人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第99回「和を以て貴しとなす(十七条憲法 第一条)」(聖徳太子)

2023年08月14日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第99回 

「和を以て貴しとなす(十七条憲法 第一条)」(聖徳太子)


「一曰、以和為貴 無忤為宗 人皆有黨 亦少達者 是以 或不順君父
乍違于隣里 然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成」(原文)

 

「和をもって貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
 人みな党(なかま)あり。また達(さと)る者少なし。
 ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、
 また、隣里に違(したが)う。しかれども、上和(かみやわら)ぎ、
 下睦(しもむつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
 すなわち事理(じり)おのずから通ず。何事か成らざらん。」

(読み下し文ですが、読み方は一部多様なものもありますので、ご了承ください)


「まず、第一に「和(わ・やわらぐこと)」を尊く思い、

むやみに角をたてるようなことは慎みなさい。

人の上に立つものが、和を大切にし、

下の者にも親しく穏やかに話し合うような気持ちがあれば、

それは道理に基づいているので、何事も実現できないことはない」

かなり超訳しますとそのようなことが書かれていると思います。


ここでいう、「和」とは日本人特有の空気を読むとか周りに合わせるということが本意ではなく、

しっかりみんなで話し合うような関係性や在り方を持つことが大切だと言っているように感じます。

それには、ただ単に仲よくしたいということではなく、

お互いにしなやかで強い心を持ち、ともに言うべきことは言い、

それを受け入れあう姿勢が必要だと推測します。

その結果の「和」なので、力強いものでもあります。

そういう在り方を日本人は本来持つべきで、相手の顔色を伺ったり、忖度するのは

本当の「和」ではないよと聖徳太子は仰っているように感じます。

少し、ざっくりですが時代背景もみてみましょう。


聖徳太子(547~622年)の十七条憲法が布告されたのは、604年で、

日本の都が大和の飛鳥を中心とした地域にあった、飛鳥時代になります。

聖徳太子は、用明天皇の子で、名は厩戸皇子(やまやどのみこ)といい、

叔母にあたる推古天皇の皇太子でもあり、天皇にかわって政治をおこなう摂政をつとめました。

時代背景としては、諸外国との関係性(当時の中国である隋)、

仏教を推進する派と廃仏派のすさまじい争いなど、

様々な緊張状態の中で、日本国の国柄や日本人としてのアイデンティティの基礎を示した

素晴らしいリーダーであったことは間違いないですし、

今でも、この「和」という概念が日本人のベースになっていることは、

世界に誇るべきことだと感じるので、もう一度再認識する機会になればと思い、

ご紹介させていただきました。



参考文献 
『世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀』小名木善行著 徳間書店
『聖徳太子の言葉』大角修著 枻出版社

 

 

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