知っているのだろうか。少し不自然な感じ。長年の嫌がらせ攻勢の悪影響で疑り深くなっている。疑いすぎか。

表通りに出て珈琲館に行く。飲み物とホットケーキ。ホットケーキがおいしい。ホテルに戻る途中、若い男が数人いた。「ステーキ食い放題」だと満面の笑みをたたえ、うれしそうに言っている男がいた。その男はステーキ食い放題がうれしかったのだろう。良い思い出でしょう。でもライブツアーに行きながら並行してこういうことを楽しむのもツアーに行く楽しみではある。間違ってはいない。僕はホテルに戻り、コインランドリーで洗濯。

翌日朝、ホテルを出るとホテルから右手、西のほうに行ってみる。しばらく行くと小さな川、水量は多い。こういった川が倉敷近辺では目につく。この川透明度は高く水量豊富だけれども、魚影は見えない。さらに西に向かってあるくが、目的のものは見つからない。何が目的のものなのかというとサウナ。僕が初めて倉敷に来たのは1991年の春。そのとき倉敷のサウナに宿泊。カプセルホテルではなく、1階が本屋で2階がサウナというような建物だったような記憶がある。それ以降何度か倉敷には来ているが、宿泊は岡山市。ずっと岡山の駅前のカプセルホテルだったが、2005年の倉木さんの倉敷のライブのときは、岡山市のキャッスルホテルだった。いずれにしろその1991年のとき以降倉敷では宿泊していない。倉敷のこの一角にも来ていない。

街は当時より建物が多くなった印象。結局見つからなかった。確かこの通りのような気がしたが。サウナ探しはやめ、折り返し、倉敷駅に向かう。倉敷駅の軽食の店で飲み物とホットケーキを注文。そのあとは駅の北口の公園で時間をつぶす。午後3時を回りまたホテルに戻る。

午後5時半過ぎホテルを出て会場に向かう。美観地区はただ素通り。昨年まで3年間同じよな行動。会場に着く。レギュラーファンも多数来ているようだ。もう入場は始まっている。僕もさっさと入場。席は1階席27列目39。ライブはすごく良かった。ここは例年付きまといが多く、今年もそうだったが、ライブ自体はすごくよかった。満足。倉木さんは美観地区を回り、倉木さんは倉敷がお気に入りのようです。備前焼や似顔絵おじさんの話題。

ライブが終わると僕は会場を出て駅近くのカレースープの店で食事。僕はホテルに戻りました。

僕はずっと倉木麻衣が好きでファンをやっていた。ただ、このところずっとがっかりしていることがある。僕は倉木麻衣が好きでずっとメッセージを送り続けている。でも倉木さんにはちゃんと伝わっていないような気がする。僕のメッセージを倉木さんは正しく受け止めようとする意思がないように思える。僕の真意は倉木さんには伝わらない。2004年のライブツアー中から時々僕がぶち当たる壁である。いつかは信じてもらえるようにと考えても徒労に終わっているか、逆効果になっているか。でもいつかは倉木さんに心が通じると希望を持ってきたけれどもなかなか難しい。かなり厳しい。

世間や他の倉木ファン、スタッフの嫌がらせもかなり強烈で、その上倉木さんの信用がないとなるとやはり時々気持ちが沈んでしまう。何とか気持ちを奮い起こしてファン活動を続けているが、正直なところかなりつらく厳しい状況である。他の人間はそれなら倉木麻衣以外がいいのだろうと決め付けるやつもいるかもしれないが、倉木麻衣以外も状況は変わりはしない。もっとひどい可能性も高い。

ただ、今後僕が倉木ファンとしてどういう行動をとるか、来年以降のことなどはともかく、今年の倉木麻衣さんのライブは全部行く。これはぜひ実現させたい。そう考えていた。


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倉木麻衣2006ライブ・ツアーの思い出~2006.9.13香川県県民ホール

2006-11-04 02:49:00 | 2007年までのライブの思い出

名古屋から高松へ移動。名古屋駅で高松駅までの乗車券と岡山まで新幹線の特急券を買う。他のお客が名古屋駅で「郡山」なんぞ言っている。名古屋から郡山とは珍しいと同時に僕自身郡山でからかわれることが時々あるので、注目してしまったが、よく考えると奈良の大和郡山かもしれない。それならわかる気もする。人口では福島の郡山のほうがずっと多いが、知名度からはどちらも同じくらいではないか。高校野球で奈良の郡山高校が出場したことがある。福島の郡山だと安積になるのかな。大学時代の同級生に福島の郡山出身の人がいた。仲はよくなかったが。

同じような勘違いは時々ある。長野、長野と大阪で言っているときそれが河内長野の可能性もある。鶴見区、青葉区、旭区、緑区などいくつかの政令指定都市にある区もある。最初に鶴見区と聞いたらどこの鶴見区を思い浮かべるか。

以前大阪のウィンズ梅田に行っていたときのことである。まだ電話投票権がないころのこと。館内のアナウンスが流れて来た。「宮古島からお越しの○○さん・・・」というアナウンス。びっくりした。宮古島というと沖縄。それと競馬が結びつかない。わざわざ沖縄から馬券を買いに大阪まで来たのか。それはすごい。まあ友人が大阪にいて遊びに来ていた宮古島の人がその友人につれられてウィンズに来ていた可能性もあるが。そう考えて納得したのだが、そのとき思い出したのが、「都島」。大阪だったら普通そちらだろう。場所から考えたら、ウィンズ梅田に来てもおかしくない。気がついて脱力。時々ある。

岡山駅で立ち食いのうどんを食べる。おばさん二人が派遣の仕事を批判している。無職の僕はもしかすると派遣会社に就職する可能性もある。あくまでも参考意見として聞いたのだが、就職に対する表現は難しい面があるなとつくづく感じたのである。

Aさんが「公務員や一流企業の社員はいいけれど自営業や中小企業の社員はよくない」と主張すると周囲の人間は、Aさんは現実の社会をよくわかっている、さすがだと高い評価をする。一方でAさんが「公務員や一流企業がよくて自営業や中小企業がよくないというのはおかしい。そういうことで差別的な評価をすべきでない」と主張すると周囲の人間は、Aさんはさすがに公正に物事を見ていると高く評価される。

それに対して、Bさんが「公務員や一流企業の社員はいいけれど自営業や中小企業の社員はよくない」と主張すると周囲の人間は、Bさんはすぐ職業で他人を差別したがる。だめなやつだと低く評価される。一方でBさんが「公務員や一流企業がよくて自営業や中小企業がよくないというのはおかしい。そういうことで差別的な評価をすべきでない」と主張すると周囲の人間は、Bさんは現実をわかっていない、机上の理想論ばかり言っていると低く評価される。

AさんもBさんも同じことを言っているけど周囲の評価は全く異なっている。よく幸福になるためのノウハウなどを歌う書物があるがだいたいAタイプの人間になれというものだ。僕は抵抗を感じるけれども、こういうことはよくあることだろう。

そこの今度はCさんが登場する。Cさんが「Aさんの主張は、現実もよく見据えているし、見方が公正だ。Aさんは立派である、それに対し、Bさんは現実をわかっていないし、職業に対し差別的で、レベルが低い」と主張する。周囲の人間は当然Cさんに好意的な人が多い。一方でCさんが「AさんもBさんも同じことを言っているのだから両者に大きな差があるような評価はおかしい」と主張するとそれはそれで「Cさんは周囲の評価に流されず、きちんと両者を評価できている、立派である」と好意的に評価される。

ところがDさんの場合。Dさんが「Aさんの主張は、現実もよく見据えているし、見方が公正だ。Aさんは立派である、それに対し、Bさんは現実をわかっていないし、職業に対し差別的で、レベルが低い」と主張すると周囲の人間は当然Dさんは安易に他の人の考えに合わせただけで、実際にはAさんとBさんの意見は同じだと気がついていない、Dさんの主張は程度が低いと評価される。一方でそれに対し、Dさんは「AさんもBさんも同じことを言っているのだから両者に大きな差がある評価はおかしい」と主張すると、Dさんは何かとそういうふうにみんなの意見にけちをつけたがるなどと低く評価される。

この場合のCさんとDさんも同じことを言っている。さらにEさんとFさんも登場するかもしれない。Eさんが「Cさんは立派だが、Dさんはだめなやつ」あるいは「CさんもDさんも同じ」のどちらを発言しても高く評価され、Fさんはどちらを発言しても低い評価。こんなとき誰かがA、B、C、D、E、Fの意見についてに同意を求めて来たとき、迂闊に答えると貧乏くじを引かされるかもしれない。僕はこういう貧乏くじをたくさん引かされてきた。概して相手は、本人はたいした人間ではないが、バックの多数派組織、権力側組織に好意的に見られている人間である。いいように攻撃されてきた。

快速マリンライナーに乗り換える。後ろに緑色の服を着た男がいる。付きまとい、嫌がらせ大好き人間だろうか。高松駅に着く。立ち食いの讃岐うどんを食べる。岡山駅のうどんもおいしいが、ここのうどんはまた一段とおいしい。じゃこ天のうどんだったが、このじゃこ天がまたいい。駅構内の椅子にファンが数人座っているのを見かける。精彩がない。疲れているのか。雨が降っている。

僕は駅を出て左のほうに行ったところのスーパーに寄る。高松によるときはだいたいここのスーパーに寄っている。お惣菜が僕の好みに合う。全国的にあちこちのスーパーのお惣菜は微妙に品揃えが異なり、高松のお惣菜は僕好みが多く、ここに来る楽しみのひとつ。雨は降る続く。パインシャーベットという文字も見えたが、食べない。しばらく駅のところにいて、ホテルに向かう。あるいて5分くらいか。ビジネスホテルまるい。ここはエレベータがなく、部屋は3階、荷物が重いときは少し大変かも。そうではければ安くてまずまずよい。シャンプーはない。

部屋でスーパーで買ってきたお弁当やお惣菜を食べる。しばらく休み、会場へ。赤い服にさやかなどと書いた服を着た男を見かける。さやかという名前なのだろうか。男では珍しい名前だ。自販機の前の不審者。会場に向かう途中、トラックの運転手と会う。ここは何度か来た事のある会場、下のフロアに飲み物の自販機がある。僕の席は1階16列12番。

ライブはまずまず。倉木さんは新幹線でこちらへ来たようだ。岡山からの移動については触れなかったけれどもマリンライナーかな。それとも車だろうか。僕が以前応援していた歌手のコンサートで広島から高松に移動したとき、その歌手はマリンライナーで移動したのだけれども、倉木さんはどうだったんだろう。一緒に移動したファンなんていたのかしら。駅のところにも行ったそうです。僕も駅にいたけれども倉木さんはいつごろ高松駅に行ったんだろう。親切な青鬼の話。

ライブが終わると僕は下のフロアへ。また飲み物を買って飲んでいました。出待ちはせず、そのまま裏側の出口から帰る。やはりわざとらしい男がいる。こちら側のほうがホテルにずっと近い。ライブに行くのにここのホテルは都合がよい。荷物が軽ければ苦にはならないのだが。翌日、チェック・アウトし高松駅に向かいました。


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