古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

絲綢之路2 ウルムチ

2011-10-18 23:44:44 | 旅行

南湖市民広場(烏魯木斎市)
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その116

2011年10月11日(火)
天水も蘭州も張掖も酒泉も嘉峪関も、ましてや敦煌も哈蜜も吐魯番も一気に飛ばして、烏魯木斎に着いた。
歴史を馬鹿にしていると言われても返す言葉が無い。
完全な弱者逃避旅行コースだ。

ウルムチには定刻18時34分に二時間以上遅れた20時50分頃に着いた。
駅前のバス乗り場が案内と違う。
バスのシステムが変わったようで、目的のバスが無い。
乗り継ぎ地点でも戸惑い、宿に着いたのは22時30分過ぎだった。
更に最悪なのは中国語しか解さない中年の親爺二人がフロントだ。
パソコンを使って翻訳し、話しかけてくる。
予約してあると言うも中々意味が通じない。
デスクの上を見ると、前任者がメモしておいた予約客一覧に自分の名前を見つける。
チェックインの公安局への手続用紙も全て自分が記入した。
普通は宿の人間が記入するものだ。
兎にも角にも何とかチェックインする。
ただ良かった事は6人部屋を一人で占有出来たことだ。

絲綢之路1 西安旅立ち

2011-10-16 19:23:20 | 旅行

囲碁を打つ高貴な美人の図(西安市峡西歴史博物館)
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その115

2011年10月10日(月)
空海も円仁も長安より西には行っていない。

しかし、還暦背包族は玄奘三蔵法師の足跡を慕って、敬って、訪ねて
西域、天竺求法の旅に出よう。
などと格好良い訳が無い。
ただ、丝綢之路の出発点の西安からウルムチ行快速寝台列車に乗り込んだだけである。

それが行き当たりバッタリな還暦背包族の最大の強みなのだ。
何でも有りの片道一本独鈷の歌だ。

僅か、33時間で2568kmの距離を運んでくれる。
寝ているだけの、求法巡礼の旅だ。

西安 市内観光その3

2011-10-14 20:29:29 | 旅行

青龍寺恵賀空海記念館(西安市)
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その114

2011年10月7日(金)
青龍寺へ行って来た。
空海と恵賀とが1200年余り前に廻り合った寺である。
入口に誰も居ないので、フリーと思い中を見学する。
帰りにチョッと右側の目立たない所に、集票所と書いてある。
因みに7元。
お祈りとお布施をしたので勘弁してもらう。
隣の恵賀空海記念館はフリーだった。

近くの小店で3元で買っていた西安地ビールHANSがスーパーでは2,3元だった。
小店で3元とあまりにも安くて遠慮していたのだが、ちゃんとおばちゃんは7角も取っていた。
30%の粗利だ。
小店で40円、スーパーで30円、いずれにしてもビールとはこんな値段で造れるものなのだ。
スーパーの仕入れ値は更に安いはずだ。
アルコール度4%、600ml一瓶の値段なのだ。
日本のビールの値段は何なのだ。
日本政府の税制に憤りを覚える。

西安 市内観光その2

2011-10-13 01:41:21 | 旅行

阿部仲麻呂記念碑(西安市興慶宮公園)

漢長安城遺祉(西安市)
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その113

2011年10月3日(月)
興慶宮公園に阿部仲麻呂記念碑を見学に行ってきた。
右側面には李白の送別の詩が、左側面には阿部仲麻呂の望郷の和歌が刻まれていた。
公園の東南の隅にあった。

2011年10月6日(木)
漢長安城遺祉へ行ってきた。
観光地図を頼りにここら辺という所へ行く。
南門から222路、234路と乗り継いでいく。
234路バスはミニバスで車掌が乗っているやつだ。
行き先を言って運賃を払わねばならない。
地図を見せても、ハッと言う感じで理解してくれない。
紙に近くの停留所らしき相家村と書く。
2元だそうな。
市内バスカード使用可能な所であればほとんど1元だ。
カード使用なら五割引の0.5元だ。
郊外のほうは、ミニバスが走っており、車掌が乗って料金を徴収するシステムだ。

相家村で降りるが当然何も無い。
普通の郊外の村、タイヤ関係の店が多い街だ。
500m位西に歩き周家村の方に行く。
ここら辺と思しき所のバス停で、バス待ちの女子高校生らしき二人連れに聞いてみる。
喜んで、対応してくれるが、肝心の場所が解らない。
ここが漢長安城遺祉そのものだと言う。
何も無いし、そんな遺祉は知らないと言う。
因みに家はと聞くと、すぐそこだと。

埒が明かないので、諦めて礼を言って別れる。
地図に載っているのだから何か在る筈と、勘を頼りに、村の北への小道を進む。
100mも進まないうちに、それらしき遺跡を見付ける。
荒れ果てて、放置して有るがそれらしき雰囲気はある。
写真を撮って、返ろうとフット振り向くと、草むらの中に中国政府の建てた小さな標識が有るではないか。
間違いなく、漢長安城遺祉と書いてある。
先程の女子高生の家から200mと離れていないのに、何で知らないんだろう。
不思議な街だ。

西安 唐代美人陶俑

2011-10-07 11:28:08 | 旅行

唐代美人陶俑(西安市峡西歴史博物館)
還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その112

2011年10月2日(日)
峡西歴史博物館には唐代の美人陶俑が多くある。
皆、福良かな顔と姿形をしている。
表情も素晴らしい。
魅力的な唐代美人がズラリと並んでいる。

当時、上流階級だけがこの条件を満たせたからだろう。
一般庶民の生活では食糧が十分で、栄養豊富とはいかなかったのだろう。

しかし、現代社会では程度問題だ。
宿に男は150kg、女は100kg位のカップルが居る。
見かけると必ず何かを食べている。
ロビーだったり、レストランだったり、喫茶室だったりするが必ず何かを口に入れている。
生きるために食べるのか、食べるために生きるのかと言えば、彼等は間違いなく食べるために生きているに違いない。
醜い事この上ない。

福良かな姿形にも、自ずとソコハカトナイ憂いが無ければならない。
只、膨らんでいれば良いのではない。

「K」よ  心せよ!!