表千家一期一会

因果一如



大峯山のふもとの
ある場所で

ふと目にとまった文章の一部を
紹介させていただきます

仏教思想家のひろさちや氏が
写経について書かれた文章です




人間とはとかく
「因果律」で物事を考えがちです。

因果律とは
「何かをしたから功績が得られる」
のように
ある行為に対して
常にその結果を期待することであり

実際に日常の行動の大半は
因果で成り立っていると
いってもよいでしょう。

しかし
写経とは本来
「因果一如」の精神の下に
行われるべきものです。

これは
「お年寄りに席を譲って親切にしたから
見返りがあるはず」ではなく
席を譲ることそのものが楽しい
という考え方です。

写経が何かの役に立つのではなく
写経という行為自体が功徳です。

(以上抜粋)



茶の道を歩む私たちにとっては
ひろさちや氏の書かれた文章の
写経というところを
「茶道」
読み替えても
良いのではないかと
ふと思いました



感謝kirakira2





コメント一覧

tomoko
哲学的などと言われると面映ゆいですが、お茶を何十年も飽きずに続けられるのは、やはり誰かの為でもなく、自分にとって『お茶をすることが楽しいから』なのかなと思います。
達磨と武帝の問答、確かに同じことを説いている気がします。
今月よく見かけた
『百花為誰開』も
思い出しました。
雲や
何時もの事ながら、哲学的ですね。

私は,師匠から聞いた、達磨と梁の武帝の話
「不識」をイメージさせていただきました。
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