人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

紙の上の蠹虫:佐藤亜紀『吸血鬼』(その2)

2016-03-27 15:34:55 | 佐藤亜紀関連
(続きです)

【様々な物語】
ゲスラーの物語、英雄として死ぬというクワルスキの物語、叛乱を画策するヤンの物語、刺繍の布を奉納し、ゲスラーの魂をこちら側にとどめておこうとするエルザの物語。
「これは芝居の筋書きだ。詩人は拒否する」(254頁)など。
さまざまな人々の物語が、しばしば自己言及的に語られるが、最終的に裏で糸を引いていたのはウツィアであったという。ウツィアの物語。

【穴】
村民たちは変死者や産死をしたものがいた場合、「壁に穴を開けて足のほうから出」し、その「穴」を塞ぐ(66頁)。
紙についた蠹虫が開けるのも穴。
村民たちは貧しく食べるものがなくなった場合、「納屋に穴を開けて」物持ちの家から盗みをする(238頁)。
エルザが亡くなったときに、穴を開けることができなかったために官舎の窓から出し、窓を塞ぐ。
クワルスキも自死だったため、窓から出し、そこを塞ぐ。
クワルスキが「自分で射撃の的にした」ために、肖像が「何箇所も破れ、顔の部分は完全に穴が空いている」が、ゲスラーは「修復に出せばいい」と言う(277頁)。

【血と生殖】
馬車の軸が折れたとき、通りかかったヤレクが「産後の肥立ちの悪い女が一人死んだだけ」(8頁)という話をしている。
二番目の怪死であるオパルカの妻も出産中の死。
エルザも流産による死。
ウツィアも最初の妊娠のときに流産してしまい、おそらくそのためにその後妊娠ができなくなったのだろう、子供がいない。
エルザの流産では大量の血が描かれるが、出産は血が出るもの。
一方で吸血鬼は血を吸うものであり、「怪死」は、まるで血が抜かれているようだと言われる。
ただし、「ウピール」とも呼ばれる「吸血鬼」は、「ゲーテが書いたような美女でも、バイロン卿が書いたような青褪めた美男子でもない」「最初は形がない。家畜や人を襲って血を吸うと、ぶよぶよの塊になる。更に餌食を貪ると、次第に人の形を整える」(170頁)。
ところで、エルザが流産したときに呼ばれたバルトキエヴィッツが、妊娠について次のように語る。
「姿形は泉の精か川の娘のようでも、腹の中にはどうしようもなく下等な動物的器官を備えている。異物を飼うための器官をね。人間は寄生虫のようにその胎に取り付き、根を下ろして十月十日、ちゅうちゅうその体液を吸って肥え太る。それだけで女はもうふらふらだ。時々はちゅうちゅう吸いすぎて母親を殺す」「どうにか殺さん程度に自制して、血を吸って真っ赤に膨れ上がった蚤みたいになって、女の細腰じゃ支えきれないくらいになると這い出して来て、今度は二つのおっぱいからまた吸って更に肥える。それから二本の足で立つと、別の寄生虫を孕ませに出かけて行く」(205~206頁)。
人の胎内に宿る赤ん坊が、あるいは人間そのものが、血を吸う寄生虫に喩えられるが、「ウピール」の描写に類似することに注意したい。胎児が、それから人間そのものが吸血鬼のようなものとして語られるのである。

【紙の上の蠹虫】
ゲスラーが官舎に到着する前、古新聞の山には蠹虫が湧いていた。その新聞は竈の火で焼かれる。「炎の中で何かがぷちぷちと弾ける。袖を這う数匹を目敏く見付ける」(30頁)。虫が湧くのを防ぐために、虫除けの油が塗られる。「本が食われたら大変です。書類の方も確かめましたが、何箇所か食われていました」(30~31頁)。繰り返しとなるが、蠹虫は紙に穴を開けるものなのである。
蠹虫が、もう一度描かれる場面がある。エルザが亡くなった後、その異様な儀式中に気を失ってしまったゲスラーの夢になにものか(ウピール?)があらわれるが、ゲスラーはそのなにものかの忠告を受け入れて目を覚ますことにする。目を覚ました後、目を通した書類の隙間に蠹虫があらわれるのだ。
「紙の間から銀色に煌く何かが素早く這い出す。蠹虫だ。ゲスラーは拡大鏡を取って捕まえようとするが、それはもう姿を消している。通達の束を取って、床の上で振ってみる。辞書や要覧のページを捲って巣くっていないことを確認する」「真冬だし、大発生はあり得ない」(229頁)。
ゲスラーの夢になにかがあらわれた後の場面であることに注意したい。つまり、蠹虫は、その何か、ウピールなのである。
『吸血鬼』は、紙を食い破り、人が書いた文字に穴を開ける蠹虫と、その穴を絶えず修繕し、塞ぐ言葉の物語である。

佐藤亜紀『吸血鬼』講談社、2016年



紙の上の蠹虫:佐藤亜紀『吸血鬼』(その1)

2016-03-27 11:31:29 | 佐藤亜紀関連
お引っ越ししました。
まだいろいろ散らかってます。
ようやく佐藤亜紀『吸血鬼』を入手して読んだので、気づいたことをメモ的に書いていきます。
まだメモ的な段階で、とっ散らかっておりますが…

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【梗概及び登場人物】
主な登場人物は、役人のゲスラー、妻エルザ。ひそかにエルザを慕う、官舎で働くマチェク。マチェクの父。
かつての詩人で領主のクワルスキと元農民の娘の妻、ウツィア。甥のヤン、医者のバルトキエヴィッツ。
異様な風習を実行してお金を稼ぐよそ者の「正直者のヤレク」。
ゲスラーの夢にあらわれるなにものか。

役人のヘルマン・ゲスラーはポーランドの田舎村に美しく若き妻、エルザを連れて赴任する。
村には、かつての詩人クワルスキが暮らす領地があった。
村は貧困で、迷信がまかり通っており、その前任者が赴任したばかりのころ、暴動を未然に防ぐためにおぞましい儀式が行われたのだという。
「市民的」なゲスラーは、そのようなやり方を避け、村に文明をもたらしたいと考えるが…。不審死が相次ぐなか、自分もその方法をとらざるをえなくなる。妊娠した妻が流産で亡くなると、村人たちの手前、妻に対してもその異様な儀式を行わざるをえなくなり、さなかにゲスラーは3日間意識を失う。
一方でクワルスキの甥で養子のヤンは、叛乱を企て、クワルスキの詩の朗読会の夜、バルトキエヴィッツとともに屋敷の納屋に武器を持ち込む。
クワルスキもウツィアもそれを知っており、ヤンが無理やりマチェクを引っ張ってきたため、マチェクもその場にいたことにされてしまう。
やがてヤンが捕まり、ウツィアに武器を見せられたゲスラーは、被害を最小限に抑えるために、クワルスキがそれを「発見して引き渡してくれ」た体をとろうと説得するのだが。反対にクワルスキは農民を集め、「武器を取れ」と唆すものの無理だと悟ると、銃で自殺する。
ヤンを密告したのは実はウツィアであり、領地を捨てて出ていきたいと言い出して聞かないクワルスキを領地に閉じ込めるために彼女が仕組んだことだと分かるが…。物語はウツィアとゲスラーとの会話でとじられる。

【詩と法と演劇】
小説の中には、詩と法律と演劇という、質的に異なる三つの言葉が描かれる。
(1)詩
物語はクワルスキの詩の引用から始まる。
クワルスキはかつての流行詩人であり、今では誰の記憶にも残っていないが、実は今も書き続けているのだと言う。クワルスキが行う自作の詩の朗読会が、物語の舞台にもなる。
ゲスラーもかつては詩を書こうとしたことがあり、ゲスラーの夢に現れるなにものかは、詩にとって大切なのは「韻律」ではなく、「小さな子供たちに雨の後の虹を見て取ったり、小川のせせらぎにひっそり囁く声を聞き取ったりする」ことであり、ゲスラーの「声は詩人の声」だという(26頁)。
異様な儀式の日、そしてなにものかに魅入られて向こうに行ってしまいそうなゲスラーを守るためにエルザが教会に刺繍の布を奉納するときにあげられる祈祷は、聖書の「詩篇」の第二篇である。

(2)演劇
朗読会のときのクワルスキの声についてマチェクが「役者にでもなれば良かっただろうに。何て声だ。読みっ放しで声が嗄れるどころか、ますます調子を上げてるじゃないか」(125頁)と思う。
「本物の英雄」として死のうとしたクワルスキの詩集を出版することで、ゲスラーは「言葉のほうが強く、長く残ることを証明」しようとする(280頁)。

(3)法律
ゲスラーは役人であり、「出産、結婚、死亡の記録と収税」が仕事である(11頁)。
「大奥様」と呼ばれる先代の領主から学費の援助を受けてもう少しで学位をとるところまでいったマチェクが、ゲスラーから「いずれ地方官吏の採用試験を受けられるよう推薦する」からと言って勉強するよう勧められたのは法律であった。
ゲスラーとマチェクが整理して紙に書きつける書類は、村民を「数字で勘定する」仕事である(36頁)し、実際的なウツィアも、義母から言われて「帳簿」をつけていた(54頁)。物語の最後で、ウツィアとゲスラーが話し合うのは土地の活用のことであるし、マチェクに学位をとらせて弁護士にしようとする。

【物言う林檎】
詩人であった時代、「農民の娘を娶ることで、身分の別を超えたポーランド人の一致を身を以て示そうと考えた」クワルスキがたたえたのは、彼女の「物言う林檎のように色付いた小さな唇を持つ胸乳」であり、「その胸乳と囁き交わす密やかな対話」であり、当局が問題にしたのも「この物言う乳首」であった(4頁)。ウツィアは「林檎の君」「二十年後の林檎の君」である(20頁)。
ところで、ヘルマン・ゲスラーというのは「「ヴィルヘルム・テル」の悪代官」(21頁)の名前と同じだが、「ヴィルヘルム・テル」と言うと、息子の頭の上に置いた林檎を、この悪代官に強いられ射貫いたエピソードが有名だろう。
クワルスキはポーランド独立の反乱の「英雄」になろうとして死んだが、ウツィアは何度かゲスラーを誘惑し、ゲスラーも「放蕩者」でもある。物語は「林檎の君」ウツィアとゲスラーとの恋の雰囲気の中で閉じられる。

【火と紙と文字】
(1)火
赴任途中、馬車の車軸が折れたために急遽泊まることになった宿屋の「煉瓦を積んだストーヴ」は「火が入っている」(10頁)。官舎の「書斎のストーヴには朝から火が入っている。少しずつ、ゆっくり温めないと罅が入る」から(28頁)。
ゲスラーの前任者が恐れたのは、誰かが隣の村で嫌われ者の「家に火を付けた」(14頁)から。
たばこに火を付ける場面も。マチェクの父は煙草を作るのが上手。

(2)火と紙
ゲスラーの前任者は、「焚き付けとか、色々と用途がおありでしょう」(11頁)と言って、「開いた痕跡もない古新聞の山」(10頁)を置いていくが、これには蠹虫が大量に湧いており、台所のかまどで燃やされる。
おぞましい儀式の夜、クワルスキは「書き掛けの原稿」を「鷲摑みにして暖炉の前に引き返し、中に放り込む。紙は縁からじりじりと黒く縮れ、やがて炎を上げて燃え始める。暖炉の縁に手を突いたままクワルスキは原稿が灰になるのを眺める。屑だ、と思う。こんなものは全部屑だ」(194頁)。

(3)紙と文字
赴任時、宿屋に泊まることになったゲスラーは、宿帳に「ペンを取って、彼は名前を書き付ける。――ヘルマン・ゲスラー、及び妻エルザ」(10頁)。
前任者には「字はお綺麗なようなので、書記は必要ないでしょう」(10頁)と言われる。
ゲスラーはクワルスキの詩集『夢の中で』に、サインをもらう。「クワルスキは本を手にしたまま書物机に歩み寄り、立ったままペンを取って書く。丁寧に吸取紙にインクを吸わせると、開いたままゲスラーに差し出す。美しい筆跡は、親愛なる代官殿に、友にして敵アダム・クワルスキ、とある」(18頁)。
ヤン逮捕後の場面でも、ゲスラーは「素早く走り書きを認め」、マチェクへ届けてもらう(248頁)。ウツィアの各策を知った後も、「用箋を出し、報告書を書き始める。ペン先が引っ掛かる度に無理矢理押し切るようにして、インクが飛ぶのも意に介さず暫く書き続けているが、不意に手を止め、用箋を細く丁寧に畳んで捻る。また書き始める」「立って、書き損じを纏めて摑んでストーヴに放り込む」(269頁)。

【様々な言葉】
田舎で訛りがひどい、違う言語を話しているなどで、言葉が通じないという状況が描かれる。
クワルスキはポーランド語で詩を書き、ゲスラーの妻はポーランド語がよく分からない。この地域の人たちは「ルテニア語」を話すが、読み書きができるものは少ない。ゲスラーはかつては「チェコ語」で詩を書いていたが、「何語でも」詩の「才能」はないと言う(19頁)。マチェクは「ルテニア語、ポーランド語、ドイツ語とラテン語が一応。フランス語も少し」(31頁)できたために通訳のようになり、エルザに地元の言葉を教えもする。
ゲスラーはプラハに行ってクワルスキの遺作を印刷する。

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…長くなってきたので、いったんこの辺で切ります。
またあとで続き書きます。