リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

南界隈

2007-07-12 10:35:34 | Weblog
南って賑やかだ。特に宗右衛門町界隈はいっぱい。
松竹座の前で待ち合わせして、少し宗右衛門町を歩く。「くいだおれ」の人形と一緒に写真を撮っている人がいる。昔はこの店の前にも大きなレストランがあった。いつ頃になくなったか忘れたが、テナントビルになって沢山の店が入っている。特に大阪らしくお好み焼き屋が多い。賑やかな場所が好きだった母に連れられ、漫才や映画を見て、ハイカラな店でハンバーグや海老フライを食べるのが子供の頃の楽しみだった。
南もドンドン変わっていくなあと思う。
その宗右衛門町を東に左に右にとSさんに付いて行き、1つのビルに入り洒落たドアを開けた。「うわっ、良い香り」そう、ステーキをご馳走になったのだ。事前に予約をしていてくれたようで、シャンパンまで用意されていて、ちょっぴり優雅な気分になった。ワインも頂き最高!ありがとう。
「それで、あんたの誕生日何時だったっけ」Sさんの誕生日のお祝いをしたことなかったことに気づく。
「男の誕生日や年齢は聞かないもんだ」
ホンマにキザだね。もっと飲もうよと、カウンターバーにも連れて行って頂く。南も良い店があるんだなあ。ちょっぴり怖い感じがしていたけれどそんなこともなかった。今日は二日酔い。朝風呂に入った。

雨がやんで蒸し暑く

2007-07-11 17:36:41 | Weblog
朝の雨がやんで、ちょっぴり蒸し暑い。気持ちも蒸し暑い中、電話が入る。
「ママ、今日どう?」「別に何もないけれど」「誕生日しょう」「へえ、何で私の誕生日知っているの?」「毎年、うるさいくらい言っていたじゃないか」「でも、誕生日をしてくれたことなかったわね」「ママファンの客がいっぱいいただろう、僕がしたって目立たないからしなかった。、今だからしてあげようと思ってね、覚えていて偉いだろう、まあ、当日にすれば良いんだろうけれど、その日はゴルフが入っていてね、今日で良いか?」
昔からアンタはキザだったね。まあ良いよ、偉い、偉い、ありがとうと、言いながら出かけることにする。
誕生日か、母のお腹から生を受けた日。初めてこの世の空気に触れた日。幾つになっても大切な日だ。
今秋、母の13回忌だ。
「母の亡くなった年齢まで、カウントダウン19年。お母ちゃん、待っててや!」ええ?そこまで生きる気か?生きられるか?元気で?・・・解らん???

ついでについでの話

2007-07-09 21:43:10 | Weblog
5月の初めに古い通帳など整理に新地の信金に行ったと書いた。その信金から又、通知が来た。配当があり振り込むとのこと。振り込むと言ったって解約しているのに何処へ振り込むんやと思ってわざわざ出向いて聞きに行った。「本部がやっていまして未だ支店にはきていませんで・・・」6月の振り込みと書いたあるのに解らん?どういうこっちゃ。
「連絡致します」直ぐ聞け、ホンマに連絡するのか?頼りない話。でも、配当というとどのくらい?と期待すると思うけれど3,200円。タクシーに乗って来たら赤字の話。環状線で来たわ。現金取りに来てと言うたって来ないよ。書留で送れ。
信託銀行に行く。バブルの時代には株式はしていなかった。それ以上前に損をしていてやめていた。やめたと言うより、割烹するときに資金がいるので売ったのだ。その後何時からか忘れたけれど、1つの会社から端株があると毎年通知が来ていた。わざわざ行くほどでもと放っておいたが、ついでだと行った。3泊4日くらいの温泉旅行に行くことが出来るくらいだった。おいしい魚と酒にありつけたかな。またまたついでにドコモショップに行く。迷惑メールが1日、何通も来るのでアドレスを変えるか、拒否するのはどうするのと聞きに行く。にこやかに笑っても皺の出ない顔に細い綺麗な手、細い指でパッパパッパと素早くやってくれる。「済みません、ゆっくりしてくれませんか、自分出来るようにならないといけないので」「ハイ」携帯電話を私に向けて高齢者にも解ってもらうにはと思ったかどうか知らないけれど、急にゆっくりやり出した。「パスワードは0000ではないんですか」と聞く。「別に何もしていないから0000と思いますけど」「違いますね、何か他に?」電話番号や生年月日や色々言うが違う。「うーん、もしかして○○○○」「ああ、それでした、ハイこれで来ないと思いますが、又、迷惑メールが来たらこのように」と丁寧に言ってくれた。「パスワード変えてくれません?」「別に良いんじゃないですか」「別にね、そ・う・ね」スタッフにしたら、別に変えなくてもと思って当然だろう。でも、変えて欲しかった。どうして男の生年月日をパスワードにしていたんやろう。もうとっくに別れているのに、思い出しても腹立つのに!

雨の続きの続きの続き

2007-07-07 09:51:52 | Weblog
私の店に勤めていくれていたMちゃんから電話がかかってきた。
浴衣祭りなので浴衣を新調した、ドレスも何枚も買っている、同伴も出来るようになったと話した。
「良かったね、頑張っているね」
「でも、ママは随分、我慢をしてたんですね」
「ええ?何で?」
「だって、今のママは洋服でも何でも駄目な物は駄目と言うし、同伴でも厳しいし、色々言われるわ、でも、ママは良くない服を着ていても何も言わなかったし、怒らなかったし、同伴罰金もなかった、余程、我慢してたんやなと今頃になって思いました」
以前にも口紅が薄かった時、更衣室に呼んでママの口紅を塗りなさいと怒られたと話していたな。(あなたの店のママは当たり前、普通のことを言っているだけなんだよ)
私だって言った時代もあったよ、店の中の照明ではその口紅は合わない、赤く塗りなさい、髪の毛は美容院に行けとは言わないけれど、もう少し綺麗にしてよ、その洋服、破れているんじゃないの、給料全部自分の物にしないで少しは店のために使ってよ、どうして男性は私達の店に飲みに来るの、家庭では味わえない優雅さを求めているでしょう。家庭の奥さんの方が綺麗なヘアースタイル、洋服ではどうするの等々、言ったこと数え切れない。でも、最初は聞いても直ぐ元に戻ってしまう。最後の方では、もうええわと言う感じになってしまって言わなくなった。「段々育てることが出来なくなったり、言っても反発されるだけだからと逃げてしまった私の責任」と書いた通り。ダメママだった。
携帯メールで「セットして着付けしてもらった浴衣姿の写真を送ります」
馬子にも衣装?イエイエ、美人は美人に写っていました。
新しい店に勤めて半年、スタッフは次の店で頑張っています。

雨の続きの続き

2007-07-06 09:41:34 | Weblog

経営者とスタッフの考え方の違いは永遠と書いたが、そうでもないことを思い出した。
この前、お客さまからかかってきた電話で、急にNちゃんの話が出た。
「昔、良い子がいたよね」「そうNちゃんね」
もう、20年くらい前の女の子なのに、今でも時々、話題になる女の子だ。
「朝、今から出てきて」「日曜日、付き合って」「切手貼りに家に来て」等々、どんな要求にもいやとは言わず、朝早くから朝まで(当時は、夜中の3時、4時まで営業していたし、終わってからも飲みに付き合ってくれて朝になることが多かった)仕事をしてくれた。勿論、毎日のように同伴もして・・もう1軒店をするから任せるとまで言っていた。(案内状にも、HPにも何回も登場しているが)
私より経営者の立場になって仕事をしてくれた。経営者とスタッフの考え方の違いは永遠は間違っていた。そういうスタッフを育てるのが経営者なんだ。段々、育てることが出来なくなったり、言っても反発されるだけだからと、逃げてしまっていた私の責任だった。
どうしているかな?Nちゃん、すっかり、お母さんとして頑張っているだろうなあ。

阪神タイガース岡田監督、私の意見を何処で聞いたんだろう。
調子の悪い選手、休ませろと書いたら、本当に2人、休んでいたよね。でも、もう1人、休んで欲しい選手がいるんだけどね・・・


雨の続き

2007-07-05 10:43:32 | Weblog

甲子園球場もハラハラドキドキだわね。
勝敗じゃないよ。雨の為中止になるのか、やるのか、どっちやって感じでハラハラするの。順位はもう決まっている。4位決定?、いや5位になるかも。
調子の悪い選手は休ませればいいのに、若い選手で良いのが出てきているだろう。岡田監督の采配にイライラハラハラする。もうテレビも見ない。
リリオーは新しいファンの選手が出来たんだ。西武のカブレラだ。
大きなお尻をクイクイ動かしバシッと大きく振り切る。三振でも気持ちが良いよ。交流戦を見に行ってすっかりファンになった。阪神の選手であれほど振り切る選手がいるか。
店をやっているときは雨が降ると「ああー今日はどうなるか」と心配でドキドキハラハラと書いた。女の子は言った。「今度の日曜日、雨の予報だって、いややわ、日曜日は晴れて欲しい、平日に雨降ったらええのに」
「何言うているの、○○ちゃん、雨降ったらお客さまの足が遠のくじゃないの、よう、そんなこと言うわ」「ええ???すみません」
悪気はないのよね。働いている人たちは日曜日遊びに行くこと考えているから晴れて欲しいのよね、平日は仕事だから雨降っても関係ないから良いと思っているんだ。給料をもらっている人たちの考え方は、そんなもんだ、解るよ、怒ること無いわ、と当時のリリオーは思った。
経営者とスタッフの違いだ。ちょっぴりビックリしただけさ。
あるスタッフに「仕事をしましたよね」と言われた。
確かに時間から時間まで休まず働いてくれた。感謝だ。でも、仕事をするのと働くのとは違いがあると思う。
1例だけど、何時も忙しくしないといけないが、今日は絶対に満席にしないといけないという日がある。たとえば、歌手がキャンペーンでやってくるとか、周年記念とか、関取が来て下さるときとか等々、ママは躍起になって頑張る。そんな時、1組でも呼ばなくては、電話しなくてはと思い行動するのが仕事だ。だけど、別に誰も呼んでくれないし、電話も。良く働いてくれたけど、仕事ぶりは?と言いたかった。でも、無理、言っても反発されるだけだから。経営者とスタッフの考え方の違いは永遠だ。
こういうイライラハラハラが、なくなって半年。
今日は晴れ。阪神タイガース、今日は勝つゾ-もうテレビも見ないと言いながら・・・


選挙で?雨?で暇?

2007-07-04 11:45:43 | Weblog
昨日の話。大阪出張中のMさんから電話有り、新地の割烹でご馳走になる。「ママも割烹、やめんといたら良かったのに」とMさんに言われた。有り難う。私もそう思うけれど仕方なかったの、やめて、9年になるのに、未だ、私が割烹をやっていたことを覚えて下さっている方が・・・嬉しい!
「ママ、最近、ゆっくりしてましてね、株主総会の時期は暇と言い、終わると選挙でしょう、あきまへんわ」もう、ママではないのに今でも私のことをママと言いながら、話す主人。そう、昔から株主総会や選挙がある時期は新地が暇になると言う。この店も今日は、ゆっくりしている。この世界、暇になると何だかんだと理由を付けて何かの原因に押しつけてしまう所がある。
私は雨を理由にしていたことがあった。割烹をしていたときは6時前に雨が降ると、「ああ、新地で食べようと思っていても地下に降りて家路についてしまう」と嘆き、9時前に雨が降り出すと、「ああ、ご飯食べて飲みに行こうと思っても雨だから帰ろうと思ってしまう、今日、暇なのは雨のせいだ」と自分の努力のなさを言わないで雨のせいにしていたことがあった。
楽しい食事が主人の愚痴言葉で食欲が落ちてしまった。そう言うことが多々あるのよね。昔、店がはねてから、6Fのママと通っていた店があった。店主は私たちが行くと、つまらない顔をして、「今日は暇だ、今月はだめだ、売上がこんなんで給料が・・・」と言うんだ。(バカ、私たちは、あんたの愚痴を聞きに来ているんと違うねんで、店が終わってほっとした瞬間を欲しくて来てるんや、私ら客やで、そんな愚痴言っている間があるんやったら、この枝豆、何とかせいや、冷凍物を出して枝豆の端も切らない、塩も足りない、どないするねん、水ナスも何や、家近くの漬け物屋の方がおいしいで、何や、このマグロ造りの盛り方は)声には出さなかったけれど煮えくりかえった。それでも何度か通ったけれど何時も言う事は一緒、アホらしくて行かなくなった。でも、多分、何で行かなくなったか店主は今でも理解できていないと思うが。私が勤めていたときのママは、(この前書いたママ)ものすごく忙しいときは「いや、あきません、助けて下さい」と言い、暇なときはシャンとして忙しそうな振りをして動き回っていた。それが勉強になって、私も暇なときほど、賑やかにしていたもんだ。「ママ、ごめん、こんな時はパーッとやらなあかんね」雰囲気に気が付き明るい顔に戻った主人の顔をみて「大将、飲んでよ」「頂きまっせ」と賑やかになり、料理もおいしくなって、又、酔っぱらってしまい新地の中を歩いた。やっぱり、ゆっくりしていた。
今日(4日)も雨模様、今のわ・た・ちは関係ない話だよ。

ハマノパレード続き

2007-07-02 18:07:43 | Weblog
当時、クラブに勤めていたリリオーは競馬の好きなお客様と店でハマノパレードの話が出て、お客様は可哀想だった、3人で(お客様2人リリオー)黙祷して送ってやろうと言われ、うつむいて祈り始めた。店は大きく10セット位有り、何時も満杯で大忙しのママは右往左往、挨拶に回わって何処にいるか解らない。そのママが「リリー何をしているの黙ってお客様退屈されているじゃないの」と飛んできて仁王立ちして怒った。
「ええ、ママ違うんです、黙ってさぼっているのではないんです、これは・・」と言っても聞いてくれない。
怒られるのは良いんだが、私たちが話をしなかった30秒くらいなのに、ママはどの席で見ていたのか?何処にいたのか、何処から飛んできたのか?それが不思議だった。
何十人と入っているお客様、30人位いるホステス全て、把握しながらお客様と話をしながら、お送り、出迎えしながら・・・ママというのは凄いなあ、偉いなあと感心したものだ。でも、それは私も店をしてから解決した。
私も「このママは背中に目があるぞー、離れた席の話も聞いているぞー、悪口は言えないぞー」と言われた事があった。
そう、ママになると周りが見えるんだ。
でも、全てではない、人間、見えないときもある。帰られたお客様が解らないときがあり、お送りするのが遅れるときもある。「チーフ、言わないとだめじゃないの」と怒ったこともある。
その時の返事「ああ、そうですか、言ったつもりですけど・・・」で終わり。
働いている内が花よね、気楽だよ。ママは大変!こりごり!
ハマノパレードとクラブのママの話は以前にも書いてダブっている場面あり。

7月1日

2007-07-01 13:04:50 | Weblog
7月となりました。今年も半分過ぎました。皆さん、楽しんでおられますか。テーマのないブログのことで、ご心配をかけました。
IMさん・・・  徒然草はテーマが無いのが特徴だよ。
はじめさん・・ 同じような年齢、同じような環境の者が応援しています。
YAさん・・・・・ 元気出して、店をしていたときのように大きな声を出して!等々、私のわがままや体調のことを心配してたくさんメールを頂きました。
すみません。ごめんなさい。有り難うございます。
今日は日曜日、静か。中央競馬GⅠレース春が終わり、秋まで小休止だから。IMさんからメールで宝塚記念、メイショウサムソン2着は残念とのこと。私もそう、メイショウサムソン、ウオッカに絞っていた。パドックでのメイショウサムソンの気配がすこぶる良かったので2着は私も残念だった。大雨が降ったあとの道悪に内枠のウオッカは不利だったし。私も外れた。秋競馬は頑張ろう。と言いながら今見ているテレビは競馬中継。まあ、頭の体操として夏もしよう。
私が競馬を始めたのは昭和47年の神戸新聞杯。弟が始めたばかりで一緒に阪神競馬場に付いていった。初めはこんなものかと見ていたが、何?何だ?この大きな立派な馬は・・・11レース神戸新聞杯、タイテイム、ランドプリンス両頭のパドックでの素晴らしい馬体を見て感嘆し競馬ファンになった。それから2人で阪神、京都、はたまた場外馬券場と通った。勝った時は京都の町に出て祝杯を挙げ、負けたときは阪神仁川の駅までの坂(オケラ坂と言う)をトボトボと肩を落とし帰っていく。でも、1年も経たない間に競馬はやめた。大好きな馬、ハマノパレードが昭和48年6月24日の高松宮杯で、1着間違いなし、もうゴールは目の前のところで落馬、しばらく倒れたままだったが走らなくてはと思ったのか起きあがり足を引きづり歩く姿がテレビに。可哀想で涙が止まらない。その日の内にこの世を去った。こんな可哀想な出来事があっていいのかと思い競馬はやめた。時は流れて又、始めたけれどーーー。ハマノパレードの事は忘れはしない。