人生をひらく東洋思想からの伝言

様々な東洋思想の言葉やその精神を通じて、ともに学びながら一緒に人生や経営をひらいていけたら嬉しいです。

第71回「邂逅(かいこう)」

2023年01月29日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第71回 

「邂逅(かいこう)」


以前、漢字や日本語の素晴らしさについてお伝えいたしましたが、

今回も 私の好きな熟語についてお話させていただきます。

邂逅(かいこう)という言葉があります。

これは、意味としては

・思いがけなく出会うこと

・めぐりあい


【語源】

「邂」とい字も「逅」という字も、両方とも思いがけなく出会うという意味があります。

あと、「邂」という字のもうひとつの意味としては、

運よく懸念がとけて喜ぶ。しこりがとける、という意味もあるそうです。


日経新聞の朝刊で、「私の履歴書」という月毎の連載がありますが、

その中でも「偶然こうなった」「たまたま」という表現がよく出てきます。

後になってみれば、目に見えない何かで繋がっているとしか思えないような感じですが、

人生のドラマの最初のきっかけは 思いがけない出会いから始まっていく

というところが 不思議と共通していて面白いですよね。

邂逅とは、東洋思想的には「貴人(きじん)」と言っています。

「その出会いがなければ、今の自分がいない」という

本当に思いがけなく、奇跡的で、有難い出会いという意味です。


私にも、邂逅を通じて得た貴人は何人かいらっしゃいます。

これは、陽の側面(プラス)の方と、陰の側面(マイナス)の方、

両方合わせて 本当の意味での貴人だと思いますので、

そのすべてを受け入れた時に心の底から「有難い」と感謝の心が沸き上がりました。

皆さんにとって、「邂逅」と呼べる方はどんな方ですか?

良かったら、振り返りをしてみて、心を馳せてみてください


参考文献
 『漢字源』藤堂明保他 学研

 

 

 
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第70回「無為自然」(老子)

2023年01月22日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第70回 

「無為自然」(老子)


老子の中で大切な言葉で、無為自然(むいしぜん)と読みます。

無為自然といっても、なかなか わかりづらい感覚ですよね。

最初は、私もまったくわかりませんでした。

ある時に、「無為とは緊張感を持って見守ること」だ と教えて頂いたときに、

何もしないのではなくて、「人為を排する」ことでもある ということがわかりました。

人為は、漢字にすると「偽」にもなりますので、とても危険な行為にもつながります。

でも、考えると無為自然というのは、赤ちゃんを見守るお母さんだったり、

畑を見守るお百姓さんだったり、人や自然としっかり向き合っている人は

しっかりやられていますよね。本当に尊敬致します。


「無為」、緊張感を持って見守れば、「自然」、自ずと然りの結論や成果がでるものだと、

私も少しずつ 実感中です。

老子の言葉に、「無為にして為(な)さざる無(な)し」という言葉があるように、

無為に徹すれば、為せないことがないということです。

私も、この言葉をみると反省することがあります。

それは、子供が小さいときに、こうしなきゃと思い込んでいることがあったので、

良かれと思っていろいろと押し付けようとしていた時期がありました。

当然、反発されてしまいましたが、緊張感で見守るどころか、

こちらの考えや想いを押し付けていました。

反省を繰り返して、だいぶ薄くなってきましたが、

ついつい癖としては コントロールするようなところはあるので、

今でも意識をして気を付けています。

この言葉は自分にとっては、ものすごく大事な言葉になっています。

 

参考文献
 『東洋思考』田口佳史緒 かんき出版

 

 

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第69回「言祝ぐ」(神道)

2023年01月15日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】 

第69回 

「言祝(ことほ)ぐ」(神道)


私は日本語がとても好きです。

なぜなら、すべての音に様々な意味が込められている

世界でも稀有な言葉だからです。


だからこそ、言葉を大切に扱いたいという気持ちもありますし、

先人が大切にしてきた言葉の本質をもっと知りたいという想いはとても強くあります。

そのように、すべての言葉には魂が宿っていると考えられてきました。

それを、「言霊(ことだま)」と表現しています。

言葉が大切であるのは、言葉自体に素晴らしい力が秘められているからなのでしょう。

そして、先人はこの言葉を大切にすると同時に、

その響きや韻(いん)を踏むことで、美しく楽しんでいたのでしょう。

言葉を通じて、相手を敬い大切したいという想いの現れのようにも感じます。

例えば、お祝いをのべること、喜びの言葉をいうことを「寿(ことほ)ぐ」と言います。

それを、別の表現ですと「言祝(ことほ)ぐ」、つまり言葉で祝うと書きます。

神様に奏上する「祝詞(のりと)」は、もっとも美しく、素晴らしい言葉を選び抜いています。

例えば、結婚式で「終わります」ではなく、「お開きにさせていただきます」というのも、

祝宴で「鏡割り」を「鏡開き」というのも、すべて めでたい言葉に替える工夫だったんでしょうね。

その日本人の粋で美しく、楽しい心の在り方と言葉のセンスに、本当に頭が下がります。


参考文献
『神様にほめられる生き方』岡本彰夫著 幻冬舎

 

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第68回「苟日新、日日新、又日新」(大学)

2023年01月07日 | 日記

【人生をひらく東洋思想からの伝言】

第68回 

「苟日新、日日新、又日新」(大学)


新年あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


さて、本年 最初の言葉は下記になります。

「苟に日に新たに、   日日に新たに、 また日に新たなり」

「まことにひにあらたに、ひびにあらたに、またひにあらたなり」


この言葉は、大学という書物からの言葉になります。


(注:大学は、四書五経の中にあるもので、全文わずかに1753文字の小冊子であるが、
その内容は、「正心、誠意、致知、格物、修身、斉家、治国、平天下」のエッセンスを説いたもので、
冒頭の言葉は、その中に出てくる言葉であります。)


新たに 新たに 新たなり・・・と3度も”新た“という言葉が繰り返されています。

日々ついついマンネリな気持ちで過ぎてしまうこともあると思いますが

自分自身をしっかり修めるために、日々覚悟を新たに取り組むことが大切であり、

その心構えを説いたのが これらの言葉でもあります。


以前、日本を代表する経営者で東芝の再建などに関わって、行政改革などにも関わった土光敏夫さんも、

この言葉をモットーにして、リーダーとしての徳を磨いていたそうです。


この言葉を通じて、日々自分自身と対話しながら、

新たな新鮮な気持ちで毎日を過ごしていきたいと思います。


参考文献
 『中国古典一日一言』守屋洋著 PHP研究所

 

 

 

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