リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

7月1日

2007-07-01 13:04:50 | Weblog
7月となりました。今年も半分過ぎました。皆さん、楽しんでおられますか。テーマのないブログのことで、ご心配をかけました。
IMさん・・・  徒然草はテーマが無いのが特徴だよ。
はじめさん・・ 同じような年齢、同じような環境の者が応援しています。
YAさん・・・・・ 元気出して、店をしていたときのように大きな声を出して!等々、私のわがままや体調のことを心配してたくさんメールを頂きました。
すみません。ごめんなさい。有り難うございます。
今日は日曜日、静か。中央競馬GⅠレース春が終わり、秋まで小休止だから。IMさんからメールで宝塚記念、メイショウサムソン2着は残念とのこと。私もそう、メイショウサムソン、ウオッカに絞っていた。パドックでのメイショウサムソンの気配がすこぶる良かったので2着は私も残念だった。大雨が降ったあとの道悪に内枠のウオッカは不利だったし。私も外れた。秋競馬は頑張ろう。と言いながら今見ているテレビは競馬中継。まあ、頭の体操として夏もしよう。
私が競馬を始めたのは昭和47年の神戸新聞杯。弟が始めたばかりで一緒に阪神競馬場に付いていった。初めはこんなものかと見ていたが、何?何だ?この大きな立派な馬は・・・11レース神戸新聞杯、タイテイム、ランドプリンス両頭のパドックでの素晴らしい馬体を見て感嘆し競馬ファンになった。それから2人で阪神、京都、はたまた場外馬券場と通った。勝った時は京都の町に出て祝杯を挙げ、負けたときは阪神仁川の駅までの坂(オケラ坂と言う)をトボトボと肩を落とし帰っていく。でも、1年も経たない間に競馬はやめた。大好きな馬、ハマノパレードが昭和48年6月24日の高松宮杯で、1着間違いなし、もうゴールは目の前のところで落馬、しばらく倒れたままだったが走らなくてはと思ったのか起きあがり足を引きづり歩く姿がテレビに。可哀想で涙が止まらない。その日の内にこの世を去った。こんな可哀想な出来事があっていいのかと思い競馬はやめた。時は流れて又、始めたけれどーーー。ハマノパレードの事は忘れはしない。