あれは,あれで良いのかなPART2

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「ごくせん」から教育を考える(その8)

2005年03月29日 00時55分45秒 | 教育問題
前回の続きです。あと少しで終了しますので,引き続きおつきあいください。

6 教師が生徒に対してきれい事ですべてをすまそうとしない。しかし,人の道だけは絶対に外させない。
 今までの話と矛盾したようなことを言うかも知れませんが,今の教師は建前論を重視し,本音を出しません。いや,正確に言うと,本音を出してはいけないという制約があります(学習指導要領などで)。
 教育には当然きれい事は必要です。あまり本音ばかりを出してしまうと,「大人は汚い。大人の社会は嫌だ。」と思ってしまう生徒が出てきてしまうからです。
 しかし,きれい事だけでは済まないことがあります。例えば,小学生の頃,「人からお金を借りてはいけない」と教えられたことがあるかと思います。ところが,現実では車を買うにもローンを組み,住宅を買うにはほぼ確実に住宅ローンを借りないと買えません。つまり,「人からお金を借りなければ世の中やっていけない。」社会なのです。
 このように,理想と現実にはギャップがあります。このギャップについては,長年蓋をしてきていました。その結果,マルチ商法にはまってしまう人,詐欺商法に騙されてしまう人,カードローン破産に追い込まれてしまう人等が多数誕生してきているのです。
 そこで,きれい事も大事ですが,社会の本音の部分を教えておく必要があります。もちろん,ぶっちゃけトークにする必要はありません。きれい事と本音の調和点を説明するわけです。
 例えば,先の例では,「人からお金を借りないと生活できない場合がある。しかし,無計画に借りてはいけない。借りるときは,必ず確実な返済のあてを考えなければならない。」ことを教えるわけです。

 また,きれい事を尊重するあまり,競争制度を廃止している学校があります。しかし,今の日本はどこに行っても大なり小なり競争社会です。そこで,勝ち残るためには,競争のシステムは学校においても必要となります。勝ち負けを知らないままに,社会に出て,そこで初めて競争に負けてしまうと,免疫のない人は,そこから先人生が進めなくなってしまいます。そんな温室育ちの人間を学校が育ててはいけません。
 もちろん,かつての競争のように,どんなことをやっても勝つ,徹底的に優劣を付ける,ということまでやると,昔に逆戻りです。競争の陰にあるものは,共存です。共存とは,みんなが協力しあって生活をしていくということです。
 競争とは,勝ち負けを決めることに目がいきがちですが,本来の目的は,「自分を成長させる」ことにあります。
 自分が成長するためには,一人ではむりです。そこで,共存という考え方が必要となるわけです。共存することで,自分の成長が確立されるわけです。
このような競争と共存,これを徹底的に学ばせます。誰かをけ落とすことだけを考えることは,共存の原理に反します。

 もちろん,いくらきれい事だけでは世の中うまく行かないと言っても,決して「ずるがしこい人間」を育ててはいけません。正直者が損をする,そんな教育だけは絶対にやってはいけません。この辺が,本音と建て前の調和点として難しいところでしょうか。
まとめ

① 社会の本当の姿を説明する(きれい事だけでは済まないことを理解してもらう。)。ただし,正直者が損をするような内容は絶対に教えてはならない。
② 競争と共存の制度を採用する。

次回は,「7 教師が生徒の顔色をうかがわず,ざっくばらんに話をする。」です。

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