いま、NHKの朝ドラで村岡花子をやってますね。
私見てないんですが、
母親が『赤毛のアン』好きなので見てるようで、大分無理のある脚色してる、と言ってた。
どうなんでしょう??
それはともかく、ひとつ、気になったことがあります。
村岡花子にしても、『赤毛のアン』にしてもそうなんですが、非常にメリトクラティックな物語なんですよね。
身につけた学問なり、文学なりの才能によって、階級上昇を成し遂げるという。
彼女たちの人生において、好きな学問や文学は直接生きる糧に結びついているようです。
例えば、女学校在学中に
「3軒の家庭教師を続けたので経済的なゆとりができ、花子は実家の母に幾ばくかを渡すようになった」(97頁)。
結婚後、震災で夫の事業が挫折したときに、
「稼ぐために最大の武器になったのは、やはりカナダ人婦人宣教師仕込みの英語力」(206頁)だったという。
なにより、『赤毛のアン』をはじめとした英語圏の児童文学の翻訳は、大きな実益をもたらしたでしょう。
カナダ人宣教師との友情のあかしであり、「生きた証」(20頁)でもあったかもしれませんが、それがごく自然に、(のちのちの)生きる糧につながってゆく。
『赤毛のアン』では、アンが「クィーン学院」(教職をとるための単科大学で、1年or2年コース、今でいえば短大相当?)を受験する、というときにマリラは
「女の子はその必要が起ころうと起こるまいと一人立ちができるようにしておいたほうがいいと、あたしは思うんだよ。マシュウとあたしがいるかぎり、グリン・ゲイブルスはいつまでもあんたの家だよ。けれど、当てにならない世の中だから、人間はいつどんなことがあるか、わかったもんじゃないからね。用心しておくにこしたことはないよ」(417頁)
と言います。進学は教職という、生きる糧に直接つながっているのです。
あるいは、奨学金(どうもその学年から一人しかもらえないらしい)が決まった時に、マシュウは
「いいかい?―十二人の男の子よりいいんだからね。そうさな、エイヴリーの奨学金をとったのは男の子じゃなくて、女の子ではなかったかな? 女の子だったじゃないか―わしの娘じゃないか―わしのじまんの娘じゃないか」(497頁)
と言います。手違いでグリン・ゲイブルズにやってくることになった女の子のアンが、1ダースの男の子よりいい。それは他ならぬアンだから、という意味合いなのでしょうが、その根拠に「奨学金」が持ち出されるのです。
そしてマシュウの死と、一家の財産を預けていた銀行の倒産。
アンは奨学金を辞退し、大学進学をいったんあきらめて、地元の学校で教えることにします。
「グリン・ゲイブルスを手放すことほど堪えられないことはないわ―そんなつらいことってないわ。とにかくこの大事なグリン・ゲイブルスを何としても守っていきましょうよ」(515~516頁)
アンは身につけた学問を味方に、目の弱ったマリラの代わりに、家を守ることを決めるのです。男の子のように農業はできなくても。
男の子でなくても、学問があれば家を守ることができるという物語は、翻訳された当時の日本の女の子たちに、どんな印象を与えたでしょうか。
『赤毛のアン』では描かれませんが、やがて大学進学できる環境が整い、4年間の学業を終えた後には、彼女はいきなり女子中学校の校長に採用されています。なんでも、地元の有力な一族のコネで推された人に勝っての採用だったので、よほど優秀だったのでしょう(『アンの幸福』)。
『赤毛のアン』はメリトクラティックな物語で、現実逃避のために想像力をはばたかせていた変な女の子が現実に適応するために、学問も一つの方向性を与えているように見えます。
それのどこがおかしいのか、と思われるかもしれません。
学問がメリトクラティックな手段となるのは当然のことだ、と。
しかしながら必ずしも学問は、実益と結びつくものではありません。殊に「文学」などは就職に役立たないものの代表のように思われているし、文学部でなくとも、修士や博士などの学歴を身につけると就職には不利でしょう。
殊に、村岡花子の時代における女子教育は、
「子どもを教育するという母役割を将来的に遂行するため」「女子も学問を身に付けるべき」とされたが、「結婚して子どもを産むということは学問の有無と関係なく、中間層の女性にとって当然なすべき役割」であるため、「学問をする理由としてはあまりにも脆弱」である(今田絵里香『「少女」の社会史』2007年、勁草書房)
という矛盾が指摘されています。
一方文学は不良少女の読むもので、尾崎翠なんか小説書いて日本女子大を退学になってます。
野溝七生子についてブログでも書いたと思いますが、当時の女性にとって学問や文学は、直接メリトクラシーに結びつくものではなく、反現実的なものであったはずです。
けれども、少なくとも村岡恵理のまとめる村岡花子の人生においてそういう悩みが描かれるのは、女学校卒業にむけて、
「学校に残って教師になるのは嫌だった」「小林富子のように謹厳実直には、とてもなれそうもない」(100頁)、かといって「キリスト教に身を捧げる」ほど信仰も篤くなく、「ペンで身を立てていきたい」と思うものの、「何をすればいいかわから」ない(101頁)
と思うあたりくらいです。
それでも彼女はひとまず教師になることを受け入れ、確かな稼ぎを持ちながらものを書くことのほうも模索するわけですし。
どうしてこんな物語が可能だったのか。
この堅実で健全で、メリトクラティックな文学少女はどこから来たのか。
ひとつは、出身階層の問題もあるかもしれません。
あるいは、キリスト教や社会主義にこの堅実さの基盤はあるのかも。
文学少女とメリトクラシーとの関係は、あまり単純ではありません。
*引用は、村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫、2011年)、
モンゴメリ、村岡花子訳『赤毛のアン -赤毛のアン・シリーズ1-』(新潮文庫、2008年)による。
私見てないんですが、
母親が『赤毛のアン』好きなので見てるようで、大分無理のある脚色してる、と言ってた。
どうなんでしょう??
それはともかく、ひとつ、気になったことがあります。
村岡花子にしても、『赤毛のアン』にしてもそうなんですが、非常にメリトクラティックな物語なんですよね。
身につけた学問なり、文学なりの才能によって、階級上昇を成し遂げるという。
彼女たちの人生において、好きな学問や文学は直接生きる糧に結びついているようです。
例えば、女学校在学中に
「3軒の家庭教師を続けたので経済的なゆとりができ、花子は実家の母に幾ばくかを渡すようになった」(97頁)。
結婚後、震災で夫の事業が挫折したときに、
「稼ぐために最大の武器になったのは、やはりカナダ人婦人宣教師仕込みの英語力」(206頁)だったという。
なにより、『赤毛のアン』をはじめとした英語圏の児童文学の翻訳は、大きな実益をもたらしたでしょう。
カナダ人宣教師との友情のあかしであり、「生きた証」(20頁)でもあったかもしれませんが、それがごく自然に、(のちのちの)生きる糧につながってゆく。
『赤毛のアン』では、アンが「クィーン学院」(教職をとるための単科大学で、1年or2年コース、今でいえば短大相当?)を受験する、というときにマリラは
「女の子はその必要が起ころうと起こるまいと一人立ちができるようにしておいたほうがいいと、あたしは思うんだよ。マシュウとあたしがいるかぎり、グリン・ゲイブルスはいつまでもあんたの家だよ。けれど、当てにならない世の中だから、人間はいつどんなことがあるか、わかったもんじゃないからね。用心しておくにこしたことはないよ」(417頁)
と言います。進学は教職という、生きる糧に直接つながっているのです。
あるいは、奨学金(どうもその学年から一人しかもらえないらしい)が決まった時に、マシュウは
「いいかい?―十二人の男の子よりいいんだからね。そうさな、エイヴリーの奨学金をとったのは男の子じゃなくて、女の子ではなかったかな? 女の子だったじゃないか―わしの娘じゃないか―わしのじまんの娘じゃないか」(497頁)
と言います。手違いでグリン・ゲイブルズにやってくることになった女の子のアンが、1ダースの男の子よりいい。それは他ならぬアンだから、という意味合いなのでしょうが、その根拠に「奨学金」が持ち出されるのです。
そしてマシュウの死と、一家の財産を預けていた銀行の倒産。
アンは奨学金を辞退し、大学進学をいったんあきらめて、地元の学校で教えることにします。
「グリン・ゲイブルスを手放すことほど堪えられないことはないわ―そんなつらいことってないわ。とにかくこの大事なグリン・ゲイブルスを何としても守っていきましょうよ」(515~516頁)
アンは身につけた学問を味方に、目の弱ったマリラの代わりに、家を守ることを決めるのです。男の子のように農業はできなくても。
男の子でなくても、学問があれば家を守ることができるという物語は、翻訳された当時の日本の女の子たちに、どんな印象を与えたでしょうか。
『赤毛のアン』では描かれませんが、やがて大学進学できる環境が整い、4年間の学業を終えた後には、彼女はいきなり女子中学校の校長に採用されています。なんでも、地元の有力な一族のコネで推された人に勝っての採用だったので、よほど優秀だったのでしょう(『アンの幸福』)。
『赤毛のアン』はメリトクラティックな物語で、現実逃避のために想像力をはばたかせていた変な女の子が現実に適応するために、学問も一つの方向性を与えているように見えます。
それのどこがおかしいのか、と思われるかもしれません。
学問がメリトクラティックな手段となるのは当然のことだ、と。
しかしながら必ずしも学問は、実益と結びつくものではありません。殊に「文学」などは就職に役立たないものの代表のように思われているし、文学部でなくとも、修士や博士などの学歴を身につけると就職には不利でしょう。
殊に、村岡花子の時代における女子教育は、
「子どもを教育するという母役割を将来的に遂行するため」「女子も学問を身に付けるべき」とされたが、「結婚して子どもを産むということは学問の有無と関係なく、中間層の女性にとって当然なすべき役割」であるため、「学問をする理由としてはあまりにも脆弱」である(今田絵里香『「少女」の社会史』2007年、勁草書房)
という矛盾が指摘されています。
一方文学は不良少女の読むもので、尾崎翠なんか小説書いて日本女子大を退学になってます。
野溝七生子についてブログでも書いたと思いますが、当時の女性にとって学問や文学は、直接メリトクラシーに結びつくものではなく、反現実的なものであったはずです。
けれども、少なくとも村岡恵理のまとめる村岡花子の人生においてそういう悩みが描かれるのは、女学校卒業にむけて、
「学校に残って教師になるのは嫌だった」「小林富子のように謹厳実直には、とてもなれそうもない」(100頁)、かといって「キリスト教に身を捧げる」ほど信仰も篤くなく、「ペンで身を立てていきたい」と思うものの、「何をすればいいかわから」ない(101頁)
と思うあたりくらいです。
それでも彼女はひとまず教師になることを受け入れ、確かな稼ぎを持ちながらものを書くことのほうも模索するわけですし。
どうしてこんな物語が可能だったのか。
この堅実で健全で、メリトクラティックな文学少女はどこから来たのか。
ひとつは、出身階層の問題もあるかもしれません。
あるいは、キリスト教や社会主義にこの堅実さの基盤はあるのかも。
文学少女とメリトクラシーとの関係は、あまり単純ではありません。
*引用は、村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫、2011年)、
モンゴメリ、村岡花子訳『赤毛のアン -赤毛のアン・シリーズ1-』(新潮文庫、2008年)による。