「穂高岳は昔御幣岳ともいった。空高くそびえる岩峰が御幣の形に似ていたからである。
また奥岳とも呼ばれた。人里から遠く離れた奥にあったからであろう。
梓川ぞいにバスが通じて以来、人々はたやすく神河内(上高地)に入り、
そこから穂高を仰ぐことができるようになったが、
それ以前は徳本峠を越えなければならなかった。
峠に立った時、不意にまなかいに現れる穂高の気高い岩峰群は、
日本の山岳景観の最高のものとされていた。
その不意打ちにおどろかない人はなかった。」
深田久弥 「日本百名山」より
天候の回復を期待していたが、残念ながらガスと一時雨に降られ、
これまでの登山連続晴れ記録がとぎれてしまった。
また、天候の影響で当初の計画から大きく後退し、
残念ながら結果的には奥穂高岳登頂にとどまってしまった。
【日 程】平成25年7月24日(水)~27日(土) 3泊4日
【メンバー】単独行
【天 候】 25日 曇り時々雨
26日 曇り
27日 曇り一時雨
【コ ー ス】 ●1日目 7/24 京都駅24:10発 さわやか信州号(車中泊)
●2日目 7/25 上高地 5:22着
上高地 6:01発 明神館(6:44~6:51) →
徳沢(7:33~7:38) →横尾(8:29~8:37) →
本谷橋(9:40~9:50) →涸沢小屋12:05着(宿泊)
歩行時間:約5時間30分 休憩時間:30分
●3日目 7/26
涸沢小屋(6:20発) →ザイテン取付点(7:23~7:45) →
穂高岳小屋(9:00~9:15) →
奧穂高岳(10:05~10:23) →
穂高岳小屋(11:03~11:40)
穂高岳小屋出発(11:40) →
ザイテン取付点(12:45~12:55) →
涸沢小屋(13:40着)
歩行時間:約5時間40分 休憩時間:1時間40分
●4日目7/27
涸沢小屋(5:15発) →本谷・横尾・徳沢・明神 →
上高地(11:17着)
歩行時間:約3時間20分 休憩時間:1時間30分
アルペンホテル入浴
上高地発 14:15
京都 着 19:25
■初日は5時22分、上高地に到着。天候は小雨。
気温は18℃、異常に温かい。通常この時期の気温は10℃前後。
朝食もそこそこに済ませ、横尾、涸沢に向かって歩き出した。
雨の河童橋
徳本峠への分岐
横尾山荘
本谷橋
涸沢に向かう途中の雪渓
ヒュッテ、小屋分岐前の雪渓
ヒュッテに向かう雪渓に作られた階段
ヒュッテより小屋を望む
涸沢のテント場
ペース配分を行いながら計画より早く歩を進め、上高地から4時間50分、涸沢到着11時50分。
予定より1時間も早い。北穂高小屋までは十分に時間がある。
しかし、この天候のなか、ここ涸沢から更に3時間かけて北穂高小屋まで登る否か、ためらった。
常駐する涸沢山岳救助隊に相談すると、
「行くかどうか迷った時は、前に進まないのが山の鉄則。
小屋予約キャンセルは全く気にすることはない。
無理をすればかえって小屋が迷惑しますよ」
そうだ、その通りだ、「山は逃げない、また来よう」
気を取り直して初日は涸沢小屋で宿泊することを決めた。
結果的に涸沢から、奥穂高岳へ、のんびりと単独行を楽しむこととなった。
■2日目は北穂高を断念
重いザックを小屋にデポし、小さなザックで奥穂高岳を目指して歩を進める。
涸沢小屋ではマムートの小さなレンタルザックを無料で貸してくれる。
雨こそ降らないものの、相変わらずのガス模様。天候の回復を祈りつつ黙々と登る。
進行方向にゴツゴツとしたハイ松をかぶった支稜が見えてきた。
ザイテングラートだ。
ザイテングラートの取付点までは、涸沢カールの急峻な斜面の道が続いた。
雪渓も2個所通過。
雪渓の傾斜は緩くアイゼンなしでも登れるが、あるに越したことはない。
今年は特に雪渓上の残雪が多くこの時期でもアイゼンは必携だ。
遠くにザイテングラートが見える
道は比較的直線的で、また、他の登山者も多く迷う心配はない。
この取付点で、ザイテングラートの急登に備えて小体止。格好の休憩ポイントだ。
少し行くと、ザイテングラートの裾に取り付く。
ここから穂高岳山荘の建つ白出ノコルまでは約1㎞だが、
そこまでには岩稜地帯の急登が連続。
途中にクサリや梯子もあったが、危険は感じない。
「ホタテ小ヤ20分」の標識があった。
しばらく進むと、穂高岳山荘の石垣が見えてくる。
まるで要塞のような石垣だ。
穂高岳山荘へも雪渓上を登る。
雪渓には歩きやすくするため、雪渓を階段状に削ってくれている。感謝です。
ザイテン取付点標識
ザイテンを前に小休止
ザイテン取付点付近の花畑
いよいよザイテンへ
ザイテン登山道
ザイテンにあるクサリ・はしご
ザイテンの花畑
ホダカコヤまで20分の表示
穂高岳山荘直前の登り
穂高岳山荘は奧穂高岳と涸沢岳の鞍部、白出ノコルに建てられている、
まことに立派な山小屋だ。
先人達の努力に脱帽だ。小屋の前は広い素晴らしい石畳になっている。
奧穂高岳方向はガスで見通しは利かないが、
ここから登ってきた涸沢カールの全貌が一望できる。
遠く、涸沢ヒュッテやテント場も見える。
穂高岳山荘
山荘から涸沢を見る
小休止を取りながら、これから登る奧穂高岳への急な岩場を眺める。
風も強く、ガスもかかっている。
一瞬、登りを躊躇する気持ちがよぎる。
穂高岳山荘の石畳の端から岩場に取り付くと、すぐに2連の梯子。
大きく進路を変えながら、クサリ付きの斜面を急登。
さらに3点支持で岩稜線を登っていく。
やがて、ピッケルを刺したモニュメント風の標識が現れる。
穂高岳山荘から800m、山頂まで200mと案内してくれる。
山荘から奧穂への登り
ピッケルを刺したモニュメント風の標識
ようやく、富士山、北岳に次ぐ標高、3190mの奥穂高岳山頂に到着。
穂高岳山荘から約50分の距離だ。
奥穂高岳山頂には安曇野穂高神社の峰宮が祀られ、大きなケルンも作られていた。
ケルンのすぐ横が前穂高への縦走路だ。
頂上には10名ほどの登山者がいた。
残念ながら、相変わらずガスのためほとんど景色は見えない。
頂上に着いたという感慨はない。霧の中に身を置いているに過ぎないと言った状況だ。
素晴らしい眺望が山頂にたどり着いた者へのご褒美なのに・・・・・
晴れていれば奥穂高岳山頂群の展望は素晴らしく、
北アルプスの山並みはほとんどが見渡せる。
天気がよければ富士山までもが確認できるという。
仕方がないと言うことで、せめて奥穂高岳に登った証にと、
他の登山者と共に写真を撮りあいした。
頂上には30分ほどいただろうか、風も強く身体も冷えてきたので下山。
奧穂高ケルンにて
奧穂高山頂付近の花
穂高岳山荘のテラスで、前泊の小屋で作ってもたった弁当を食べる。
ご飯が固くて食べられない。
よほどカップ麺の方が旨い。
コッヘルとバーナーを持ってこなかったことが悔やまれる。
30分ほど休憩後、山荘を後にすべく、ザックを担いだ。
直後、「ギクッ」異変が起こった。
右肩が上がらない。無理に上げると激痛が走る。
困った。
やっとの思いで、ザックに手を通し担ぎ上げた。
これから雪渓を下らなければならない。
アイゼンを付けていないので、ストックの助けがいる。
ストックが突けるか?
何とか、ストックは使えた。よかった。
身体をだまし、だまし歩く。
涸沢へ下山途中の雪渓
13時40分、涸沢小屋に到着
■3日目、涸沢から上高地へ
上高地のホテルで入浴し、後はバスに乗ってかえるのみである。
涸沢から上高地への道は単調きわまりない。
この道は5回目だが好きになれない。
本谷に下山する途中、大変なスピードで7、8名のグループが下りてきた。
ザックも担いでいない。後でわかったが、本谷に木の仮橋を架ける人たちであった。
本谷橋はすれ違いができない細い吊り橋である。
そのため吊り橋を渡らずとも直接河原に下りて、谷の石と石の間に設けられた角材の上を歩いて、向こう岸に渡れるようにする仮橋を作るのだ。
のんびりと、休憩をしながらその仮橋づくりの様子を見ていた。
すると、突然轟音を上げてヘリが飛来、谷の上空に現れた。
仮橋の機材を運搬してきたのだ。
その瞬間、谷の水が吹き飛ばされ、顔に水しぶきがかかり目も開けておられず、
帽子も吹き飛ばされてしまった。
当日に、仮橋は完成した様子であった。皆さんご苦労さんでした。
本谷から横尾への途中、岩小屋跡付近で空が怪しくなり、急に雨が降り出した。
たいしたことはないであろうと折り畳み傘を差しながら歩いたが、
途中からいよいよ激しくなり、雷も鳴り出した。
登山道が川のようになり、足下を泥で汚しながらやっとの思いで横尾へたどり着いた。
横尾に着いたとたん、雨が上がり、ホット一息。
その後、曇りの中を上高地へ歩を進め、11時17分に河童橋に到着。
とりあえず、弁当とビールを購入。入浴前の昼食をとった。
アルペンホテルで入浴、身体もさっぱりし、14時15分のバスで帰路についた。
今回は、天候が良くなく山の醍醐味が得られなかったが、雨もまた良し。
無事に下山できたことに、感謝。
満足な山行きであった。