こんにちは〜!チーム株式会社の緒川修(おがわおさむ)です!!
今日も、徳川家康の最大の忠臣であった忍び、服部半蔵のことを書いていきます!
※前回の日記のURL
神君十六将にも数えられ、江戸城(今の皇居)に半蔵門の名を残すほど服部半蔵は家康の信頼を得ていましたが、今回紹介するのはその時のエピソードです。
時は本能寺の変の直後、織田信長との会談を終えて、家康一行は境(東京都武蔵野市)にいました。
家康は幼少期の人質時代に信長と共に過ごしており、信長とは親交が深かったので信長との会談は僅かな手勢を連れて行うくらい安全なものだったはずでしたが、事態が急転してしまいます。
信長を討った光秀にすれば、確実に敵に回る大物武将である家康を打ち取る意義は大きかったですからね。
なので家康は一刻も早く、自分の本拠地がある岡崎に行く必要があったのですが、そのためには伊賀を越える必要があります。
そんな窮地に陥った家康の警護を勤め上げたのが、服部半蔵だったと言われています。
時は下剋上が当たり前だった戦国時代、いくら君主とはいえ不利な側に付くのは自分の命に関わります。
やろうと思えば見捨てたり、家康を討って光秀への手柄にするなり半蔵は出来たと思います。
なので、このような不利で困難な状況においても自分を守り抜いてくれた半蔵に対し、家康が信頼を置くのも当然と言えますね。
人間関係は自分がピンチの時こそ本質が分かると言いますが、服部半蔵のこの実直な本質故に彼が率いる伊賀忍者は後の江戸時代が終わるまでの数百年、徳川家の信頼を勝ち得てきたわけですね。
機会があれば、そんな忍者の最後の任務の話を書いていきますので、お楽しみに!
※参考サイト
今日は以上です。
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