リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

新聞紙上で

2009-12-04 21:25:38 | Weblog

今日の夕刊で訃報が載っていて・・・
「橋本昌二さん74才囲碁棋士九段、元関西棋院理事長」
驚きだ。いや、11月末に梶原武雄さん(元囲碁棋士、2000年3月に引退された)の死亡記事が新聞に載ったとき、ふと、昌二先生はいかがか?と心配した。その心配が2日後にこうして訃報として載った。
12才で入段、天才昌二と名をはせ十段、王座などのタイトルを獲得、その他関西棋院の理事長としても長く君臨され関西の、いや日本のトッププロとして活躍されていた方だ。囲碁界だけではなく全ての世界で知らない人がないくらい偉いプロなのだ。
どうして、リリオーがそんなに偉い方を知っているのか・・・もう30年くらい前になるか、お客様から昌二先生が囲碁NHK杯のタイトルを獲得されたときに紹介していただいた。それから普段は気さくで、やさしい先生は時々、店に来て下さるようになった。お名前は聞いたことはあっても、囲碁というものを全く知らなかったリリオー、勉強をと当時出来たばかりの囲碁サロンに入会し少し勉強した・・・頭が付いていかなかったので全くだめだったが・・・しかし、囲碁大会を開催していた時は指導碁に何時も出席していただいたし、奥様もお付き合い頂いた。そう、「ママに帯、買ってあげるわ」と言って頂き頂戴したこともあった。一度締めたらビシッと馴染み揺るぎもしない高価な帯で随分使わせて頂いた。今でも大事にタンスの中にしまっている。リリオーが開いたパーティーにも発起人として名前をお借り出来たしご出席も頂けた。体調を崩されてからアルコールも飲まれなくなり、店にはずっとお越し頂いていなかったが、本当にお世話になったのだ。最後にお逢いしたのは2年前、リーガーロイヤルの中にある囲碁サロンでお客様から誘って頂き先生にお会いし、指導碁が終わってからお食事もご一緒させて頂いた。奥様もご一緒に。その時もお体がお悪そうだったが、囲碁を打っていらっしゃるときはプロの姿であった。寂しい、悲しい、早すぎる、もっともっと・・・・
(文頭に書いた梶原先生は昌二先生とお友達で20うん年前、お越し頂いたことがあり、愉快な豪快な先生の印象があった。その方が亡くなられ昌二先生はいかがかと気になっていたのだ。だけど、まさか、まさか・・・の心境である)
昌二先生が20うん年前に店で左手にマイク、右手は大きく振りながら良く歌って頂いた歌を思い出しお風呂に入りながら歌った。
「きっと来てねと 泣いていた かわいあの娘は うぶなのか さよなら さよなら 又来る日まで 涙をふいて さようなら」
昌二先生、さよなら、大変お世話になりました、有り難うございました。