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大峯山のふもとの
ある場所で
ふと目にとまった文章の一部を
紹介させていただきます
仏教思想家のひろさちや氏が
写経について書かれた文章です
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人間とはとかく
「因果律」で物事を考えがちです。
因果律とは
「何かをしたから功績が得られる」
のように
ある行為に対して
常にその結果を期待することであり
実際に日常の行動の大半は
因果で成り立っていると
いってもよいでしょう。
しかし
写経とは本来
「因果一如」の精神の下に
行われるべきものです。
これは
「お年寄りに席を譲って親切にしたから
見返りがあるはず」ではなく
席を譲ることそのものが楽しい
という考え方です。
写経が何かの役に立つのではなく
写経という行為自体が功徳です。
(以上抜粋)
茶の道を歩む私たちにとっては
ひろさちや氏の書かれた文章の
写経というところを
「茶道」と
読み替えても
良いのではないかと
ふと思いました
感謝
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