あれは,あれで良いのかなPART2

世の中の様々なニュースをばっさり斬ってみます。
ブログ界の「おか上彰」を目指し、サボりながらも頑張ります!

素朴な疑問 なぜソフトバンクならOK牧場?

2005年03月27日 13時17分43秒 | フジとライブドア
ニッポン放送が保有しているフジテレビ株式を、ソフトバンクの子会社に貸し出すというニュースが報道されました。
これにより、ライブドアは仮にニッポン放送の経営権を手中に収めても、フジテレビの経営に口出しできないという状態になりました。
それはそれでかまわないのですが・・。

ただ、どうしても分からないことがあります。
1 ライブドアとソフトバンクの違い
 フジテレビはなぜライブドアだと拒絶したのに、類似産業であるソフトバンクには経営提携等を積極的に行おうとするのでしょうか。ライブドアとソフトバンクの違いが私には理解できません。
2 ソフトバンクの個人情報保護の対策
 ソフトバンクも、ヤフーBB個人情報流出問題など様々な問題を抱えていると思いますが、個人情報保護法を控えてこの点は完全にクリアできているのでしょうか。特に放送局との経営提携であるならば、より一層個人情報保護に慎重にならなければいけないと思うのですが、フジサンケイグループのディノス等で今後も安心して買い物ができるのか、正直心配です。
3 本当にホワイトナイトなのか
 ソフトバンクが「ホワイトナイト」であるがごとく報道されていますが、本当にホワイトナイトなのでしょうか。突然フジサンケイグループを裏切って、フジテレビをのっとることもできるような状態に置かれていますが、そこはフジテレビは絶対の自信があるのでしょうか。その根拠は?

以上、私にはよく分かりません。どなたか表や裏を知っている方がいましたら、教えてください。

よろしければ1クリックお願いしますm(__)m人気blogランキングへ

「ごくせん」から教育を考える(その6)

2005年03月27日 01時58分32秒 | 教育問題
前回の続きです。

4 教師が上司,教育委員会,PTA等に媚び売らない。また,上司からの命令も自己の信念に反していれば無視する。
 最初の文書に,誤植がありましたね(^_^;)。
 さて,教師もサラリーマンです。きれい事だけでは世の中うまくいけないことを一番知っているのは,紛れもなく教師自身です。
 特に出世欲のある教師ほど,上司の顔色をうかがいます。それは,教師に限らずどこの社会でも共通で,上司に睨まれると出世の道がないからです。
 また,教育委員会から何かクレームが来れば出世に響きますし,PTA(ユーザー代表でしょうか)からのクレームが校長の耳に入れば,その教師は指導力がないと勝手に評価されてしまいます。
 したがって,教師は生徒の方を見ないで,上司の方を見て授業をするようになってしまいます。
 さらに,上司の命令に逆らうことは,己の出世の道を封じる行為に他ならないため,当然上司からの命令に忠実になります。そのため,時には自己の教育信念に反する指導も平然と行うことになります(指導要領に従って授業を行う,というのも一部そのような要素があるでしょうか。)。
 当然,これでは生徒に対してちゃんとした教育を行えないことは言うまでもないでしょう。しかし,教師も生活がかかっているため,上司に反抗するという冒険を行え,ということも難しいでしょう。それころ,やんくみのように,出世のこと等を一切考えない教師でなければ出来ないことでしょう。
 むしろ,現状では,出世欲のない教師に熱心な教師は少なく(もちろんいますよ!),出世欲のない教師はぐうたら教師,すなわち授業も満足に行えず,会社でいうところの窓際社員的な存在である場合が多いです。

 この問題は,突き詰めて考えると,現在の教師に対する査定制度に問題があります。すなわち,教師の給与や出世については,校長や教頭などが教師の査定を行い,その査定に際しては多分に査定者の主観によります。だから,上司に嫌われると,査定が低くなるため,上司に媚びうる人が多くなるわけです。
 そこで,査定方法を変更してみたらどうでしょうか。上司が行う査定項目は,教師の日常生活のミニマムな部分,すなわち無遅刻無欠勤であるかとか,必要な授業を必要な時間やっているかとか,必要な会議や研修などに参加しているか等に限定します。
 そして,教育内容の具体的な査定はあえて行いません。真の査定は生徒や親が行いますが,別にこれを査定書などにするわけではありません。教育効果は,一朝一夕で出るわけではないため,数年後(おそらく卒業後)に,卒業生から感謝の手紙が届く,又はその卒業生が大活躍する,それ自体が立派な査定になるのではないでしょうか。
 ちなみに,教育権が誰にあるか,という裁判がありました(旭川学力テスト事件)。そこで,最高裁は,教育権は親と国の両方にあり,教師に一定の裁量があることを認めています。したがって,教師を教育内容で査定すること自体ナンセンスなんです。
 なお,一部の大学では,学生が教授を査定するという制度を採用していると聞きます。これは,大学だから出来る芸当であり,小中高校ではこの制度は十分機能しません。なぜなら,彼らにはまだ教師を評価できるほどの能力は備わっておらず(厳しい先生はだめ,おもしろい先生は良い,という基準くらいしか付けられません。),結果,生徒の顔色をうかがう教師になってしまうからです。同様に,親が評価することも難しいでしょう。親は直接授業を聞いているわけではなく,子供といるフィルタを通して話を聞いていることから,教師の教育方針などが正しく親に伝わっているとは限らないからです。
 もし,親に評価させる機会を設けるとするならば,学級訪問のような機会をかなり頻繁に設け,それを通して親が査定をする,という方法が採れるかも知れません(個人的にはこれでも消極です。)。

 いずれにしましても,「査定」という制度,これを抜本的に見直さない限り,良い教師は生まれません。

まとめ
① 教師に対する査定は,必要最小限の項目にする。
② 教師にある程度の裁量を認める。

次回は「5 教師に校長になろうという出世欲がない。」です。

よろしければ1クリックお願いしますm(__)m人気blogランキングへ